子供

 和臣が出ていってしばらく。

 もう人生ゲームはやめて、清香ちゃんと黙ってテレビを見ていた。お姉さんはまだ電話をしていて、淡々と話をしている。


「.......葉月お姉ちゃん。大丈夫だよ、和兄前も消防団行ってたもん。すぐ帰ってきたよ」


「.......ええ」


 清香ちゃんに心配されている。自分が今どんな顔をしているのか分からなかった。

 頭では何も問題ないと分かっていても、どうしても今日は胸がザワつく。なにか、和臣に良くないことがある気がする。


「え?」


 こんこんっと、外から音がした気がする。廊下に出て、窓を見ても雨戸が閉まっていて外は見えなかった。


「葉月お姉ちゃん?」


「今、何か聞こえなかった?」


「風じゃない? お部屋戻ろ?」


 また、こんこんっと音がした。


「ほら、今も!」


「風だよ。葉月お姉ちゃん、あんまりそういうのに構っちゃダメなんだよ、よってきちゃう」


 胸がざわざわと騒がしくて、外が気になる。


「葉月お姉ちゃん! 絶対に開けちゃだめ!」


 窓に伸びた手を、清香ちゃんが引っ張る。


「お部屋戻ろ! 静香お姉ちゃんの近くにいれば怖くないよ!」


 手を引かれ部屋に戻るが。声を、聞いた。


「和臣! 和臣の声がしたの!」


 だっと走って窓を開ける。雨戸を引けば。


「.......和臣?」


 小さな男の子が、立っていた。


「え?」


 気がつけば窓は閉まっていて、清香ちゃんもお姉さんもいない。廊下には私と男の子だけがいた。


「.......和臣? あなた和臣でしょ」


 男の子は、この間お姉さんに見せてもらったアルバムの中の和臣にそっくりだった。


「俺のこと知ってるの?」


 目を見開いた男の子が、上目使いで私を見る。

 少し、きゅんっとしてしまった。


「.......ええ。私のこと、わからない?」


「.......ごめんね。お姉ちゃんのこと、覚えてないみたいだ」


 眉を寄せて悲しそうに謝る小さな和臣。


「そう。いいの、私は葉月よ。ねえ、どうして外にいたの?」


「葉月ちゃんか! 俺ね、母さんと隠れんぼしてたの。そしたら、姉ちゃんに見っかって鬼ごっこになった!」


 にこにこと話す小さな和臣は、なんだか女の子みたいで可愛かった。


「そうなの。でも、外は台風でしょ、危ないわよ」


「? 晴れてるよ?」


「え?」


 窓を見れば、雨戸は開いていて青い空が見えていた。


「葉月ちゃん、遊ぼ!」


 にかっと笑った小さな和臣に手を取られて、廊下を走る。


「葉月ちゃんは女の子だから、オセロやる? 俺強いんだ!」


 そのまま和臣の部屋に入って、オセロを持ち出してくる。和臣の部屋は、この間来た時とは随分違った。なんだか小さな物でごちゃごちゃしている。木の実とか、石とか。折り紙もあった。


「葉月ちゃん、先やっていいよ」


 そのままオセロをやれば、小さな和臣は負けても楽しそうだった。


「次何する?」


「ねえ。和臣、あなたどこか怪我とかしていない?

