津田塾大学物語
江野ふう
1
母親に。そして何より自分に怒っていた。
大学受験に失敗した。
第一志望の東京大学に落ち、第二志望の早稲田大学に落ち、合格したのは第三志望の津田塾大学だけだった。
こうなることは、受験する前から自分でも薄々分かっていた。模試での東京大学への合格判定はよくて「C」だったのだし。
模試の問題文が読めなくなったのは、高校二年生の冬だった。字面を追っても文章が頭に入ってこない。何度度読み返しても三行前に何を書いてあったか忘れてしまう。
今から思えば、あれはうつ病だったんじゃないかと思うけれど、当時は心療内科というものがあるとは知らなかったし、「心の風邪」だなんて、今ほどポピュラーな病気でもなかったと思う。
体調不良の原因には、二つ思い当たる。
ひとつは単純に寝不足。
県下随一の進学校に高校から編入し、勉強をする合間を縫って、一心不乱に小説を書いていたものだから、寝るのは毎日朝の5時だった。
高校三年生の秋には、起き上がれなくなり、学校には二、三日に一回しか行かなくなった。日がな一日ベッドの上で唸ることしかできなくなっていた。
ベッドの上で唸りながら、遥香が悶々と悩み続けていたのは進路の問題だった。公務員になってほしいと希望する母親と、漫画家になりたい遥香自身の希望が、身体の中で鬩ぎ合っていた。これが体調不良のもう一つの原因だった。
「あなたには公務員が合ってると思うわ。弁護士とか」
母親は遥香に事あるごとに言っていた。
すでに世帯も別となり、大人になっているにも関わらず、つい先日も、
「あんたには国際公務員とかになってほしかった。向いてると思ってたわ」
と言うほどだ。
母親は何を以って自分が公務員に向いていると言うのか遥香には未だに全く分からない。今では失笑で済ませられるが、未成年だった当時の遥香とって、母親との意見の相違は一大事だった。
母親の理想は絶対だった。
しかし、その理想は、自分の希望と違う。
母親の理想通りの
遥香には「自分自身」が分からなくなっていた。
自分を言いなりにしようとする母親に腹が立った。
一方で、母親の言うことが聞けない自分にも腹が立った。
さらに、母親の言いなりになろうとする自分にも腹が立っていた。
「自分」というものがない自分に腹が立った。
――てゆーか、「自分」というものがない自分って誰?
――「自分」は誰に腹立ててんの?
――てゆーか、「自分」って何?
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