第5話候補生の呪い

「僕の……名前は……」

名前を思い出すことができない。元の世界で出会った人々の名前や、顔は鮮明に思い出すことができるというのに、自分の名前と顔を思い出すことができない。どんなに記憶を辿っても、靄がかかったように視界がぐらつく。それでも無理に思い出そうとすると、強烈な頭痛が襲った。痛みのせいか呼吸が定まらなくなり、意識がぼやけていく。


「しっかりしてくださぁい! 私の事をじっと見て、ゆっくりと息を吸ってくださぁい!」

そう言って京子が僕の背中をさすってくれた。京子に言われた通り、彼女の事をじっと見つめて意識を彼女に向ける。こんな激痛の中でもどこか脳というものは能天気なようで、美少女と睫毛と睫毛が重なりそうな位置にあるなとぼんやりと思ったが、このシチュエーションを楽しむ余裕はない。

しばらくすると痛みがゆっくりと収まっていった。それでも鈍痛が残響音のように頭にこびりついて離れない。思わず頭を抑えて地面にしゃがみ込んだ。人前でしゃがみ込むなど普段は恥ずかしくてできないが、そうも言っていられない。この痛みは一体なんだ。


「多分それが、貴方の呪いなんだと思います。だから無理に名前を思い出そうとしないでください。ね?」

「呪い……? 呪いって一体なんのことですか……」

「候補生の呪いと私たちは呼んでいます」

候補生の呪い……?そんなものソレも受付嬢も教えてはくれなかった。いや、道中でソレが長話の合間になんとなくそれっぽいことを言っていたような気はする。記憶の糸をゆっくりと辿り、候補生と呪いという二つのキーワードを脳内で検索していく。


「そういえば……あの執事もどきがなんかいっていたような……」

「執事もどき? あぁ、あの麻袋さんのことですね!」

どうやら京子はソレの事を麻袋さんと呼んでいるようだ。たしかにソレは頭に麻袋をかぶっていたし、決して間違ってはいない。間違ってはいないのだが、響きがなんだかシュールな感じがする。

「麻袋さんがいった通り、私たち候補生は力と引き換えに何かしらの誓約を負うんです。たぶんですけど、貴方の場合は……名前が思い出せないってことと、顔が思い出せないんですよ、きっと!」

なるほど。だから名前と自分の顔を思い出そうとすると頭痛がしたのか。しかし、なぜこんな呪いなんてものを候補生は負わなくてはいけないのだろう。仮に戦闘中に呪いのせいで戦えなくなったり、動けなくなったりしたら一大事だろうに。


「たぶんですけど、王国の作った保険なんだと思いますよぉ。ほら、私たちって一般人よりも強いですから。反抗されたら大変ですし」

「……?」

先程から、京子の話し方に違和感を感じる。それがなんなのかは形容できないが、こう……妙に勘が鋭いというか察しがいいというか。僕が心の中で浮かべた疑問に、僕が質問する前に答えているし。勘や直感が鋭いというよりは、もはや超能力の域だ。

思えばさっきの会話もそうだ。なぜ僕が名前と“顔”を思い出そうとしたことがわかったのだろう。名前を思い出そうとしていることは互いに自己紹介し合っていたわけだから簡単に察せるだろうが、顔を思い出そうとしていることまで察せるものなのだろうか。


「どうかしましたか?」

「あ、いえなんでもないんです。すみません、ちょっとぼーっとしちゃって」

思い切って感じた違和感について聞いてみようかと思ったが、さっき知り合ったばかりの相手に突然「勘がよすぎませんか」だなんて聞けるほど、僕は無神経ではない。

……よく考えれば別にどうだっていいことだ。京子の勘が鋭いからといって、僕になんの迷惑がかかるというのだろう。

そう考えて僕は自分を納得させる。それに、こんなに可愛くて優しい子が僕のことを察して色々動いてくれるなんて、むしろ嬉しいことじゃないか。


「----そうだ!よかったら学舎の中を案内しますよ、私。せっかくですから、お友達になりませんか」

ニパーッという擬音が似合いそうな屈託のない笑顔を浮かべながら、京子は僕にそう提案する。案内をしてもらう分には構わないが、急に友達になろうといわれるとは思っても見なかった。僕はその唐突な申し出にどう答えればいいのかよく分からず、思わず眉をひそめた。別に友達になるのが嫌というわけではないが、異性からそういわれれば誰でも訝しむだろう。

