第3話序・3『グランマ 惟任美音』


銀河太平記


序・3『グランマ 惟任美音』    






 カルチェタランのオーナーにしてプロデューサーにしてマンチュリー随一のアーティスト。


 惟任美音(これとうみおん)




 グランマの通称通り熟年オーナーの貫録なのだが、受ける印象は、時に少女のようであり、時には老長けたやり手ババアか哀愁漂う娼婦か……思っていても口にしたりはしないが。


 いや、口にしなくても、こちらの思うことなどは掌を指すように明確、的確。程よく面倒見がよく、適度に薄情。しっかりしているようで十に一つほどは大ポカがあり、俄かから古参に至るまでファンは彼女の虜になる。


 任官二年目で本国の出世コースからは外れてしまい、こんな辺境守備軍の司令官をやってはいるが、本業(軍事的なこと)のことで悟られるようなことは無い。ま、その分、世俗の事ではキンタマの皴まで読まれているような気がするが、それが心地いいのだから、俺もいいかげん変態なのかもしれない。


「顔を見るたびに、あらすじ読むような顔しないでくれる。お酒がまずくなるわ」


「すまん、敵情視察は職業病みたいなもんだ」


「あらあら、カルチェタランのグランマは、いつだって正義のミカタよ。まあ、一杯やって、300年前の青島ビール」


「どこの遺跡から発掘したんだ?」


「定遠の艦長室」


「日清戦争のゲームかい?」


「広瀬中佐のウォッカのお返し」


「スパシーボ」


 バカを言ってる間にステージの設えが変わった。


 上手と下手の袖から二組のレールが伸びてきて中央でクロス。転轍機が切り替わる音がして、ホリゾントの向こうから、この世の終わりか始まりを思わせる地響きがする。


 ホリゾントは満州平原の仮想現実となって、地平線の彼方から巨大な青い蒸気機関車が爆走してくる。




 ポーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!




 満鉄のアジア号だ。


 どういう演出になるかとジョッキを置くと、アジア号は速度を落とすことなく驀進して、客席を貫いていく!


 グオーーーーーーーーーーーーーーーーー!!


 むろんホログラムなのだが、客席の全員が墜落寸前のパルスジェットの乗客のように身を縮めてしまう。こんな時に平然としているのは朴念仁だ。


 うわーーー!


 初めてゴジラを見たオッサンのような声をあげてお付き合いしておく。


 ん?


 顔を上げると、レールが交差したところに湖姫が際立っている。


 シルクの衣の下は素肌なのだろうか、スレンダーではあるが内圧の高い肉体は針を指したら弾けてしまうのでは思わせるくらいにフレッシュだ。


 タン タタタン タン タタタン タタタタタン……


 上下の袖からレールに乗ってウズベキスタンあたりの楽器を小気味よく奏でながらバンドが現れ、そのリズムに乗って湖姫が踊り出す。


 これは……ボロディンの歌劇……韃靼人の踊りか?


 辺境の軍人には、乏しい知識の中から似たものを引き合いにして感嘆するしかない。


 リズムは緩急をつけながら、しだいに激しくなり。いつの間にか現れたのかバックダンサーたちが、ホログラムだろうから、いつの間にかもないのだが、湖姫の湖旋舞を荘厳し、湖姫は、それを増幅し放射して、ステージの時間を千年も巻き戻したかと思われた。


 チンギスハーンの宴など知る由も無いのだが、あったとしたら、そのチンギスハーンの最盛を寿ぐような生命感に満ちている。


 いつのまにか、自分の拍動さえシンクロされてしまっている。


 この初心なときめきは何だ? もう何年も感じたことのない拍動に戸惑う。士官候補生になったばかりの青二才が、軍人として初めて日本海海戦や奉天戦の戦歴に触れたような昂ぶりに似て……いや、軍人以前の男として、二十歳をいくらか出た青年のころのときめき、あれにそっくりな……。 


 まあいい、こういう時は素直に支配されてしまった方が楽しいし、人の邪魔をしない。


 こういうところでは、みんなで楽しむのがルールだ。


 士官学校最終年の講義に禅宗の坊主になった退役中将が講演した。


『戦の肝は放下(ほうげ)である』


 という言葉が蘇った。




 気が付くと、他の客たちといっしょに手が痛くなるほどの拍手をしている自分が居た。


 ステージの湖姫の踊り子と目が合った。


 礼儀のためだけでなく、俺はグラスを上げて立ち上がり、それを彼女に捧げる仕草をして飲み干して、さらなる拍手を送る。


 すると、湖姫は客席への階段を下り始め、同時に、あれだけ居た客たちが気配を消していく。




 湖姫がフロアーに足を下ろした時には、湖姫とグランマと俺の三人になってしまっていた。

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