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 津田塾大学へは、最寄りの鷹の台駅から玉川上水沿いの細い道を歩いていく。

 脇に並ぶ広葉樹の葉を黄緑色に透かせながら、春のやわらかな木洩れ日が、玉川上水の澄んだ水を輝かせていた。


 落ち葉が流れていく。

 遥香は自分のようだと思った。


 母親が


「浪人しなくていいんじゃない?」


 と言ったこともある。

 それに遥香は一刻も早く母親からは距離を置いたほうがいいと考えた。母親の近くにいる以上、「自分」というものを理解することができないんじゃないかと考えた。


 遥香は不本意ながら津田塾大学の英文科に通うことを選んだ。

 国際関係学科も合格はしていたのだが、漫画家になるのであれば、文学の勉強がしたいと思った。




 大学進学を決め、遥香が東京に到着したその日は曇り空で、新幹線の窓から見えるビル群をいっそうグレーに見せた。以来、遥香の中での「東京」のイメージはいつも灰色だ。

 大学入学というハレの日に「東京」という街が、遥香を喜んで迎え入れてくれたという印象は全くない。

 蛍光灯の白々しい灯りで照らされた新幹線改札を出て、丸の内側にある一番線へと向かう。オレンジ色の中央線に乗り込み、30分ほど揺られているうちに、武蔵境、東小金井、武蔵小金井あたりで電車に乗っていることに飽きる。眠くなってうとうとしようかという頃に、国分寺に着くのには、武蔵野に住んでいる間中、慣れなかった。


 遥香は国分寺駅と大学とのちょうど中間地点に下宿を借りた。

 近所の畑に植えられていたのは多分小松菜だと思う。蕪なんかもあったのかもしれない。畑の隣に据え付けられた直売所には売っていたのは見た。


 大学へは、下宿から自転車で通った。

 府中街道をまっすぐ漕いでいくと、こんもりとした深い緑が見えてくる。木々で囲まれた敷地に入ると正面に、赤い三角屋根に薄い黄色のレトロな校舎がある。1900年に津田梅子によって創立された木造の学舎はレトロでかわいらしい。焦げ茶色を通り越してほぼ黒くなってしまった床板や、白い塗装が剥げた窓枠のある教室に入ると、小学生の頃を思い出し、懐かしい気持ちになった。

 母親から、そして母の好む「優等生であること」   自 分   から逃れるためだけに、希望ではない大学を選んだ遥香とって、大学進学自体は心躍るものではなかった。入学式にも、賛美歌を歌うことに驚いたぐらいで、大した感動もなかったが、唯一、この校舎で授業を受けることには心が和んだ。


 歴史が感じられる校舎は遥香のお気に入りであったものの、授業の内容は嫌いだった。

 遥香は「文学」を勉強したかったはずなのだが、重視されるのは「英語」の能力だったからだ。

 英語の読み書きはまだよかったが、ヒアリングとスピーキングの授業は地獄だった。

 英語の映画を字幕なしで観られるようになることの何が楽しくて、どこで役立つのか全くよく分からなかったし、関西弁訛りのたどたどしい英語を公衆の面前で話すのが、遥香にとっては苦痛でしかたがなかった。

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