第3話 異世界生活の始まり

「ホテル…?」

「いえ、学舎でございますよ? 候補生殿」

それが学舎の中を見た時の僕の感じた第一印象だった。エントランスには受付カウンターと受付嬢が立っているし、そのカウンターの前には来賓用であろう高そうなソファとテーブルまで置かれている。学舎の壁や床は乳白色をした大理石でできているようで、余計に高級ホテル感が増す。おまけに駄目押しだ、とでもいいたげに天井からは大きなシャンデリアまでぶら下がっているという始末。いくらなんでも豪華すぎやしないだろうか。


「えっと。僕はこれから何をすれば……」

「あちらのカウンターにて手続きをお願いいたします。なに、ご心配には及びません。私が全霊を持って手続きをサポートいたします! なんでしたら手を握って差し上げましょう!」

「あ、結構です。階段のとこで待っててください。どうせ部屋は上でしょ」

「かしこまりました」

ソレの提案を丁重に却下しつつ、僕は受付へと向かった。


「ようこそ最後の候補生様。ヒュンノム王国は貴方を心より歓迎いたします」

受付嬢はそう言ってにっこりと笑顔を浮かべると、馴れた手つきで小さな木製のサイコロ1つと1枚の紙切れを広げた。

「何か書くものはお持ちでしょうか。そうでなければ代筆いたしますよ」

そう言って受付嬢は羽ペンとインクをカウンターに置いた。僕でも書けるかなと思い、試し書きをしてみたが手がインクだらけになってしまう。……最悪だ。どうにも漫画やアニメのように上手くはいかないらしい。手にこびりつくインクの感触が気持ち悪い。

ボールペンか何かがあればいいのだが、あいにくとこの世界にはボールペンは無いようだ。

「えーっと……すみません。代筆、お願いします……」

「クスクス……畏まりました。では質問を致しますのでお答えください」

「……」

受付嬢は口元を人差し指でそっと抑えながらクスクスと笑った。気恥ずかしくなって僕は思わず顔をしかめる。というか……人の失敗を笑うなんて無礼だ。そもそも最初から僕に聞かずに黙って代筆すればよかったんだ。僕が彼女の無礼さに苛立っていると、彼女は淡々と書類に書かれているのであろう幾つかの質問を僕にしてきた。

「死亡理由をお聞かせ願えますか?」

「飛び降りたんです」

「投身自殺、ということでしょうか。理由などもお聞かせ願えますか?」

「別に……ただなんとなく……つまらなくなったんで飛び降りたんです。何もない日常が退屈でしょうがなくて」

「ふむふむ……では最後の質問です。後悔はしておられますか?」

「全然? むしろこの世界に来れてラッキーですよ」

「えーっと……よし。これで候補生証明文は完成です。では、こちらのダイスをお振りください」


いくつかの奇妙な質問を終えると、受付嬢はカウンターに置かれたサイコロを指差した。手にとって見てみると、20までの数字が書かれている。いわゆる20面体サイコロだ。

「これを振ればいいんですか」

「はい、そっと振って頂くだけで十分ですので、優しくお願いいたします」

言われた通り僕はそっとサイコロを振る。放り出されたサイコロは駒のようにクルクル回ると、ゆっくりと動きを止めた。出目は……

「20ですね。おめでとうございます。候補生の歴史上2人目の最大値です」

「僕が最大値!?や、やった---熱っ」


喜ぶのも束の間、焼けるような痛みが走った。反射的に確認してみると、右手の手の甲に火傷のような痣ができている。熱はどんどんと増していき、僕は思わず右手を抑えたが痛みは増すばかりで、僕はただ歯をくいしばることしかできない。

増していく痛みに思わず膝をつきそうになった頃、不意にスーッと、嘘みたいに痛みが無くなった。

さっきまでの痛みが全くなく、むしろ全身が軽くなったような万能感さえ感じられるほどだ。

恐る恐る手の甲を見てみると、なにかの花のシルエットのような赤黒い痣が浮かんでいる。そのシルエットはチューリップやひまわりみたいによく見かける花とは違うようで、なんの花かはわからない。一体なんの花なんだろう。


「それは候補生の証となる紋章でございます。候補生様方一人一人を象徴する、その方にぴったりな花が“咲く”のです」

「花、ですか」

なら、これは僕にぴったりな花ということか。シルエットを見るに花びらは小さく、雫のような形をしている。花に特に詳しいわけでもない僕には何を象徴しているのかはわからない。

「----では、こちらが現在この学舎におられる他の候補生様方の名簿になります。部屋は7番目の部屋をお使いください。2階に登って右端にございます。部屋の鍵は紋章をかざしていただければ開きますので。それでは、良き日々をお過ごしくださいませ」


