牡丹姐さん 2


 またどえらい権力者が出てきた。

 青秦国の皇帝は五年前に禅譲で代替わりをしたばかりだ。つまり現皇帝・黒珀様は、戦で弱った国を守るために革命を成功させ即位した、若き英雄なのだった。

 そんな皇帝陛下の何でも屋を他国の皇子が引き受けているなんて、一体どんな事情があっての事だろう。にわかに興味をそそられた私は卓に身を乗り出した。


「牡丹姐さん、詳しいのね」

「そうね、みんなより耳に入ることが少しばかり多いのよ」

「公羊様は、遊び以外に、何か目的があったってこと?」


 蘭の間での思い詰めたような彼の様子から察するに、何か理由があってここに来たんだろうとは思っていた。付き人の異常な警戒といい、いつもはもうちょっとマシな客である白陽が、特に目立って泥酔するあやしさといい。

 あれらが全部、目的のための演技だったのだとしたら──。

 でも、なんのために。考えても私にはわからない。


「男衆たちにそれとなく見張らせてたんだが、あの三人組は朝日より早く出て行っちまった。見張りは全員眠らされてたよ。玉蘭、あんたみたいにね」


 金梅が紫煙の向こうで頬杖をついて言った。


「眠らされて……?」

「白陽様のお相手をしていた鈴蘭もね、同じ目に合ってるのよ」


 (薬……? もしかして、私のいれたお茶に? だから私、寝てしまって……?)


 下っ端の妓女とはいえ作法は身にしみている。お客様がいるのに熟睡してしまったのなんて昨夜が初めてだ。睡眠薬を盛られていたのなら、納得はできる。


(やだ……面白いじゃない)


 わたしはニヤつく口元を見られないよう袖の下に隠した。


(優しい羊さんだと思ってたけど。初対面の人間に容赦なく薬を盛れちゃう人だったのね)


 人間、誰しも裏と表を使い分けている。

 皇子様であってもそうらしい。もっと話ができたら、あのふわふわの彼の違った一面が暴けたかもしれないのに。もったいないことをした。


 ──また会えたら良いな。

 そう思う一方で、きっと彼は二度と現れないだろうなと、そんな確信もあった。


「実はね。昨晩、私の大事な指輪が無くなったの」


 なるほどこれが本題らしい。

 つまり牡丹姐さんも金梅も、さっさと消えた公羊たちを疑っていると。


(ふぅん……その三人ならたしかに公羊様が頭だろうけど)


 私は慎重に言葉を選んだ。

 だって、共犯だと思われたら?

 答えによっては今日限りで、ついにここを追い出されるかもしれない。


「……公羊様は、宴会の終わりから蘭の間まではずっと私と居た。床入りしたのは丑の刻を回ってたと思うけど……そこからの記憶はないの。だってぐっすり寝てしまったんだもの。出て行った時間はわからない。盗むとしたら、そのときじゃない?」

「いいえ、たぶん実行犯は彼じゃないわ。護衛か、もしくは白陽様……それとも、たぶらかされた花の誰かかもね」

「姐さん、私を疑ってるの?」

「そうじゃないわ、そうじゃないのよ」


 牡丹は客にするように、私の膝に手を乗せて枝垂れかかってきた。なめらかな頬、けぶるような長い睫毛が、吐息のかかる距離にある。


「あなた、鈴蘭と仲が良いわよね。私、あの娘に嫌われているから。代わりに、ちょっとお話ししてきてくれない?」

「……鈴蘭がやったっていうの?」

「あの子、白陽様のお気に入りでしょう?」

「鈴蘭は盗みなんてしない」

「そう、そうねえ。でも、盗みと知らずに手伝わされてるかもしれないわね。そうでしょう?」

「姐さん……」

「あなたになら話すと思うの。ね、お願い」


 この人はこんなにもあどけない笑顔で、私に同僚を疑えと言う。ぞくりとした。

 反抗せず、けど簡単には従わない。そんな目で彼女を見返す。


「そこまで大事なものなの? 妹分の鈴蘭を疑うほどの?」

「そりゃそうさ。あれがなきゃ、牡丹を後宮に推せんだろう」

「え? 後宮? 姐さん、皇帝陛下のお妃になるの?」


 私はいよいよ好奇心を抑えられなくなって身を乗り出した。


「その指輪って、まさか陛下から賜ったものってこと!?」


 牡丹はほんのり頬を染め、けれど口元は誇らしげに笑みを浮かべてうなずいた。


(皇帝って、そんな人、うちで遊んでたっけ!? いや私が知らないだけか! 下っ端だもんね! さ、さすが牡丹姐さん……客の地位レベルが違いすぎる……!)


 金花楼の妓女とはいえ、将来を考えれば後宮にあがるというのは悪くない選択肢だ。とくに牡丹ほどの教養と美貌があれば下働きの宮女ではなく、妃嬪の地位を得られる可能性もあるわけだし。


 花盛りのすぎた妓女の先はあまりに暗い。年季が明けたとき、商才のある者は自分の店を持つかもしれないが、多くの女たちはそこまでの気概を持てない。良くて誰かの愛人、悪くてそこらで野垂れ死に。それよりも前に、若くして枯れる花の方が多いのだ。


 ──私は、どうだろう。

 きっと長くないだろうなとは思う。いい年ではあるけれど、蓄えもなく、二胡以外に誇れるものもない……。


(だからって、みすみす死にはしないけどね)


 私は生きなくてはいけない。お腹を空かせた家族が、幼い妹たちが、故郷にいるから。

 なによりお金が必要だ。私にとっても、離れた家族にとっても。


 ──たとえば牡丹姐さんみたいに、私が皇帝陛下の側室になれたなら。

 家族を都に呼び寄せることも、立派な屋敷に住まわせてあげることも可能になるのだろうか……。


(それ、いいな)


 急に、目の前がひらけた気持ちになる。

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