牡丹姐さん 3

 それ、いいな。

 ふと浮かんだ想像に、じわじわと浮き立ってくる。


 後宮。皇帝の妃嬪たちが集う、華やかな女の園。

 きっとそこでは飢えも寒さも無いだろう。

 かと言って桃源郷でないことも想像がつく。皇帝の寵を競い合うのだから、衝突だってあるだろう。


 それでも、だ。

 女同士の競争なんて妓楼だって日常茶飯事だし、私自身は高貴な人の寵愛を受けたい訳では無いから、確実に飢えと寒さをしのげて、ちゃんと毎月お給金が支払われるのならそれだけで満足だ。

 なによりこれ以上、体を売らなくて済むという点でも。夢のような場所。


(いいな……私にも、好機チャンスがあれば……)


 そんな思いが込み上げて、むしろ、今が、そうなのではないかと考えついた。

 これを逃したら私なんかには一生、天上人たちへのつながりなんてないだろう。

 それなら今、目の前の好機にがむしゃらにしがみついてみるのも、悪くない気がする。


 私は顔を上げた。

 目の前の美女は不思議そうに私を見ている。


「ねえ、もし牡丹ねえさんが後宮へ入るのなら、わたしを侍女にしてくださらない? 身の回りの世話をする人間が必要でしょう?」

「気が早いわ、玉蘭。それにこれは……私と陛下の、秘密のことなの」

「でも私には教えてくれた。それって、姐さんも仮母ママも、私のことが使えると思ったからじゃないの?」


 私が身を乗り出すと、金梅が鼻でせせら笑った。


「ふん、ずいぶんと思い上がったもんだねえ」


「姐さん、私を使って。私、姐さんのためにならなんでもやるわ。指輪だって探してみせる。公羊様が持って行ったのだとしたら、皇城に行けば会えるかもしれないんでしょう? それとも、金花楼の名前を使って呼び出すことができるかしら。皇子様の夜遊びを知られたくない付き人を味方にすることだってできると思うわ。この体でも……どんな手を使ってでもね」


 相手をたぶらかすための言葉なんていくらでも出てくる。だって私は妓女だ。客に夢を見させるのが私たちの仕事だ。

 けれど目の前の相手は、私以上にやり手の──手強い女たちだ。


 牡丹は穏やかな顔でこちらを見ている。この柔らかな瞳の奥で私の真意を見抜こうとしているに違いない。

 私が使い物になるかどうか。彼女の邪魔にならないか。

 真の味方になるのかどうか。

 そしていざという時には、切り捨てることができるかどうか。


 まばたきすら我慢して、私は彼女の美しい顔かたちを強く見据えた。


 私たちはしばらく見つめ合っていたけど、やがてにっこりと牡丹が微笑んだ。満開の花が咲いたように部屋がぱっと明るくなる。


「そうね。私も、玉蘭が一緒に来てくれたら嬉しいわ」

「牡丹よ」


 金梅は一言、咎めるように名を呼んだ。


「良いじゃない、仮母。城に上がるときの『嫁入り道具・・』は自由に持ってきて良いと聞いているし。それに玉蘭は、ほら。陛下じゃなくて、お金が大好きなのだし。ね、玉蘭?」


「え? え、ええ。そうです。私、もっとお金が必要なんです。でも私では姐さんみたいな売れっ子にはなれないし、売り上げをはねられるのもいやだったし、冷や飯生活はもうこりごりだし、若さだけでゴリ押しできる時間なんてあっという間だし! それだったら後宮で姐さんのために働いた方がよっぽど安定してると思う! だから私をつれていって! 見習いの時に散々やったから、掃除だって洗濯だってできるもの!」


「ね、こう言ってるし。良いでしょう、仮母」

「だがな、牡丹や」

「私、玉蘭がほしいなぁ」


 黙ってなりゆきを見守っていたけれど、金梅と牡丹、ふたりの力関係は圧倒的だった。


 牡丹は愛情深く金梅をいたわり、それとなく自分の功績を指摘し、さらには玉蘭が後宮に上がることでこの妓館がさらに名の知れたものになると駄目押しをした。

 処遇を決めるのは金梅だ。けれどそうなるよう仕組ませたのは、牡丹なのだった。

 あの金梅が言いくるめられている。やっぱり牡丹はおそろしい人だと、改めて思ったのだった。


 

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