それに僕は女の子と話すのが苦手だ。友達になった後に話が合わなくて気まずくなるのは目に見えている。どうしたものか。


「ダメ……ですか?」

そう言って京子は悶々と考え込んでいる僕を上目遣い気味に見上げてくる。申し訳なさそうに縮こめられた両肩がいじらしい。ぶりっ子がやりそうな、あざといはずの上目遣いなのに、京子のそれは“天然ものの可愛さ”があふれ出ていて、僕の脆弱な理性はグラグラと揺れる。

どうせ後で気まずくなるんだから断れという理性と、行け!行け!とだけ喚き立てる本能とがぶつかり合い、結局僕の出した答えは----

「こちらこそよろしくお願いします、京子さん」

----だった。結局理性よりも美少女と友達になりたいという名の下心満載の本能が勝ってしまう。内心後悔しながらも作り笑いを浮かべて見せた。

笑顔を作るのってこんなに難しかったかと思えるほどに、表情筋がパリパリという音が出そうなくらい強張っているのがわかる。


「うわぁ!やったぁ!すっごく嬉しいです!これからお願いしますね、えーっと……貴方さん!」

「あはは……どうもです」

どうやら僕の京子からの呼び名は貴方さんに決まったらしい。貴方さんの”ん“を”ま“に変えて、貴方“さま”と呼ばれたいな、などとぼんやり考えてしまうあたり、やはり僕も思春期男子なのだと思える。


「それじゃぁまずは連絡先交換しませんか」

「連絡先ですか? どうやれば……」

「じゃあ、私の真似してくださぁい!」

「了解です」

そう言って京子は手をグーの形に握り、僕に向ける。真似をしろといわれたので僕も同じく手をグーの形に握った。

「よいしょ〜」

気の抜けそうなふわふわとした「よいしょ〜」という掛け声と共に、彼女はグーの形に握った手を僕の手に軽くコツンと合わせた。

僕の目の前に勝手にステータスが画面が現れ、『京子・テーベ・ウィンストンをトモダチ 登録 しますか』というSNSアプリのような認識画面が表示された。驚きつつも僕は『YES』を選択する。


「これでいつでも連絡できますね!それじゃあ学舎の中見て回りましょうか」

僕が登録を終えるや否や、京子は僕の手を引っ張るようにして歩き出した。不意に引っ張られたとはいえ、こんな小柄少女がこんなにも軽々と男を引っ張れるのだろうか。もしも候補生ステータスによる恩恵なのだとしたら、筋力ステータスは僕よりも高いのかもしれない。


「あ……急に引張ちゃってごめんなさい……驚きましたよね。ごめんなさい、私……嬉しくなるとつい周りが見えなくなっちゃって」

「いや、全然。気にしてませんから」

「優しいんですね、貴方さんって………」

「そんなことはないですよ、別に。じゃ、じゃあそろそろ案内をお願いします」

「そうでしたね!じゃあしゅっぱぁつ!」


背筋がぞわぞわとしてくる。急に引っ張ったことを謝ったかと思えば、急に元気に「しゅっぱぁつ!」などと抑揚たっぷりに言う。

その可愛らしい外見と相まって、ひどくちぐはぐで奇怪に思える。……忘れていたが、候補生は全員“自殺者“と”自業自得で死んだ“若者だ。

僕は額を伝うじっとりとした脂汗を手で拭い、彼女に引っ張られながら階段を降りていった。










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