第285話 石言葉

 どうしよう、何か真由美さんの機嫌を直す手段は…


 それを考え始めた矢先、自分のバッグに入っている「あれ」のことを思い出す。


 …そうだ、これを渡せば…でも…


 勿論これを渡すことについては問題ない。本当は次の食事会にするつもりだったけど、別に拘る理由はないし、単に前倒しになるだけだ。

 寧ろそれより問題なのは、まだ本命を沙羅さんに渡してないってことの方。

 やっぱり俺としては、誰よりも先に沙羅さんへ渡したいし、誰よりも沙羅さんを優先したい。

 でも現状で他に代案が思い浮かぶ訳でもないし、そもそも時間的な余裕もなさそう。

 そしてこのまま傍観していたら、まず間違いなく沙羅さんは怒り出してしまう。

 それどころか最悪、親子喧嘩に発展してしまう可能性だってある。


 だからもう、これは仕方ないと割り切るしかないか…沙羅さんには、後でいっぱいフォローしよう。

 

「あの、真…お義母さん、これを」


 俺がバッグから取り出したのは、ちょっと形が歪になった、包装紙にくるまれた小さい「何か」

 説明を聞きながら丁寧に包んだつもりだったけど、こうして改めて見てもやっぱり不恰好だ。

 でも中身は丁寧に作ったつもりだから、そんなに悪い物ではない…筈だ…多分。


「…えっ?」


 俺が差し出した「それ」を見て、呆然とした表情を浮かべる真由美さん。パチパチと瞬きを繰り返しながら、俺の顔と「それ」の間で、視線を何度も何度も行ったり来たりさせている。

 今まで真由美さんのこんなリアクションを見たことがないから、これは素で驚いているんだろうな。


 ちょっと微笑ましいかも…


「え…その…私、に?」


「…はい。受け取って下さい」


 真由美さんはまだ信じられないという表情を見せているけど、それでも俺が差し出したそれにおずおずと手を伸ばし始める。

 そのままそれを手に取ると、もう一度俺の顔を見た。


「…一成くん、開けても、いい?」


「はい」


 俺が頷くのを確認すると、どこか緊張した面持ちで包装紙のテープを丁寧に外していく真由美さん。そして包装紙も綺麗に剥がしていくと、最後に出てくるのは勿論あのブローチだ。


「…ブローチ?」


「すみません…工作は慣れてなくて、あんまり綺麗じゃないかもしれませんが」


「えっ…か、一成くんが作ってくれたの!?」


「っ!?」


「は、はい」


 どこかアンバランスに見える不恰好なブローチ。それをまるで、壊れ物でも取り扱うように、真由美さんはそっと両手で包み込むように持ち上げた。

 そのまま顔の高さまで持ち上げると、ブローチをマジマジと眺めながら…

 そんなにじっくり見られてしまうと、色々と粗が目立っちゃいそう。


「その、ホントに簡単なものなんですけど…」


「…着けてもいい?」


「あ、どうぞ」


 真由美さんは何故か少し慌てたように、上着の左胸付近にブローチを着ける。

 単なるビーズで出来ただけの、本当に簡単な作りのブローチ。でも身に着けたのが真由美さんだからなのか、安っぽいながらも、どこかそれなりの出来に見える…と思う。


 いや、こうして見ると、思っていたよりいいかも。完全に俺の自己満足だけど。


「ふふ…ふふふ…んふふふ…」


 自分の胸元で自己主張をしているブローチを眺めながら、真由美さんが笑い声を漏す。

 嬉しそうに楽しそうに満面の笑みを浮かべながら、指で何度も触ったりなぞったりを繰り返していた。


 …良かった、喜んでくれたみたいだ。どうやら機嫌も直ってくれたようだし…これで、ひと安心…


「ねぇねぇ、一成くん、似合う? 似合う?」


「え、ええ。せめてもう少し綺麗な作りだと良かったんですけど」


「それは違いますよ。一成くんが作ってくれたこのブローチは、私にとって最高級品なのよ!!」


 もう見るからにはしゃいでいて、完全に浮かれた様子の真由美さん。ただ、ここまで喜んで貰えるのなら、やっぱりもう少しちゃんとしたものを用意してあげたかったという心残りもある訳で。

