羊は逃げる 1

 眠る玉蘭を寝台へ横たえながら、公羊は自分の中にまだ罪悪感と呼べる感情が残っていたことに気付いた。


 茶に混ぜた薬のせいで眠る彼女は、たぶんきっと、楼主に叱られるだろう。かような室まで与え、充分にお膳立てしたのに、まさか客に逃げられるとは思ってもいないだろう。金花楼の妓女として名折れだと、二度と働けないようにされてしまうのだろうか。


 ──それなら別に、あのまま抱いてやっても良かったのではないか。


 そんなふうに考える自分もいる。

 どうせ、いつもと同じく眠れぬ夜を過ごすのなら、友にそそのかされたとおりに女で発散するのも悪ではないだろう、と。


 甘い女の香りが満ちたどこまでも官能を誘う妓館の、極上の一室に、愛らしい少女と共寝をして。なにもせずに夜を明かしたなどと言えば、友はきっと公羊の奥手を嘲笑うだろう。もしくは、不能を疑われるか。


 別に、奥手でも不能でもない。揶揄われるのも癪だ、証明してやってもいいが──


 公羊は即座にその考えを振り払う。


 ──万が一が起きてはいけないのだ。

 万が一、秦青の女を孕ませてしまったりなどしたら。


 玉蘭の首に、公羊の手がかかる。細い首だ。力を込めれば、簡単に折れてしまいそうなくらいの。


「ん……」


 寝苦しそうに呻く玉蘭から手を離して、公羊はその寝顔に見入った。


 快活で、したたかな少女だった。

 秦青の女というのは、こんな少女ですら己が力で生きる術を持っているのか。

 それとも、妓楼という特殊な環境が、少女をこのようにしたのだろうか。


 酒の抜けきらぬ頭でぼんやりと考えているうちに、空が白んできたのがわかる。もう間も無く、夜明けだ。


 時間だ。早くここを抜け出さねば。


「……すまなかった。良い音をありがとう」


 薄すぎる朱の襦袢を纏う肩が冷えぬよう、かけ布をひきあげてやる。

 ぬくまった室を出ると、澄み切った明けの空が見える。


「公羊様」


 物陰から、鍛えられた体躯の男がひっそりと姿を現した。


「悪い、待たせたな、靖林リンジン

「随分遅いので、心配いたしました」

「ああ、すまん……少し、寝ていたかもしれない」

「本当ですか?」


 靖林は前髪の隙間にのぞく目を見開いて驚いた。


「あの妓女のせいですか? ……もしや、お手をお付けになられたので」

「いや。二胡を弾かせて、俺は茶を飲んでいた」

「はぁ、なるほど……たしかに、夜中弾いてましたね。良い音でありましたが──彼女は?」

「薬で寝かせた。……間違いがあってはいけないからな」


 左様で、と靖林が頷いて、公羊の肩に外套を被せる。


 階下に降りると、今しがた起きたばかりという様子の男が、おおあくびをしながら公羊の前に立つ。ちらりと流し目をよこして、男は微笑んだ。

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