牡丹姐さん 1

 金花楼の花たちは、朝日が昇る頃が仕事終わりだ。寝ぼけ眼をこすりつつ自分で、もしくは見習いや下女に湯を持たせ、与えられた房室へぞろぞろ戻っていく。

 私は自分で自分の世話をするから、たっぷりの湯が入った桶を抱えてのんびりと渡り廊下を歩いた。


 輝く朝日がうっすら積もった雪に反射して、ますます目に刺さるよう。庭園を吹き抜ける冷たい風にぶるりと身を震わせる。一刻も早くこの湯を浴びたい。その一心で脚を動かす。

 酒の抜けきらぬ頭を押さえてうめいていると、背後から甘くねっとりとした声が私を呼んだ。


「玉蘭」


 振り返ればそこに、じつに朝が似合わない人が紫煙をくゆらせ腕を組んで立っている。


仮母ママ……! おはようございます」

「お前、ひどい失態だね、まったく。客の見送りもしないなんて、見習いからやり直すかい? 蘭の間の褥はよほど寝心地が良かったのだろうねえ。覚えておいでよ、あとでちゃぁんと仕置を考えてやるからね」

「ご、ごめんなさいっ……!」


 公羊の見送りもせずに寝こけていたことがばっちりバレてる!


「言ったろうに、使えない妓女はいらないよって」


 金花楼の仮母である金梅は、自身が現役だった頃と比べても遜色ない美貌をひどく歪ませて玉蘭を睨みつけた。


 目を惹く真っ赤な紅と、柔らかな弧を描く柳葉眉りゅうそうび。容色は衰えるどころか年々鋭さを増し、何年たっても変わらぬ姿から妖女とも噂される我らが女主人。そんな彼女が本気で怒ると、雷鳴のような声が頭上から降ってくるのだ。


 今にも頬を叩かれるのではとびくついていると、彼女はふんと鼻を鳴らしてあごをしゃくった。


「まぁいい。それよりも、ちょいと話がある。ついておいで」

「は、はい……」


 ろくに説明もないまま連れて来られたのは、庭園の奥にある離れ――金梅の私室だ。そこにいた先客を見て私は目を瞬いた。


「牡丹ねえさん?」

「おはよう、玉蘭」


 艶然と微笑む彼女のまわりは、いつだってつみたての花の香りがする。

 酒宴のあととは思えないすっきりとした表情で、長い黒髪を背に垂らし、白い襦袢の上に淡い水色の袍を羽織っている。いかにも夜を匂わせる色香があるのに、決して下品でないその姿はさすが金花楼一の妓女である。

 牡丹に、金梅、最後に私が卓につく。一体なんの話だろう。びくびくと体を縮こませる私に、金梅は煙管から吐き出した白い煙を浴びせた。


「あんた……昨晩、あの皇子からなにか聞かなかったかい」

「え? ええと……何かって? いや、皇子って……?」


 はて誰のことだと私が思考をめぐらせてるうちに、牡丹がそっと身を寄せてきた。触れた腕はひやりとつめたく、髪から甘い香りがする。


「昨晩、あなたがお相手した人よ」

「って、公羊さま?」

「彼はね、遊学中の璟国の皇子様よ」

「う、うそ、でしょう……皇子!?」 

「そして、あなたが斬られそうになった付き人のこわぁい方は、護衛の武官さん。あなたったら、本当に何も知らずに夜伽をしたの? かわいそうに、誰も何も教えなかったのね」


 困ったように笑う牡丹の横で、私は言われたことを飲み込めなくて目を白黒させた。


 まだ脳裏にやきついている、公羊の優しげな横顔。穏やかな話しぶりや雅な仕草はきっと正真正銘のお金持ちで、高貴な人のものだと予想はしていたけど。

 まさか異国の皇子だったとは。

 彼は、私の無礼を笑って許すどころか、喜びさえしたのに……璟という国の人間はみんなああなのだろうか。ずいぶん気安い皇族もいたものだ──。


(つまり私ってば、異国の皇子様と閨をともにしたってこと!? ひえー! まぁ、何も無かったけどさ……)


 もし、そうと知っていたら、私はどうしただろうか。

 なにも変わらなかった気もするし、気後れして正気で居られなかったかもしれない。何せ私ときたら容姿も普通、特技も二胡だけの平凡を絵に描いたような妓女なのに。彼にとっては女の容姿よりよっぽど、故郷をしのぶ一時の癒しの方が重要だったのだろうか。


「公羊様とお付きの武官と、それから遊び人の白陽様はね、ここのところ界隈でちょっとした有名人なのよ。あの三人組はね、『皇帝陛下の何でも屋』なんですって」

「こ、皇帝陛下ぁ?」

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