 今回は予算と時間の都合でどうにもならなかったけど、いつか…真由美さんの誕生日や母の日などで、今日のリベンジをすることも考えておきたい。

 

「でも、何で急にプレゼントしてくれたの?」


「いつもお世話になってますから。その、お義母さん、ありがとう…ってことで」


 自分から指輪のサイズを送ってきて、プレゼントをアピールしたくせに…ってのは言わないでおく。

 それが無ければ、そもそもこうしてプレゼントすることを思い付かなかったかもしれないし。だから、こうして無事に用意することが出来て結果オーライだ。


「一成くん…一成くん…」


 真由美さんはもう感動しきりと言った様子で、油断するとこっちへ突撃してきそう。

 と言うか、既に若干にじり寄って来てないか、これ?

 ちょっとヤバいかも…


「ねぇ沙羅ちゃん、これどう!? 一成くんのプレゼント、可愛いでしょ!!」


 何を思ったのか、浮かれ気味な真由美さんが、突然自慢するように沙羅さんへ感想を求め始め…っ!?


「……そうですね。良かったですね、お母さん。一成さんからプレゼントを頂けて」


「んふふ~、ホントに……あら、どうしたの沙羅ちゃん?」


「別にどうもしていません。一成さんからお手製プレゼントを頂けるなんて、お母さんは幸せですね? 嬉しいですか? さぞ嬉しいでしょうね?」


 ああああ!?

 お、俺が思っていた以上に、沙羅さんがお冠になっていらっしゃるぅぅぅ!?


 もう見るからに不機嫌全開といった感じて、沙羅さんの頬がぷっくりと可愛らしく…可愛らしく…うん、久し振りに見た。

 不謹慎なのは分かっているけど敢えて言わせて欲しい。沙羅さん、可愛い!!


 じゃなくて!!!!!


「んもう~、沙羅ちゃんったら。そんな拗ねなくても…」


 などと、口では沙羅さんを宥めるようなことを言いつつも、ニヤニヤした表情が止まらない様子の真由美さん。

 それを見ている沙羅さんが、ますます不機嫌そうになって…


「別に拗ねていません!! それに、先程まで拗ねていたお母さんにだけは言われたくありませんね!! もう機嫌は直ったのですか!? 随分と調子のいいことですね!!」


 ぷく~…っと、真由美さんから「拗ねている」と指摘されて、沙羅さんの頬がますます膨らんでいく。

 ヤバい…沙羅さんが可愛いすぎて辛い。

 でもそれを本人に言ったら怒られるだろうし…でも可愛いですって伝えてみたい。


 …あと…ちょっとだけ突っついてみたい…かも。


「もう~沙羅ちゃんたら、一成くんが沙羅ちゃんのプレゼントを忘れる訳がないでしょう?」


 そう言って俺を見る真由美さんの目が「ですよね? 一成くん」と、語りかけているような気がした。

 勿論用意していない訳がないけど、そもそも渡す順番が狂ったのは誰のせいなんですかねぇ?


「勿論ですよ。というか、本当は先に沙羅さんへ渡したかったんですけど…」


「…えっ?」


「いや、沙羅さん? まさか俺が沙羅さんの分を用意していないとか、本気で思ってないですよね? だとしたら、地味にショックです…」


「そ、そんなことはございません!! その…ただ、一成さんの手作りと聞いては、私も…」


 沙羅さんの声がどんどん尻窄みになっていく…

 勿体つけてないで早く渡してあげたいけど、こんな可愛い沙羅さんを見ていると余計な気持ちがムクムクと…せっかくだから少しだけ。


「沙羅さんは、俺が真由美さんの分しか用意しない甲斐性なしだと思ったんですか?」


「そ、そんなことはございません!! 一成さんが私のことを誰よりも大切に想って下さっていることは、しっかりと…」


「それなら、俺がちゃんと沙羅さんの分を用意してるって…」


「…それとこれとは…うぅ、一成さん、いじわるです…」


 か、か、可愛い…可愛いすぎるぞ…

 何これ?

