第53話 末路

 ヴァンはホライゾンの前に立っては進軍を止めようと躍起になっていた。


 だが、ホライゾンはヴァンが全力で殴ろうが、蹴り飛ばそうが、歩みを止めなかった。


「何なんだ! 君には痛みがないのか!」


『貴様は半人半魔のモルモットだな。良く研究させてもらったよ。貴様は素晴らしい肉体の持ち主だ。だが、「痛み」という不完全な機能と「感情」と呼ばれる無駄な機能を備えていた。私は不要な機能を切り捨てた。完全なる新人類だ』


「感情と痛みを捨てたら、人間として大切な想いを捨てるんだよ! 君の考えは間違っている!」


『私が間違っているなら私を止めてみせろ。貴様には無理な話だがな』


 ホライゾンの強烈な右腕のすくい上げ攻撃にヴァンは避けられないと咄嗟の判断で察した。


 ヴァンは防御態勢に入った。


 ヴァンは腕を十字にして剛腕の一振りを受け止めた。


 だが、余りの破壊力に後方へ大きく吹き飛ばされた。


 十字にして防御した左腕が折れて使いものにならなくなった。


 ヴァンは受け身を採って、素早く起き上がると、傷を無視してホライゾンに襲い掛かった。


『元は人間! 弱点は変わらない!』とヴァンは鳩尾に強烈な右跳び蹴りを叩きこんだ。


 だが、ホライゾンに効き目はなかった。


 ホライゾンはヴァンの右足を右手で掴むと、力任せに大地に何度も叩きつけた。


 叩きつけられる度に、ヴァンは意識が飛んだ。


 とどめと言わんが如く、ホライゾンはヴァンを頭上と振り回すと玩具を投げる子供の如く前方に投げ飛ばした。


 ヴァンは大地に叩きつけられると、三回転して動かなくなった。


 ヴァンの意識は半分消えかけていた。


 失いゆく意識の中でヴァンは「僕はここまでなのかな……」と自身に問うた。


 ヴァンはブラッドとの出会いを回想していた。

                   ◇

 時は二年前に遡る。


 ヴァンは孤独だった。


 生まれて物心つく頃には家族と呼べる存在は誰一人いなかった。


「自分は何者なのか?」と考える以前に、「食べ物を探して生きて行かなければ――」が先に考えついていた。


 ヴァンは名前すらない唯の秘境アナルタシアに住む魔物と同じ存在だった。


 魔物の行動を見て学び、同様の行動をしては生きていく大変さを思い知り、孤独の中で生きていた。


 仲間と一緒に暮らす魔物がヴァンは羨ましかった。


 時折、秘境アナルタシアに姿を見せる「ヒト」と呼ばれる存在が、ヴァンと同じ種族だと気付くまで十年間の歳月が必要だった。


 ヴァンが十一歳の頃から、人里にヴァンは姿をみせるようになった。


 だが、身体を洗うのも髪を切るもロクにしないヴァンの姿を見て人間たちは「魔物だ!」と勘違いをして物を投げたり、剣で傷を負わす等、酷い扱いをした。


 だから、ヴァンは人間に愛おしさを感じると同時に強い憎しみを抱いていた。


 そんなヴァンが十五歳になった時、一人の男性がヴァンの前に姿を見せた。


 その男性はヴァンがどんなに攻撃しようが、怒るどころか微笑んでくれた。


『お前、唯の人間と違うな。俺の言葉が解るか?』


『言葉は解る。でも、お前も俺を殺すつもりだろう?』


『そう怖い顔で睨むなよ。俺の名前はブラッド・エル・ブロード。お助け屋を開業した男だ。お前がもしかして依頼主のいっていた魔物か?』


『俺は魔物、違う!』


『……だろうよ。今まで散々な思いをして来たんだな。痛み入るぜ。どうだ、俺と話をしないか?』


『……、俺、怖くないのか?』

『妹のほうが何千倍も怖かったからな。全然怖くない。名前はあるのか?』


『……』


『なら、「ヴァン」って名前はどうだ?』


『……ヴァン? 意味は?』


『古代エクラ人の言葉で「感謝」を表す言葉だ。「感謝」の意味解るか? 「ありがとう」って意味だ』


『何で、お前が俺に感謝する?』


『こんな俺でも、一人は救えた。それが嬉しかったんだよ』


 ヴァンは内心「コイツの考えは解らない」と考えた。


 同時に「面白い奴だ」とも考えた。


 それが、ヴァンとブラッドの初めての会話――。


 ヴァンがいつも心に留めている大切な思い出だった。

                      ◇

 ヴァンは意識をハッキリ持ち直した。


「ブー君は僕に生きる意味を与えてくれた! 今日まで来られたのもブー君のお陰だ! ブー君に任された仕事ができなくてどうする! 僕はヴァン! ヴァン・ウィズ・フォレスター! 「生まれてきてありがとう」の意味を冠する男だ!」


