第2話 サタネル
「三分前ッ!」という声が発令所内に響き渡った。全員が息を呑む。汗が吹き出す。刻一刻とその時が近付いていた。此所はサターン級SSBN『サタネル』の発令所である。
この作戦の為に開発、新造された弾道ミサイル原子力潜水艦・・・。不吉なその名前に、未だ明かされぬ軍の、いや合衆国政府の秘密政策が隠されていた。全長、水中排水量ともロシアのタイフーン級と同等。加圧水冷却型原子炉二基による合計出力十二万馬力。タイフーン級の艦体は高張力綱だが、サターン級はチタニウム合金製で、潜航深度も千m 。水中発射弾道ミサイル二二基搭載。自衛用に魚雷発射管八基を装備。米海軍のSSBNオハイオ級を軽く凌駕し、ロシアのタイフーン級にも勝る、弾道ミサイル原潜サターン級。
だが、何故こんな物騒な代物を危険の伴うタイムワープに用いるのか? タイムワープにおいて何故原潜が有効かについては先に述べたが、それならロス級だけでも良かった筈だ。この『サタネル』には、その核弾頭搭載のハープーンが二二基全て搭載してあった。
「トワイニング艦長! 機関室からです! 出力一一五%!」という通信士の声に、戦闘配置を示す赤のライトに照らされたトワイニングは、ただ瞑目していた。
「うわーッ!」と、エレベーターを飛び出し、美々は思わず感嘆の声を出した。その後ろでは、肩をガックシと落とし、しょぼくれる小次郎の姿がある。そして、美々と小次郎の目の前には、まだ一度も潜った事のない遊覧潜水艇が、純白の体を横たえている。
この潜水艇は、『サン・ファン・バウティスタ号』の船尾に近い船底にある発着場から、船底のハッチを開け、注水、そして海中に発進する。船体の側面には、『The Madonna's snow』という文字が青で描かれている。即ち、この潜水艇は、『聖母マリアの雪号』という名前だった。深海まで潜り、マリンスノーを見る事は出来ないが、確かに名前通り雪の様な純白の美しさだ。エレベーターの前は乗船する客の為のラウンジで、そこのガラスの向こうに『The Madonna's snow』号がある。美々は思わず駆け寄り、ガラスにへばり付いている。小次郎も、ヘーッ! という顔付きで見ている。
とその時、「誰だッ!」という誰何の声が、英語で美々達の耳を後ろから襲った。二人はその声の大きさに体をビクッとさせ振り返ると、そこには、一人の五十歳位の外人が仁王立ちで、美々達を睨みつけていた。長身で痩せ形。口髭を蓄え細い目は物憂げな印象を与える。服装はまるでアメリカ海軍の軍服の様だ、と、美々は思った。
「あッ! この潜水艇に乗りたいんですが」と美々が、物怖じせずにハキハキ云うと、
「残念だったな嬢ちゃん。この潜水艇は決められたポイントでしか潜れない。然も航海中と云ったって、実際はSOLAS条約で規制されててね。この船が停泊した時に発進する程度の事だ。誰が好き好んでこんな沖合の海中を眺めたい?」と、その外人は云った。英語の会話である。だから、小次郎にはチンプンカンプンだ。
「そういう事だ。早く此所から出ていけ」と、その外人は高圧的な物言いをして、扉の向こうに消えた。その扉のプレートには「キャプテン ルーム」と記してある。
「何だあのじじい! 何云ってんだかわからなかったけどさ」と小次郎がぼやく。
「私は眺めたい。だって、お父さんが潜った海だもの」と、美々は呟いた。
「くそッ! 軍の奴等めッ! 食堂なんぞに閉じ込めやがって! どういうつもりだ!」