 こんな沙羅さん見てたら俺は…


 いやいや、この辺にしとこう。沙羅さんに申し訳ないし。


「沙羅さん」


「っ!?」


 バッグの中から急いで取り出したブローチを、沙羅さんの目の前にそっと差し出す。沙羅さんの分だけは、包装紙にリボンが着けてある特別仕様だ。


 …ちなみに、中身も特別仕様なんだけど。


「か、一成さん?」


「沙羅さんの為に、頑張って作りました」


 頑張ったとか自分で言うなって感じだけど、取り敢えずそこはスルーで。

 でも何だかんだ言って、沙羅さんも自分へのプレゼントがあることを期待していたんだとは思う。

 口がぷるぷると震えていて、何かを必死に我慢しているのは一目瞭然だ。

 勿論そんな様子も可愛かったり…


「あ、ありがとうございます。開けても宜しいでしょうか?」


 俺がコクリと頷くと、沙羅さんは真由美さん以上の丁寧さで包装紙を剥がしていく。どこか緊張した面持ちで、沙羅さんは一つ一つ丁寧に広げていく。やがて姿を現したブローチを見て、眩しいくらいの笑顔を浮かべてくれた。


「ふふ…一成さんが、私の為に作って下さったブローチです♪ ふふ…ふふふ♪」


 沙羅さんは今にも踊り出しそうなくらいのはしゃぎっぷりで、ゆらゆらと身体を揺らしながらじっとブローチを見つめていた。

 その嬉しそうな笑顔を見ていると、俺まで幸せな気持ちになってくる。

 

「んふふ、もう、沙羅ちゃんったら~」


「な、何ですか?」


「取り繕ってもダメよ。もう色々と緩みきってるからね?」


「う…だ、だって、一成さんの手作りなんですよ。嬉しくない訳がないでしょう? ふふ…ふふふ♪」


 何とか表情を引き締めようとしているみたいだけど、自然と嬉しさが込み上げてしまうのか、沙羅さんの口許は直ぐに緩んでしまう。

 今はまだ渡せないけど、こんなに嬉しそうにしている沙羅さんを見ていたら、早く指輪を渡してあげたいという気持ちが…もどかしい。

 

「あら、沙羅ちゃんのブローチには何か付いてるのね?」


「はい。お母さんのブローチとは違うみたいですよ」


 気のせいかもしれないけど、今、沙羅さんが「違う」という部分を強調したような気がした。そして真由美さんも苦笑したような…

 まぁそれはともかく、二人が気付いたそれこそが、沙羅さんのブローチだけにある「特別仕様」の部分だ。

 と言っても、大したものじゃないんだけど。

 

「それはエメラルドです。簡単なアクセサリー用の物なんで、一応って程度ですけどね」


「エメラルド…ですか?」


「はい、五が…」


「一成さんの誕生石ですね!」


「そ、そうです」


 沙羅さんの言う通り、エメラルドは俺の誕生月でもある五月の誕生石だ。でもこれは安いアクセサリーに使うようなオマケ程度のエメラルドなので、本当に大したものじゃない。

 以前プレゼントしたロケットには、沙羅さんの誕生石であるサファイアを使ったので、今回のブローチには俺の誕生石であるエメラルドを付けてみた訳だ。

 念の為に石言葉も確認してみたけど(西川さんから)、幸運、幸福、恋愛成就など、概ね良さげな石言葉だったので、その辺りも問題はないはず。


「んふふ~、それって周囲へのアピールなのかしら? 沙羅ちゃんには俺がいるんだぞ~って」


「えっ!? いや、そこまで自意識過剰なことは…」


「仮にそういう意図だとしても、私は全く問題ございませんよ? それに…ふふっ♪」


「沙羅さん?」


 どうしたんだろう?

 エメラルドが付いていると分かってから、沙羅さんがますます嬉しそうにしている。

 俺の誕生石が付いているのが、そんなに嬉しいこと…


「ねぇ一成くん、エメラルドを選んだのは、石言葉も考えたからなの?」


「ええ。一応、石言葉も調べましたから。その上で決めました」


「あらあら。それじゃこれは、沙羅ちゃん専用になっても仕方ないわね。良かったわね~沙羅ちゃん」


「ええ。これは、一成さんの妻になる私だけが身に付けていい物ですから♪」


「え…と?」


 エメラルドが、「妻」になるからという理由で「沙羅さん専用」になる?

