第47話 ヴァンの決意

 ヴァンとアイナが向かった先はイフマールの寝室前にあった庭園だった。


 アイナは庭園の前に立つと花を撫でながらゆっくり語り始めた。


「ヴァンさん、私がこの場所にあなたを呼んだ意味を理解されますか?」


「えっと……、ゴメンね。僕はブー君みたいに察しが良くないから、アイナさんが何を悩んで、僕をこの綺麗な庭園に呼んだのか理解できないや」


 ヴァンは後ろ頭を掻きながら「テヘヘ」と苦笑いした。


 アイナは苦笑いをするヴァンを見て頬を朱色に染めるとヴァンから目を逸らしてゆっくり語った。


「私はコーメルの地ではブラッドさんには想いを告げましたがヴァンさんからは目を逸らしていました。だから、しっかり話をしなければならないと考えたのです。ヴァンさん、あなたは私をどう見ていますか?」


「僕はアイナさんを素敵な女性だと感じているよ。でも、同時に良き旅の仲間だっていう失礼な感覚も覚えるんだ。ファイント帝国に向けて旅をした日々を僕は一生涯忘れない。本当に楽しくも苦しい時だった。だけど、アガーテ王子やブー君、何より、アイナさんがいたから乗り越えられた」


「ヴァンさんの想いは解りました。私の想いを告げさせていただきます。私はブラッドさんとヴァンさんに特別な感情を抱いています。ブラッドさんには先にお伝えさせてもらいましたが、特に返事もなく、普段通り接して来られる辺りから、私はブラッドさんの伴侶にはなれそうにありません。だがら――」


「少し待って! その話の先は僕、聞きたくないよ……。アイナさんが僕に懐いてくれていたのは察していたし、そんな風に慕ってくれるのは光栄だ。でも、僕がアイナさんと交際するとか……、無理だ」


「ヴァンさんは私が嫌いだから無理だと答えられるのですか?」


 ヴァンは激しく首を左右に振ると、改めてアイナを強い意志が籠った目で捉えて話した。


「アイナさんは僕が半人半魔の半端者だって知っているよね? 僕はこの身体に流れる鮮血のせいで多くの罪を犯して今日まで生きて来た。僕の両手は罪で真っ赤に染まっている。そんな罪人とアイナさんみたいな清純な人が一緒に暮らすのは無理な話なんだよ」


「どうして無理な話だと決めつけるのですか! ヴァンさんは凄く優しくていつだって私を勇気づけてくれた恩人です! 恩人の心惹かれるのが駄目なのですか!」


 アイナがヴァンへ振り向くと強い口調で言い放った。


 ヴァンはアイナの眼が「どうして私を選んでくれないのですか?」と語っているのが辛かった。


 ヴァンは断腸の思いで言葉を嚙みしめながらゆっくり話した。


「アイナさん、僕はね、十五歳の時まで秘境アナルタシアで魔物と一緒に生活をしていた。ブー君が僕を宥めて好きになってくれるまで人間が憎くて仕方がなかった。今は僕、人間が好きだよ。でも、『恋』とか凄い立派な感情が僕には欠落している。本当に解らないんだよ。どうやって人と『恋』を育んでいくかがさ……」


 普段の明るく、元気の良いヴァンとは違い、弱い面を見せたヴァンに対してアイナは心を更に強く掴まれた感覚があった。


 人が好きで、ジュノでは多くの人から愛されているヴァンでも「恋」の感情が解らない。


 アイナは真剣に困っているヴァンを見て決意を固めた。


「私がヴァンさんに欠如した感情を与えます。きっと、十五年間も魔物と共に過ごした異例な経歴で人間としての感情が麻痺しているのです」


 アイナは一歩、また一歩とヴァンに近づいた。


 ヴァンは怯えた子犬のように身を震わせると悲鳴に近い声で話した。


「アイナさん、こっちに来ないで! 今のアイナさんが僕には怖くて仕方がないよ!」


「大丈夫ですよ。怖がらないで――。私はヴァンさんが暴走しようが、人間として感情が欠落していようが、受け止める覚悟があります」


 強い口調で言い切ったアイナにヴァンは余計に身を震わせた。


 ヴァンはアイナに対する恐怖で身動きが取れなかった。


 最強と名高い王宮騎士団を一人で壊滅状態に追い込む凶悪な力を持つヴァンも「恋」の感情を前にしたら子犬同然だった。


 アイナはヴァンを優しく抱きしめた。


 アイナの優しさ、甘い匂い、女性としての身体の柔らかさがヴァンの不安に駆られた心を解きほぐしていった。


「怖くない……。私は、ヴァンさんを想います。この想いは確かな感情です」


「不思議な気持ちだね。手が痺れる。まるで毒を受けたような感覚だよ。僕はあんなにもアイナさんを怖がっていたのに、いざ抱きしめられると、心が太陽に当てられたようにポカポカと温かい」


「ヴァンさんの感じている感情こそ『愛』の感情です。もし、ヴァンさんが私を嫌いなら、手は痺れません。心は暗く、不快な感情を覚えたはずです。でも、良かった――。ヴァンさんには『愛』の感情を取り戻せる余地があり、私が与えられる恋人になれると解りました」


「アイナさんは凄く積極的なんだね。僕、アイナさんの言葉を聞くだけで、心が熱くて、顔が真っ赤になるのが解るよ。僕には何十年かけても成し遂げられない体験を、アイナさんはほんの数秒で達成した。凄い人なんだなって改めて実感したよ」


「では、ヴァンさん。ブラッドさんに振られた私の心を癒す、男性になってくれますか?」


「僕は何も解らない奴だよ。ブー君が悪いんだからブー君が償えば良いのに……。でも、僕で良ければ、アイナさんの想いを無駄にしないように尽力するよ」


「では、最初の約束です。次の戦いで戦死をしないで下さい。必ず、私の元へ帰って来て下さい。報酬よりも大切な約束ですよ?」


「無茶を言うなぁ」とヴァンは顔を真っ赤にしながら微笑んだ。


 ヴァンは人生十七年の中で最も特別な感情をアイナに教えてもらった。


 二人はお互いの気持ちを確かめるように真夏の太陽の下で口付けを交わした。


 口付けは契約の証――。


 ヴァンには更に一つ死ねない理由ができた。

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