宮城一真がテーブルを叩いて叫んだ。六0名程の乗船員の全てが、食堂に軟禁状態にあった。船内通路側の窓の向こうでは、銃を持った海兵達が監視しており、海側の窓には全てブラインドが降ろされている。
「落ち着け、宮城」と、三枝は宮城を窘めながら、一人食堂の隅でコーヒーを飲む明王玲司教授の方を見た。彼は不格好なマグカップをテーブルに置くと、首に掛けているロケットの中の写真。そこには、自分と夏菜、子供の頃の美々。そして白髪の老人、そうタイゾー=モード博士の姿があった。
「デフォー。私だ。BOYの精神波レベルの同調は?」
「大丈夫です。四人の精神波のシンクロ完了しています」
『カーツ』のブリッジでモニターを見ながらマイクで話すタイゾー=モード博士の声に、『サタネル』に乗船している、フレデリック=デフォーという助手が答える。モニターに映しだされているのは、『サタネル』内の一室の映像だ。その部屋では、デフォー以下数名の研究者がおり、此所にも、テスラコイル等の装置が置かれている。
その部屋の中心に、様々な機器が取り付けられた一つの椅子。そして、『サタネル』を取り囲む『シカゴ』『カンサス』『デンバー』、三隻のロス級原潜の一室にも、同様の椅子が備えられていた。
「血圧、心拍数異常ありません!」と、一人が言った。
一体誰の血圧、心拍数が異常ないと云うのか? それは、四つの椅子に座らされている少年少女達のである。然も彼等は全裸だった。彼等の体には無数のコードが付けられている。三人の少年と一人の少女。彼等は目を閉じ、瞑想状態にあった。全身からは汗が吹き出し、その顔にも何か苦痛の表情さえ窺えた。
「一分前ッ! カウント五九、五八、五七・・・」という声が、『カーツ』のブリッジに響く。ヘイズ中将もモード博士も、前方三00フィートの四隻の原潜を凝視している。
「・・・三二、三一、三0、二九、二八・・・」というカウントが、サターン級『サタネル』、ロス級『シカゴ』『カンサス』『デンバー』艦内のスピーカーから出て、ドルフィン(潜水艦乗り)達の全身を硬直させていた。
「・・・一0、九、八、七、六、五、四、三、二、一、0!」
「こちらヘイズ! 作戦開始! 磁力線、テスラコイルへの送電開始だ!」
ついに作戦発動であるッ!
「発令所から機関室へ! コイルへの送電開始! 九0秒後に原子炉スクラム!」
「アイサーッ! 送電開始! 九0秒後に原子炉スクラムッ!」
トワイニングの命令を副長のギンゼーが復唱する。
そしてロス級「デンバー」でも、
「クーパーッ! 死にたくなかったら九0秒キッカリで原子炉を止めろよッ!」
と、艦長のマイケル=モンローがマイクに向かって吠えていた。
『サタネル』を囲む三隻のロス級から、磁力線が『サタネル』に向かって放射されている。そして『サタネル』では原子炉の出力最大で、電力をテスラコイルに供給している。「・・・博士。原子炉稼動のまま突入するとどうなるのだ」と、ヘイズが云った。
「メルトダウンするかもしれませんな。タイムワープするだけの強電界が発生するまで、シュミレーションでは九0秒。その瞬間に原子炉を緊急停止させなければ・・・」
「博士! 見て下さい! テスラコイルがスパークし始めました!」と、助手のマクスウェルが叫ぶと、博士やヘイズ中将を始め、ブリッジにいる殆どの士官が双眼鏡を覗き込んだ。 強力な磁力線の放射を受け、『サタネル』甲板の四基のテスラコイルからは青白い光の帯が出現している。次第に電圧が上げられ、コイルは白熱化し、ロス級三隻に囲まれた空間に薄い靄が掛かっている様に見える。