 どういうことだろう?

 縁起のいい石言葉が色々と付いているのは確かだけど、沙羅さん専用になるような意味があったかな…


「確かにそうだけど、沙羅ちゃんったら浮かれすぎよ? まぁ、一成くんから夫婦愛なんてアピールされたら…」


「ふうっ!?」


「あら、どうかしましたか、一成くん?」


「一成さん?」


「い、い、いや、何でも」


 夫婦愛!?

 そんな石言葉があるなんて、俺は聞いてないぞ!?


 だから沙羅さんは、エメラルドを見て余計に浮かれてたのか。

 確かにそういう意味があるのなら、あのブローチが「沙羅さん専用」になるのも納得の話だ。

 ただ…知らなかったとはいえ、そうなると俺がアピールし過ぎになってしまうような気がしないでも…


 いや、意味自体には全く問題ないから、その点は別にいいんだけど!


「ふふ…如何でしょうか?」


 早速ブローチを左胸に着けて、どこか誇らし気な様子を見せる沙羅さん。真由美さんのときと違い、エメラルドが一応でも光って見えるので、見た目の華やかさも多少は違うと思う。


 まぁ、沙羅さんが着けてくれたからって理由の方が圧倒的に大きいだろうけど。


「似合ってますよ。でも欲を言えば、やっぱりこんなアンバランスなブローチじゃなくて、もっといい物を…」


「一成さん、めっ」


 笑顔のまま近付いてきた沙羅さんが、俺の額を軽く突っつく。

 そのまま離れるのかと思いきや、沙羅さんが勢いよく腕を伸ばしてきて、俺はあっと言う間に抱きしめられる形になってしまう。


「一成さんが作って下さったこのブローチは、もう私にとって掛け替えのない宝物になりました。ですから、こんな…ではございませんよ? そんな酷いことを言う一成さんには、めっ、です♪」


「沙羅さん…」


「これは以前頂いたロケットと共に、私の生涯の宝物とさせて頂きます。それと、石言葉の件については、お気になさらないで下さいね?」


「あ…」


 やっぱり、俺は沙羅さんに隠し事が出来ないんだな…


 俺が「夫婦愛」という石言葉を知らなかったことに気付いたからこそ、沙羅さんはそんなことを言ったんだろう。

 あんなに喜んでくれていたのに、ちょっと悪いことをしてしまった…

 でも俺だって、それを知った上で沙羅さんへのプレゼントとして間違っていないと納得したことだけは確かだ。寧ろ俺からのプレゼントとして相応しいとすら思う。


 だから…


「すみません…でも俺は、それを聞いて、ますます沙羅さんに渡すべき物だと再確認しました。だから、夫婦愛という石言葉の意味も意識して贈ったと思って下さい。まだ結婚は当分先の話ですけど、でも俺は…」


「ふふ…畏まりました。では、このエメラルドは、一成さんから私へのアピールということで、改めて受け取らせて頂きます」


「は、はい、そんな感じでだ…むぐっ」


 ぎゅ…


 沙羅さんは嬉しそうにそう答えると、俺を抱きしめる力を少しだけ強めた。

 石言葉の不勉強でイマイチ格好がつかないオチになってしまったけど、それでも沙羅さんはこうして喜んでくれた。受け取ってくれた。それが嬉しい。

 だから俺も、自分の気持ちを表す意味で、沙羅さんに身体を預けて甘えてみる。


「一成さん…本当にありがとうございます」


「いえ。それよりも、今回のブローチは気軽に使って欲しいです。その為に、チープでも自作を選んだって理由もありますから」


「…ですが、これは私にとって…」


「ダメです。これが俺と沙羅さんの夫婦愛を表している石だって言うなら、尚更いつでも持っていて欲しいです」


「はい、畏まりました」


 俺が少しだけ強めに食い下がると、沙羅さんはすんなりと希望を受け入れてくれた。

 基本的に沙羅さんは俺の意見を優先してくれるので、間違ったことを言わない限りはこうして俺に譲ってくれることが多い。でもそんな沙羅さんだからこそ、俺も本当に譲れないこと以外は強気に出たりしない。今回はどうしても普段使いにして欲しかったから、仕方なく…だ。