 私、今日ずっと嫌な感じがするの」


 さっきまで忘れていた胸のざわつきが戻ってきて、急に不安になった。


「怪我? してないよ」


 膝小僧や肘を確認する小さな和臣を見て、なんだかやっぱり不安になった。


「本当? 変な所はない?」


「うん! ねえ、葉月ちゃん! 庭にどんぐり埋めに行こうよ、この間山から拾ってきたんだ」


 にこにこと小さな和臣に連れられて、庭に出る。いい天気で、雨など降った跡もなかった。


「.......和臣、なんだか変な感じはしない? 大丈夫?」


「うん。葉月ちゃん、怖い?」


 土を掘っていた小さな和臣が私を見上げる。今の和臣と同じ、丸い瞳で。和臣と同じ言葉で。


「.......そうね。怖いの」


 小さな和臣の頭に手を伸ばして、ゆっくり撫でる。柔らかい子供の髪をゆっくり撫でる。


「あ」


 小さな和臣が手に持っていたシャベルを落として、私を見た。


「葉月ちゃん、ずれちゃったんだ。葉月ちゃん、力強いから、ここに来ちゃったんだね」


「え?」


 小さな和臣に手招きされて、屈んで目線を合わせる。


「葉月ちゃん、名前は大事にしなきゃ。繋がっちゃうよ?」


「え.......」


 小さな和臣の目を見て。今まで感じなかった違和感が襲ってくる。なぜ小さな和臣がいるのか。清香ちゃん達はどこへ行ったのか。ここはどこなのか。


「じゃあね。遊んでくれてありがとう」


 とんっと小さな手が私を押した。

 肩にどろりとした感触を感じる。それが怖くて。

 小さな和臣に手を伸ばせば。


「.......」


 小さな和臣はにかっと笑って1歩下がった。

 背中やお腹にまでドロドロとした何かがまとわりついてくる。怖い、怖いのだが。

 そのドロドロとした何かに、思い切り肘を叩き込んだ。殺られる前に殺る。たとえ殺せなくても、せめて一矢報いてから。


「ぐえっ」


 はっと気がつけば、嵐の中。窓の外にいた。


「葉月.......俺死んじゃう.......」


 涙目の和臣が地面にうずくまっていた。


「葉月お姉ちゃん! 窓は開けちゃダメ!」


 バタバタと清香ちゃんが廊下へ出てくる。


「.......え?」


「あれ、和兄! 帰ってきたの、ってドロドロ! 汚い!」


「.......だから玄関から入るのやめたのに.......」


 和臣はドロドロのまま項垂れていた。

 家の中からガシャーンと音がして、廊下にお姉さんが走り出てきた。


「和臣が池に落ちたって! 私行ってくる!」


「姉貴、俺ここ」


「あのバカ! こんな天気に.......!」


「姉貴、姉貴。俺帰ってきてる。タオルちょうだい」


「静香お姉ちゃん、和兄ここにいるよ?」


「.......え? 和臣! だって、今後藤さんから!」


「落ちたの公園の浅い池だから。ドロドロになったよって電話だろ? 玄関から入れないから窓開けてって言ってなかったか?」


「.......」


 お姉さんはすっと視線をズラした。慌てて電話を切ったのかもしれない。


「.......清香、タオル持ってくるの手伝ってちょうだい。それから、なんで葉月ちゃんは外にいるの?」


「わ、葉月お姉ちゃんもドロドロになってる! 和兄触ったでしょ! 最低!」


「ひどい.......結構本気で連れ戻したのに.......体力も霊力もすっからかんなのに.......」


「「はあ?」」


 2人はタオルを取りに行ってしまった。


「.......和臣、今、私」


 訳が分からないが、和臣に手を伸ばした。


「葉月、俺ドロドロだから。とりあえず家入りなよ、ドロドロにして悪かった」


 廊下に上げられて、座り込む。和臣は外でドロドロのレインコートを脱いだ。中の服はもっとドロドロだった。


「葉月、ずれちゃったんだな」


「そ、そうよ。今のは何? あ、それより和臣は平気なの? 怪我はない?」


「まだ混乱してるな? ちょっと落ち着け」


 和臣が靴と靴下を脱いで廊下に上がる。きっちり雨戸と窓を閉めて、屈んで私に目線を合わせた。


「もしかしたら今日ずっとずれかけてたのかもな。気づかなくてごめん。でも葉月、向こうで名前言っただろ。ダメだぞ、帰れなくなる。俺が無理やり引っ張れる範囲で良かった」


 何やら1人で頷いている和臣を見て、大きくなったな、などと思ってしまった。


「.......小さい和臣に会ったの。それで、たぶんだけど。帰してくれたのよ」


「.......ああ。じゃあ軸がずれたんだ。間に合って良かった.......」


 急に顔を下げた和臣が心配になって、そっと頭を触った。ぐっしょり濡れていて、泥でジャリジャリだった。


「.......葉月、葉月がさっき行った場所はな。こことは違うこの家なんだ。俺達はみんな今に対する軸を持ってて、それでこの世界に立ってる。でも葉月はさっきそれがずれて、今とずれた場所に行っちゃったんだ。本当に、戻って良かった.......」


 ぎゅっと目を閉じている和臣の頭を撫でる。小さな和臣より柔らかくなくて、ドロドロだけど。私が好きになったのは、この人だった。情けなくて泣き虫で、たまにかっこよくて。結構優しくて。ずっと隣りにいたいと思った人だった。


「和臣」


「.......なに? もう本当に名前言わないでよ、俺だってギリギリだったんだぞ」


 よく見れば泣きべそをかいている和臣をぎゅっと抱きしめる。


「だって和臣なんだもの。和臣が私の名前を知らないなんて、許せないわ! 」


「.......かっこよ可愛いけど、ダメだぞ.......名前は大事にしなきゃ.......」


 なんだか今ならいつも笑われているのをやり返せるきがして、和臣の耳元で呟いた。本当の気持ちを込めて。


「戻してくれてありがとう。大好きよ」


「ぴっ!」


 謎の音を鳴らして固まった和臣に抱きついて、やってきたお姉さんにお風呂に入れられた。

 和臣はその後ぱたんと寝てしまい、清香ちゃんにドロドロだとずっと文句を言われていた。


「このバカ、本当に霊力すっからかんね。葉月ちゃん、本当に今からずれちゃってたの。.......このバカが間に合って良かったわ。無理やり今に引き戻すなんて、相当な力技だから」


「葉月お姉ちゃん、大丈夫?」


「ええ」


 ドロドロな和臣の手を握って、私のおバカが起きるのを待つ。


「.......清香、もう寝ましょうか」


「ええ! だって和兄まだドロドロだよ?」


「もうしょうがないわ。葉月ちゃん、このバカが起きたらお風呂に入るよう言ってね。起・き・た・ら・。おやすみ」


「.......葉月お姉ちゃん、おやすみ」


「おやすみなさい」


 大きな和臣の手を握って、大きな和臣の顔を見る。


「.......和臣って昔は可愛いかったのね。女の子みたいだったわ」


「.......うっさい」


 狸寝入りのおバカは、顔を赤くしていた。でも、私の手は離さない。


「あら、今も可愛いじゃない」


「.......」


 今日は私の勝ちのようだ。

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