「・・・あの時と、全く同じだ・・・」と、そうタイゾ=モード博士は呟いた。
そして、『サタネル』のテスラコイルが発する青白い光が、三隻のロス級の前部甲板の各テスラコイルの光と交わる、のだが、ここで予定外の現象が起きたのだ。
「博士! 光が海中へと伸びています!」というレイモンドの言葉通りに、『サタネル』のテスラコイルから発する光の帯の幾筋かが、海中に向かって放電していいるのだ。
「言わんでも見ているッ!」
と博士は声を荒げた。そして、モニターに映るデフォーに、「どうした! 何が起こったッ!」
と怒鳴ると、デフォーは「わかりません!」と答えた。
「もしや沖縄海戦の沈船に反応しているのか」と博士が云うと、ヘイズは、
「それはない! あの海域の海底はソナーで正確に測量してある! 沈船に反応するなど」
と云い、「ありえんか・・・」と博士が言葉を継いだ。
そして暫く目を閉じ、考えた後、
「・・・止むを得ん。一先ず実験中止だ! 中将!」
ヘイズ中将が、チラリと博士を一瞥してから、マイクを持って、
「ヘイズだ! 各艦、コイルへの送電を中止せよッ! 送電中止だッ!」
と叫んでも、既に遅かった。もう強電界内にある各原潜に通信は届かなかったのだ。既にモニターの映像も途切れている。
「発令所へ! 電圧を五0%アップ!」というデフォーの通信が、発令所のトワイニングに入り、トワイニングは機関室にそれを伝える。電圧が更に上げられると、各原潜が細かく振動し始めた。テスラコイルは灼熱化して、より大きくスパークする。そして、まるでオーロラの様な光のカーテンが全ての原潜を包み込んだ。
「・・・何だ?!」と明王玲司は叫ぶ。いや彼だけでなく、宮城も三枝も、『MーU』の乗員全てが、ブラインド越しに食堂に差し込む光に気付き、立ち上がった。
「八三、八四、八五・・・」というカウントの声が振動し続ける艦内に響く。
「さ~て・・・。キッカリ九0秒だぞ・・・」と、『デンバー』のモンロー艦長が呟いた瞬間だった。外から見ると、『サンタフェ』の周囲の空間が歪み始めていた。
そして、当初『サタネル』のテスラコイルから海中に伸びていると思われた青白い光が、まるで海中の何かから送られている様に皆の目に映ったその時!
「うおッ! 中将! 予定時間四秒前で『サンタフェ』消えましたッ!」
そして更に、
「『デンバー』のみ! い、いやッ! 『カンサス』も消えます!」という声が追い撃ちをかけた。
「艦長!」という声の後、トワイニング艦長もモンロー艦長も「原子炉スクラム!」と叫び、全ての原潜の原子炉が緊急停止した。
「小次郎め。あやつ何処に行きおった。儂の芸をよく見とけと云っておいたに」
と言って、観世小次郎時宗は、楽屋で団扇を扇いでいた。
「エントリーナンバー20番! ロシア代表ルルシェ=ミナルバ!」という司会の声。
「SUPER MODEL LOOK 31」の会場は興奮の坩堝と化していた。
ジゼル役なら世界一と絶賛されたロシアのプリマドンナ、マリア=ミナルバの娘、ルルシェ嬢も、やはりバレリーナを目指す十四歳である。可憐なその肢体、涼やかで切れ長の瞳。確かに少女なのだが、既にそれはエロティックささえ感じさせる程だ。
その彼女をエスコートする青年・・・。
(美々ちゃん。もうすぐだね・・・)
彼女の後ろには、アメリカ、フランス、イギリス等の各国の代表が勢揃いしている。
ルルシェ嬢が、ウォークして、審査員にアピールしてから自分の立ち位置に向かおうとして、アメリカ代表マリエル=リンゼイ嬢と目が合った、その瞬間だった!