「一成さんのブローチ、大切に使わせて頂きます」


「そうして貰えると、俺も嬉しいです」


「はい…一成さん…ふふ」


 沙羅さんは嬉しそうな声を漏らしながら、抱き寄せたままの俺を、何度も何度も丁寧に撫でてくれる。自分の顔まで俺の頭に当てて、少し頬擦りするように…


 …いや、ちょっと、それは…


「一成さん…」


「は、はい!?」


「…少しだけ、お顔を上げて下さい」


 沙羅さんから求められるままに、ゆっくりと定位置から顔を離して、少しだけ上を向く。

 そのままお互いに至近距離で見つめ合うような形になると、沙羅さんの優しい眼差しから目が離せなくなってしまい…


「「………」」


 お互いに無言で見つめあっていると、沙羅さんの瞳がスッと閉じていく。

 そう思ったときには、迫ってきた沙羅さんの唇で、俺は唇を塞がれてしまった。


「ん…」


 ちゅ…


 沙羅さんの柔らかい唇の感触で、俺の心臓が激しい鼓動を打ち鳴らし始める。このままじゃ暴走を始めてしまいそうなくらいだ。

 今日は指輪を選んだりブローチを作ったりと、沙羅さんのことを想う時間が長かったし、別行動をしていて沙羅さんに早く会いたいという気持ちも強かった。

 だからなのか、キスを嬉しいと思う気持ちも強くなってしまい、いつもより…


「一成さん…」


 沙羅さんは唇を離すと、キスをする直前と同じように、柔らかく優しい眼差しで俺のことをじっと見つめてくる。

 よく「吸い込まれそうな」という表現をすることがあるけど、今の沙羅さんの瞳は、正にそれを現しているんじゃないかと思うくらいだ。


「愛しております…これまでも、これからも…ずっと」


「…俺もです」


「一成さん…もう一度…ん…」


 ちゅ…


 二度目のキスはいきなりだったので、俺は咄嗟に目を閉じることが出来なかった。超至近距離で目を閉じている沙羅さんの顔が、俺の視界いっぱいに広がっていて、美しくて、愛しくて…


 そしてゆっくりと離れていく沙羅さんの顔を、俺はどこか惚けたような気持ちで見つめていた。


「…ふふ…一成さん、どうかなさいましたか? お顔が…」


「うぅ…さ、沙羅さんが…」


「一成さん、可愛いです…」


「いや、だから可愛いってのは…」


「…可愛い…一成さん、大好き…ん…」


 ちゅ…


「むぐぅ」


 沙羅さんが切なそうな表情で俺を見たと思えば、まさかの三度目のキス。

 しかも今回は勢いが無かった代わりに、沙羅さんからの感情をより強く感じてしまい…


 ちょっ…これは…俺の方が色々とヤバっ!?


「ん…」


 ちゅ…


 三度目のキスは、一、二回目よりも更に長い。

 しかも俺は、沙羅さんに腕を回されて頭を固定されてしまっているので、顔を逸らすことも離れることも出来ない。もう完全に沙羅さんのペースだ。

 それが永遠に続いているような、文字通り蕩けそうなくらいの沙羅さんからのキスで何も考えられなくなった頃に、やっと沙羅さんの顔がゆっくりと離れていく。


 うう…今、自分がどういう表情をしているか、ハッキリと分かるぞ…足に力が・・・


「さ、さ、さ、沙羅さん…」


「…一成さん、お顔が真っ赤です♪」


「うぐっ、そ、そんなことを言われても…これは沙羅さんが…」


「ふふ…一成さん、こちらへどうぞ?」


 沙羅さんは三度のキスで満足してくれたのか、再び俺の頭を誘導して定位置へ収めてくれた。これで、今の自分の情けない顔を沙羅さんに見られることが無くなったと思えば、そこは正直ありがたい…