僕は軽く会釈をしてから、貰った名簿を片手にソレが待つ階段の前まで向かった。階段を登りながら腕や首を軽く動かしてみる。……さっき感じた万能感はいつのまにか消えているし、身体が特に変わった感じもしない。

「いかがなされましたかな、候補生殿」

「なんか……身体に変化が無いなって……」

最大値が出たとかいう割には何かこう、超人になったような感覚や、エネルギーが溢れ出すような感じは全くしない。そもそもあのサイコロを振るという行為に何か意味はあったのだろうか。まさかとは思うが、いわゆるげん担ぎのような迷信かなにかを基にした単なる風習だったということもあり得る。しかし、だとしたらさっき確かに感じた、あの万能感はなんだったのだろうか。


「あぁ、そういうことですか。候補生殿、花の紋章にお触れになってください」

「触れればいいんですか?」

「はい。お触れになったあと、そっと擦るのです」

言われるがまま左手でそっと紋章に触れた。ソレの口ぶりからして、やはりあのサイコロには何かちゃんとした意味はあったようだ。僕はなにかが起きてくれることを願いながら紋章を擦った。


「わっ!? な、なんだこれ。 ステータス画面?」

目の前のなにもない筈の空間に、ゲームでよく見るステータス画面のようなものが表示された。軽く手を画面の前で上下させると、スクロールさせることもできる。色々な項目があるようだが、まずは上から順番に見ていくことにした。


HP:20

レベル:20

残りボーナスポイント:20

身体ステータス

筋力:1 持ち上げることのできる重量の最大値

耐久:1 耐えることのできる衝撃の最大値反射神経の速さ

精神:1 精神的負荷への抵抗力の最大値

スキル:情報収束


最初に目に入ったのは身体ステータスだった。レベル20でHP以外オール1。レベルだけは立派だがソレ以外はあまりにも貧弱だ。これが僕の素のステータスだというなら我ながら情けなくて泣けてくる。たしかに元の世界では特に運動もしてこなかったが、幾ら何でもひどすぎる。

これらのステータスにボーナスポイントを割り振るということだろうか。そうでなくちゃ困る。こんなステータスでは魔王軍と戦う云々の前にきっと何かの弾みで死んでしまう。

せっかく異世界に来たというのに、あっという間に死んでしまってはつまらない。それだけは何としても避けたい。仮に死ぬとしてもこの世界を謳歌してからだ。


「なんか、身体ステータスってのが表示されたんですけど……例えばこの筋力1ってどれくらいのものなら持てるんですか?」

「では、僭越ながらご説明させて頂きます」

ソレにステータス値の表す意味を聞くことにした。筋力1で1kgの物までしか持てないなんて言われたらどうしよう。非力すぎて日常生活もままならなくなる。

「候補生殿にわかりやすいように、候補生殿のおられた世界の単位でご説明しますと、筋力1で片手で100kgのものを持ち上げることが可能となり、耐久1で100kgの衝撃を物ともせずに跳ね返します!! 正に超人!! 正に切り札!! 人類の至宝!!」


わかったから一々騒がないでくれ。学舎の構造のせいか無駄に声が響く。この先ずっとソレが僕に付いて回ることがないことを願うしかない。こんなうるさい奴と一緒にいたら3日も持たずにストレス死する。

……それにしても、片手で100kgとは恐ろしい。バーベルの重量挙げの世界記録は500kgだと聞いたことがあるが、たった5ポイント割り振るだけでトップアスリート並みの筋力になるわけだ。仮にボーナスポイントを全て筋力に割り振れば片手で2000kgも持てるということだ。乗用車一台が約1600kgらしいから、車だって振り回せるじゃないか。

たぶんだが、さっき感じた激痛は、身体能力を急激に弄られたせいで感じたのだろう。言うなれば成長痛のようなものだ。

その後に感じた万能感は、候補生としての能力が目覚めたからだと思えば色々と納得がいく。


「それと……HPにボーナスポイントを割り振ることはできかねます。HPは筋力と耐久の合計値の10倍で決定されますゆえ。そして……いかに候補生様方といえど、HPが0になるほどのダメージを負えば----」

「あーはいはい、HPが0になるとマズイんでしょう?大丈夫です、そこまで無茶しませんから」

ソレの話が長くなりそうなので、話を遮って部屋に向かった。

どうせHPが0になれば死ぬとかそう言う話だろう。それなら死なないようにコソコソと立ち回ればいいだけだ。正直に言って今の僕の頭には、ステータスをどう割り振るかしか興味がないし、それしか考えたくない。

さて、どうやってステータスを割りふろうか。そんなことを考えながら紋章をドアの前で

掲げる。カチャッという金属と金属が擦れ合う軽快な音と共にドアが開き、僕は部屋に入った。

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