「キャプテン! 前方にサブマリン出現!」
『サン・ファン・バウティスタ号』のインテグレイテッド・ブリッジで、サブ・キャプテンが、パイロットチェアを外してお茶を飲んでいるキャプテンに向かって叫んだ。
「ど、どうして!」とキャプテンが叫ぶが速いか、更に「五秒で衝突!」という声が飛んだ。『サン・ファン・バウティスタ号』の鼻先に突如出現したのは『サンタフェ』だった。「お、面舵ッ! 回避だ!」とキャプテンが絶叫した。
「ま、間に合いません! 非常警報を!」と云って、サブ・キャプテンが警報ボタンを押すと、船内に非常警報が鳴り響いた。コンテストの会場では突然の警報に、一時進行は中止され、会場全体がザワついている。
『サンタフェ』では自分達が『サン・ファン・バウティスタ号』の鼻先にテレポートした事など知らないし、原子炉の電力そのものが全てテスラコイルに供給されているから回避運動など出来ない。だが衝突はしなかった。何故か再び『サンタフェ』が消えたのだ。「た、助かった・・・」というサブキャプテンの嘆息の後、「ど、どういう事だ?」というキャプテンの言葉が吐かれた時に、最大の悪夢が起きた・・・。
「へ、ヘイズ中将ッ! 『サタネル』も消えましたッ!」
「タイムワープに成功したんじゃないのかッ!」
「い、いや! 四隻全部が同時にワープする筈なのだッ!」とカフィー博士が叫んだ。
「み、見て下さい博士!『サンタフェ』が!」
と云ったマクスウェルの言葉を継いで、
「戻ってきた!」と、中将が叫んだ。
「サンタフェ」は依然、青白い光に包まれている。
「キャプテン! うわーッ! く、空中にサブマリンがッ!」という言葉通りに、『サン・ファン・バウティスタ号』の前方の空中に、今度は『サタネル』が突如出現したのだ! 然も『サタネル』周辺の空間が歪み、チタン合金の艦がまるでホログラムの様な感じで、半透明化しているのだ。
「サブマリンにつ、突っ込みますッ!」というその言葉が、キャプテン達の最後の言葉となった。
空中に停止したままの『サタネル』に、『サン・ファン・バウティスタ号』のブリッジがまず突入した。その瞬間、キャプテン達の体は『サタネル』のチタニウム合金の艦体に埋め込まれた。
『サン・ファン・バウティスタ号』の船体は大きく振動している。
「な、何!どうしたの!?」と、美々は遊覧潜水艇乗り場のロビーで叫んだ。先程、キャプテンルームに消えていった男に出て行けと云われても、この場にいて『The Madonna's snow』号の鮮やかな純白の船体を眺めていたのだ。小次郎もそんな美々に渋々付き合っていたのだが、それが彼等を救う事になった。
半透明化した『サタネル』は、艦体を真横にして、ブリッジから『サン・ファン・バウティスタ号』の後部へと、あらゆる物体を透過していったが、この船の多くの船客の体を、チタニウム合金の艦体に埋め込んでいったのだ。ほんの数瞬の間にである。
「ト、トワイニング艦長! こ、これは一体?!」と叫ぶギンゼー副長の体もまた揺らいでいた。まるで、空間がグニャグニャと歪んでいる中を、『サン・ファン・バウティスタ号』が通り抜けていくのだ。そして、『サタネル』の艦体は大きなホールに出た。
その時、コンテスト会場にいた観客達は、ずらりと並ぶ十四、五歳の少女達の後ろ、大きく「SURER MODEL LOOK ’31」という文字が書かれた当りから、『サタネル』が飛び出て来るのを目撃した。そして、まだ舞台上に作られた階段の上にいた二0ケ国の代表の少女達の体をその艦体に埋め込み、更に観客達をも埋め込んでいった。 既に司会に名を呼ばれ、階段を降りている十数人の少女の内、アメリカ代表のマリエル=リンゼイが「ホワッツ ハプンッ!」と叫んだ。その中には、フランス代表ココ=ネルシャ、イギリス代表アイシー=エクセレン、ロシア代表のルルシェ=ミナルバもいた。
原子炉をスクラムさせたにも関わらずまだスパークしている『サタネル』のテスラコイルから漏出する膨大な電気が、『サン・ファン・バウティスタ号』のデイーゼルエンジンの四基を誘爆させた。ガガーンッ! という爆発音。船体が大きく揺れ、
「な、何だこの振動は!」と言って飛びだして来たのは、先程美々達に出て行けと言った外人である。そして、ロビーに倒れるヒノナ達に気付いたその男は、
「お前達まだいたのかッ!」と叫びながら、美々を助け起こした。そして美々を椅子に優しく座らせると、直様ロビーの壁にある電話でブリッジに連絡したが、誰も出る筈がない。(この音は爆発音・・・。四基のエンジン全部の爆発なら、沈没するかもしれんッ!)