 ヴァンは必死に起き上がっては、腹の底から絶叫すると、フラリッとホライゾンの前に立ち塞がった。


『死にぞこないが。まだ、動けるのか?』


「僕には大切な人が沢山いる! 沢山の大切な人を守るため! 期待に応えるために僕は負けられない!」


『その心意気は良し。だが、心意気で国は作れぬ。哀れだな、死ね』


 ホライゾンの拳が轟と風を切って迫る。


 ヴァンは立っているのが精一杯だった。


 このままだと、ヴァンは本当に絶命する。


「駄目だ……」


 ヴァンが諦めかけたその時、拳を受け止める者がいた。


「ブー君に頼まれて様子を見に来たら、危なかったのぉ! ヴァン、お主も良く魔物の血を抑え込んだ! 儂が来たからにはもう安心して良いぞ!」


「お師匠……」


 タオ老師が杖で軽々とホライゾンの拳を受け止めていた。


 ホライゾンはタオ老師を見ては、怒りをあらわにした。


『ご老人、邪魔しないでもらおうか! 貴様みたいに現役を退いた奴に話しはない!』


「儂は『生涯現役』を掲げていてな! お主のようなたわけ者を成敗するのが何よりも大好きじゃ!」


『この、潰れろ!』


 ホライゾンは右巨腕をタオ老師に放った。


 だが、タオ老師は重力を操る杖を行使して巨腕の力をいなすと杖で軽々と受け止めた。


「ヴァンには通用したかもしれぬ。じゃが、儂には力押しは通用せぬよ。その上、貴様は人道に外れた行いをしたみたいじゃな」


 ホライゾンの攻撃をタオ老師は軽々といなし、強烈な杖を使った攻撃を叩きこむ。


 ホライゾンの頭がタオ老師の強烈な一撃で陥没した。


 だが、今のホライゾンは不死の身体だ。


 陥没した頭が即座に元に戻って、歓喜に満ちた声をあげた。


『そんな攻撃、私に利くものか! 私は永遠を生きる! 私がいる限りファイント帝国は永遠に存在し続ける!』


 タオ老師はホライゾンの狂気じみた行いと思想を感じ取り、ヴァンに話しかけた。


「ヴァンよ。ブー君には『申し訳ない』と伝えておくれ。どうやら、儂の永遠は二百五年で止まりのようじゃ」


「お師匠、何をする気ですか!」


 タオ老師は微笑むとヴァンに優しく語りかけた。


「儂の愛した家族を守るために逝く。最高の最後じゃ!」


 ヴァンはタオ老師が捨て身の行動に出ようとしているのを感じ取ると「駄目だ!」と腹の底から叫んだ。


 だが、ヴァンの身体はいうことをきかない。


 タオ老師は上級血液魔法の発動手順を踏むと、左腕をホライゾンに突き出した。


「儂と共に逝くのじゃ! 機械(マシーナリー)の(・)操り人形(マリオネット)!」


 タオ老師が魔法名を唱え終えると、老師の背後につぎはぎだらけの機械人形が姿を現した。


 機械人形は「ケケケ」と笑うとタオ老師の胸に右手を突っ込んだ。


 そのまま心臓を抜き取ると自身の右腹に格納した。


 機械人形はホライゾンを見てはまた「ケケケ」と声をあげると両手の五指から糸を放ちホライゾンをからめ取った。


『なんだ、この糸は動けない! 来るな、来るなぁ!』


 ホライゾンは目の前に迫った『死』を見ると恐怖に染まった声をあげた。


 だが、機械人形は手を緩めない。


 ホライゾンの胸に左手を突っ込むと心臓を抜き取った。


 機械人形はホライゾンの心臓を左胸に格納した。


 そのまま機械人形は爆散し、姿を消した。


 心臓を粉々に砕かれた二人は力なくその場に崩れ落ちた。


「ヴァンさん、今の爆発はいったいなんですか!」


 アイナが戦場の異変を察して最前線まで出て来た。


 ヴァンは自身の不甲斐なさを恥じて、アイナに事の成り行きを話した。


 アイナは巨大な白い怪物がホライゾンだと知ると、駆け寄った。


「お兄様、そんなお姿になられてまでなぜ、帝国で覇を唱えたかったのですか?」


『アイナか? 最後になったな。貴様には話さなければならまい――』


「お兄様が今更、どんな弁論をしたところで、ここまでの争いに発展した罪は拭えません。私はお兄様を許せないー―」


『それで良い。アイナ、父さんは皇族全員を生贄に使ってまでこの力を手に入れようとした。だから、私が誅殺した。その業を私は受けようと覚悟している。私は帝国の技術はアルデバラン大陸随一だと証明したかった。早くに亡くした母さんに自慢したかった――。「ここまで出来たよ」って』


「自慢なんてする必要はありません! ならアイサット王国と和平の道を辿る方法だってあります! 何で侵攻したのですか!」


『家臣の中には父さんの理念を押す者が多い。皇帝とは家臣を家族と想い大切にする必要がある。アイナ、貴様を大切に想わない日はなかった――。同時に、家臣も大切な家族だった』


「それでは、お兄様が余りに可哀想です! 唯の操り人形ではありませんか!」


『皇帝とはそんな陳腐な存在だよ。私が永遠を生きれば変えられる。そう信じたものさ――。でも、もう長くない。最後にアイナと話せて良かっ――た……』


「お兄様!」


 アイナの悲痛な声が戦場に響いた。


 だが、異形の存在となったホライゾンは二度と話すことはなかった。


 ホライゾンの身体は生命が抜き取られた唯の肉塊と化した。


 湿気を含んだ風がホライゾンの遺体を撫でた。


 ホライゾンの身体は瞬間的に朽ちて、風に運ばれて綺麗な光へと姿を変えた。


 ヴァンはアイナの姿を見ると同時に逝ってしまったタオ老師の小柄な身体を抱きかかえた。


「お師匠……、本当に良かったのですか?」


 最早何も語らないタオ老師の遺体にヴァンは話しかけた。


 ヴァンの声は風に乗って消えた。

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