「…申し訳ございません、一成さんがあまりにも可愛らしくて…それと、先程のいじわるのお返しです♪」


「……うぅ」


 そうか、そういう意味もあったのか…

 ちょっとイタズラ心を起こしだけでここまでされてしまうなんて、これは今後、迂闊なことが出来ないぞ。

 

「ふふ…気持ちが落ち着くまで、暫くいい子にしていて下さいね……その、私も少し恥ずかしいので…」


「…沙羅さん」


 沙羅さんがポツリと呟いた一言に、またしてもドキッとしてしまう。甘さと恥ずかしさが混在したような声音で囁かれて、俺はそれをスルーできるような男じゃない…沙羅さんズルいです。


 ナデナデ…

 ポン…ポン…


 そのまま身を委ねていると、まるで昂ってしまった気持ちを落ち着けようとするかのように、沙羅さんがゆっくり優しく俺をあやしてくれる。他人がこれを傍から見れば、それこそ俺を子供扱いしているように見えるくらいだろう。

 でもこれは沙羅さんなりの愛情表現であり、子供扱いとかそんなことは全く気にしていない。俺もこうして貰えることが嬉しいから、安心して甘えてしまう。


 だから、こんな風に、少しだけ顔を胸に押し付けてみたり…


「んっ…一成さん」


「…沙羅さん」


「ふふ…一成さんは、甘えたさんです♪」


 俺が素直に甘えたことを、本当に嬉しそうに受け入れてくれる沙羅さん。

 これが少しでも情けないと沙羅さんに思われるようであれば、俺もここまでベッタリと甘えるようなことはしない。でも沙羅さんがこれを本気で嬉しがってくれているのわかってるから…だから俺も安心して甘えてしまうんだけど。


 ナデナデ…

 ポン…ポン…


「一成さん、あのブローチですが」


「はい」


 お互いに無言のまま、暫く身を委ねていると、不意に沙羅さんが口を開いた。

 ブローチのことで何かあったのかな?


「残念ですが、あれは制服に付けることが出来ません。ですから、学校に行くときはバッグに付けさせて頂いても宜しいでしょうか?」


「はい。そうして貰えると俺も嬉しいです」


 校則でどうなっているのかは分からないけど、普通に考えて規定品でもないブローチを制服に付けるのはやっぱりマズいだろうな。

 でも沙羅さんがそこまで考えて、それでも学校にも持っていってくれるというのは素直に嬉しい。


「ふふ…もし学校でブローチのことを聞かれましたら、旦那様から頂いた夫婦愛のブローチだと答えても宜しいですか?」


「えぇっ!?」


「…いけませんか?」


「いや、その…ダメじゃないです」


 そんな悲しそうに言うのはズルい。

 俺だって驚いただけで、ダメだなんてこれっぽっちも思ってないし。


 でも…旦那様か…

 「あなた」とはまた違うくすぐったさがあるというか、こそばゆさがあると言うか…


「……私も…早く」


「沙羅さん?」


「ふふ…何でもございません。このブローチは大切に使わせて頂きますね。一成さんからの夫婦アピール、確かにお受け取り致しました♪」


「う…は、はい…」


 夫婦アピールだと自分でも認めたのは事実だけど、こうしてハッキリとそれを言われてしまうのは照れ臭い。

 でも…沙羅さんが喜んでくれるなら、俺はそれでいいんだ。


 後は…ミスコンで、指輪を…必ず。


………………


「しくしくしくしく…二人とも酷いわ…私のこと、もう完全に忘れてましたね…」


「いや、その、真由…お義母さん…」


「はぁ…全く…いい加減にして下さいよ…」


 何と言うか…うん。

 振り出しに戻るってやつだ。


「しくしく…私のことをずっと無視して、イチャイチャイチャイチャ…」


「うぐ…す、すみません」


「ぐすん…それなら、私にも一成くんを抱っこさせてくれた…」


「寝言は家に帰ってからにしなさい!!!」


「沙羅ちゃんのいけず!!」


 やっぱり…振り出しに戻っちゃった…


 さてどうしよう…

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 長くなりすぎて、最後の着地点に困って遅くなってしまいました。

 という訳で、一成のプレゼント調達エピソードは終了です。

 少し増えてしまいましたが、あと2話くらいで学祭になる予定です。


 それではまた次回・・・

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