「お前達! 潜水艇に乗り込め! この船は沈没するぞッ!」
「えッ?!」と美々と小次郎が叫んだのは同時だった。しかし、状況が把握出来ない美々に対して、その後の行動は小次郎の方が速かった。
「ど、何処行くの小次郎ッ!」と叫ぶヒノナの差し出す手が、小次郎の体を摺り抜ける。(おじいちゃん! おじいちゃん!)と、小次郎は心の中で何度も叫んでいた。
「待って小次郎ッ!」という美々の叫びを背に、小次郎は階段を駆け上がって行った。
美々はガタガタと震えていた。普段は勝ち気そうな彼女がだ。それに反して、普段は軟弱そうな小次郎が、こんな状況にも怯まずに行動出来る。美々はタブラ・ラサの状態だった。が、そんな美々の頬を外人の男が叩いた。
「しっかりしろ! いいか! お前は潜水艇に乗り込んでいろッ!」と叫び、駆け出す男。「おじさんは何処に行くのッ!」というヒノナの声に、男は、
「あのボーイを連れて来ればいいんだろ。いい子だから潜水艇に乗っていろ。いいな」
「・・・うん」と思わず美々は云っていた。その男の言い方、ふと垣間見せた優しい表情に、父玲司の姿を見たからである。
(・・・今度は逃げんぞ。一人でも多くの人間を・・・)と、男は心で呟いた。
「一体何が起こってるか教えろ!」と兵に叫ぶ船長のレイウッド。
三枝誠一郎が、明王玲司の許へすり寄って来る。
「教授・・・」
玲司に三枝が耳打ちする。そして数秒後、『MーU』の食堂で二人の喧嘩が始まった。「お前はこの実験を何だと思ってるんだ!」
「教授のやり方には、もうついて行けないんですよ!」
とか、怒号が飛び交い、拳が飛ぶ。そして、この騒ぎに気付き、扉の外にいた兵が食堂内に入って来た時、丁度三枝が、側にあった椅子を投げ付けた。兵にではない。明王教授にである。そして教授が椅子を避けると、その椅子はブラインドを降ろした窓にブチ当り、ガラスが割れる。その部分のブラインドが外れ、外の海の様子が見えるようになった。そこからジェームス達が海で何が起こっているかを把握しようとした瞬間! 激しいショックウェーブが『MーU』を襲った。
「うッ!」と声を上げたと同時に、明王玲司は割れた窓から船外に放り出された。
「教授ッ!」と叫び、窓から身を乗り出した三枝が見たのは、『MーU』の船体に『カンサス』の艦体が埋め込まれた様になっている姿だった。丁度『MーU』の胴体とクロスする形で横に突き抜け、左舷に『カンサス』のテスラコイル、右舷に磁力線発生装置がまだ電力の供給を受け稼動し、青白い光を、ある方向に向け発していた。そう、その方向とは、『サン・ファン・バウティスタ号』に接触中の『サタネル』のいる方向である。
食堂に軟禁された乗員の監視役の兵達が、慌てて『MーU』の甲板に向かい、乗員達が明王教授の姿を海中に求めていたその時だった!『MーU』と結合したままの状態で、両方ともがテレポートしたのだ。
「戻ってきました! あ、あれは『カンサス』ですッ!」という士官の声よりも、ヘイズやカフィー博士が驚愕したのは、『カンサス』の異様な姿にだった。
テレポートした後に戻って来た『カンサス』に『シカゴ』、そして『デンバー』と、ロス級三隻は実験海域の元の位置に戻り、依然テスラコイルを白熱化させ、磁力線を発している。そして、海中からは謎の放電が続いていた。
美々は遊覧潜水艇『The Madonna's snow』号に乗り込んでいた。そして、父明王玲司から貰ったあの小瓶を強く握り締め、あの男の言葉を信じ、ただ待っていた。
船底は二重底になっており、たとえ浸水してもそう簡単に沈まぬ船構造になっているが、それはこの異常な事態で信用出来るものではなかった。
その時、ロビーの方から、悲鳴混じりの声がして、十数人の人間が階段を降りて来た。この非常時にエレベーターを使う事は危険だからだ。その集団の先頭には、小次郎を肩に担いだあの男がおり、その後ろには、レオタード姿の少女が四人に、数名の船客達が続いていた。少女達が掛けている襷には、アメリカ代表、フランス代表、イギリス代表、ロシア代表と書かれていた。美々は中から飛びだし、心配そうに小次郎に駆け寄った。
「よしッ! 皆あの潜水艇に乗り込むんだ!」と叫ぶ男に、脂ぎった顔で恰幅のいい男が、「誰なんだお前はッ! 操縦出来るんだろうなッ!」と日本語で怒鳴ると、その恰幅のいい男に肩を貸す青年が、「先生!こんな時に!」と叫んだ。すると、
「私は、この潜水艇のキャプテン・パイロットのウッディー=ボールドウィンだ。この船と共に太平洋の藻屑になりたいんだったら、乗らんでもいいぞ。尤も、この沖縄の海底には、アンタの国の仲間が今も沈んでいるから、寂しくはないだろうがな!」
「何ッ! このパイロット風情が! 儂はこの船を建造させた、防衛庁長官の赤城政則だぞ! 貴様なんぞこの船から降ろしてやる!」と居丈高に怒鳴ると、ウッディーは、これも日本語で、
「ああ、だから今降りるのさ」
と買い言葉。だが赤城の側にいる青年が、「父さん、いい加減にして下さいッ! 此所にいる全員溺れ死んでもいいんですかッ!?」
赤城は閉口した。少女達はその日本語の会話を、不安そうに聞いていた。
ウッディーはその赤城を軽蔑的に一瞥してから、英語で、
「よし! じゃあ、皆乗り込め! 直に注水して外に出るッ!」と言った。
『The Madonna's snow』号に乗り込んだのは、キャプテンのウッディー=ボールドウィン、美々、小次郎、コンテスト米代表のマリエル、仏代表のココ、英代表のアイシー、露代表のルルシェ、宮城県選出の衆議院議員で防衛庁長官の赤城政則と、彼の息子で第一秘書の政治。そして、世界的ファッション雑誌「VeーVe」の女性記者サンドラ=アトキンソンと、ファッションモード界の大御所ジャン・フランコ・ゴルティエという顔ぶれだった。このゴルティエは、「SUPER MODEL LOOK ’31」の審査委員長として、この船に乗船していたのだった。
全員が乗り込み、シートベルトを締め、ウッディーはパイロットシートに座る。こちら側の操作で、水密室に注水が開始された。脱出困難になる程船が傾く時間と、注水完了して船外に脱出出来る迄の時間はギリギリというところだ。焦るウッディー。それを見守る事しか出来ない皆。一瞬一瞬が無限の時間のように思えていた。既に船体が傾いている。(お父さん)と、意識を失っている小次郎の脇で、ヒノナはそう心の中で呟いた。
「O・K~! 注水完了だ! 発進するぞ!」というウッディーの声が響く。
二重になっている船底のハッチが開き、『The Madonna's snow』号の上部で船体を固定していた油圧式アームが、『The Madonna's snow』号を船外の海中に押し出すと、ウッディーはエンジンを始動させ後進全速をかける。巧みな操船で『サン・ファン・バウティスタ号』の真下を離れた。そしてバラストタンクから、注水していた水をブローさせ、潜水艇に浮力を得させると、『バウティスタ号』後部から一00m程離れた位置に浮上した。船の状況、そして他の船客の非難状況を知る為だ。
『サン・ファン・バウティスタ号』はまだ沈没はしていない。水密隔壁などがあり、構造上そんな簡単に、速く沈没する事はないが、機関室辺りが大破し、激しく立ち上る噴煙は、避難した船客達に、カタストロフィーだと思わせるに十分過ぎる程の光景だった。
付近には多くの救命ボートが漂っている。その状況を窓から把握したウッディーは、
「一先ず安心だ」と、マイクで皆に知らせた。皆も、丸い小型窓から海面の状況を眺め、安心したのか、少女達も、あの国会議員達も、皆安堵の溜め息をついた、が、次の瞬間その安堵は最大の悪夢へと変化した。
「何だ? どうして、こっちの真上を指差しているんだ」というウッディーの疑問の通り、救命ボートの避難した人々が、信じられないものを見ているかの様に悲鳴を上げている。
『The Madonna's snow』号の真上に、あの多くの人を埋め込んだ『サタネル』が浮揚している。まだテスラコイルはスパークし、空間そのものが歪み、その艦体は半透明化している。
その時だ。美々は、十数m上空に浮揚する『サタネル』の艦首部分を見上げた。
「!」
瞳孔は見開かれ、彼女の華奢な体全体が小刻みに震え始める。
(そ、そんな! ベ、ベベルゥさん?!)
彼の顔を、愛しい許婚の顔を見間違える筈がない。チタン合金の『サタネル』の艦首部分にその体を埋め込まれていたのは、美々の許婚、紛れも無いベベルゥ=モードだったのだ!
そのテスラコイルのスパークが、真下の『The Madonna's snow』号を襲った。その影響で、円窓のガラスが割れ、海水が船内に入って来る。
「きゃッ!」と叫ぶ美々。そして、美々が倒れそうになる小次郎を抱き起こそうとした時、美々の手から、父ジェームスから貰ったあの小瓶が溢れ出た。
一瞬ピカッという閃光が煌いた瞬間、『サタネル』は、『The Madonna's snow』号を伴って忽然と消えた。
「ヘイズ中将! サ、『サタネル』です! テレポートしてきまし、・・・おいおい待てよ。な、何だ、あれはッ!」
その士官は二の句を告げなかった。実験海域に戻って来た『サタネル』は、見るも悍ましい、正に悪魔の姿と云ってよかった。
ヘイズ中将もモード博士も、表情を凍らせた。それは、この海域でこの実験を目にしている全ての関係者とて同じだった。その惨状に吐く者さえいた。
「・・・サタネル。堕天使ルシファーとも呼ばれ、嘗て最強の熾天使セラフィムだった悪魔の中の魔王とは、底なしの窖、深海の魔王・・・。ヘイズ中将・・・。もしかすると、『聖書』で説かれる最強の悪魔を作り、その魔王を送り込んだのは、我々、いや、アメリカ合衆国かもしれませんぞ……」
明王玲司の父で、美々の祖父タイゾー=モード博士は、双眼鏡を降ろすと、顔面蒼白となり、そう呟いた。が、その言葉にヘイズは何も答えず、ただ双眼鏡で『サタネル』の姿を凝視していた。
「博士ッ! 最終段階に入っているようです! 三隻で形成されるトライアングル内の強電界が臨界値に達すれば、タイムワープしますッ!」と、レイモンドが叫ぶ。
三隻のロス級から、『サタネル』の四基のテスラコイルに向け磁力線が放射され、強電界が作られ、『サタネル』のテスラコイルとロス級のテスラコイルが反応し、四隻全部が同時にタイムワープする、その瞬間が今訪れたッ!
めくるめく光のシンフォニー。四隻の原潜のテスラコイル同志が、青白い光の帯で結ばれ、トライアングル内の空間が大きく歪み始め、一瞬の閃光と共に、
「ウオッ! 中将、消えました! 今度は四隻全部ですッ!」
だがブリッジでは歓声一つ上がらなかった。全員が言葉を失い、呆然とし、タイムカウンターだけが一秒一秒時を刻んでいた。そしてヘイズ中将は一言だけこう云った。
「……パールハーバーのマクダネル提督、そして、大統領に報告せよ」
(イシガキジマのカビラ港に停泊中の『Knorr』にいる、『A3C(古代文明委員会)』の老人方が黙ってはいないな・・・)
内心呟くヘイズ中将の隣で、タイゾー=モードは、原潜が消えた海域をただ見つめながら、こう呟いた。
「ムーが沈んだのは神の意志なのか。それとも因果律を弄ぶ人間の傲慢なのか・・・」
第二話 了
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