第3話:俺の学生時代の事

1.


俺の故郷は、浮遊大陸の西側にある地上のとある村である。

浮遊大陸には魔族の世界出身の種族も多いが、故郷の村は殆ど人間しか住んでいなかった。


その日はリアルスペースの学校で授業をする日だった。

成績優秀生であるが態度は不良学生だった俺は、学校に行く日は大体屋上でサボっていた。先生が言うには、リアルスペースでしか出来ない付き合いがあるとの事だったが、本気で馬鹿馬鹿しいと思っていた。


俺好みにチューンされたAIが選ぶ流行の曲がサイバネ・イヤーから鼓膜に流れて来る。

それに加えて、初夏の風が心地良く頬を撫ぜ、俺は実に気分が良くなっていた。

余りの気分の良さに、サイバネ・ブレインのマルチタスクモードを弱にして、サイバネ・イヤーのノイズキャンセリングを入れる事にした。


それから、4曲目に入ろうとする辺りで、サイバネ・アイの360度カメラの後方部分に何かが映った。


そこには風紀委員長が立っていた。


2年B組出席番号42番。

成績優秀、才色兼備、文武両道……褒める言葉を重ねてやっと存在が説明出来る存在。


彼女は強い女だ。

長らく同じクラスに居るが、泣いた所どころか、涙の一つも見た事が無い。


からかいは上手くいなすし、いじめにも屈しない。

噂では不良に対して、得意の合気道で応戦して勝ったなんて話も聞く。


「ああ、悪い。音楽に集中してたんで、反応が2秒遅れた。」


「遅れた、じゃないでしょう。君、成績良いからって先生も目こぼししてるけど、大体授業サボってるでしょう。」


「それが何か?」


「風紀委員の身にもなりなさいよ。真似する子とか出たらどうするのよ。」


「俺は俺、他人は他人。人には人の乳酸菌。」


「君ねぇ……」


俺は、そんな風紀委員長が苦手だったが、そんな風紀委員長が居る日常は好ましく思っていた。


2.


今年も夏休みがやって来た。


俺には幼馴染の悪友と言っても良い奴がいる。

暇だとチャットやらボイスやらを投げ合っている仲だが、毎年のようにこの時期はそいつの赤点の補習に付き合ってもいる。

サイバースペースの課題を何とか終わらせた悪友に対して、俺はちょっとした提案をした。


「肝試し?」


悪友は素っ頓狂な声を上げた。


「そう、南の森で。面白そうじゃね?」


村の南側には、昔から存在すると言う森がある。

村の子供ならば、そこは、恐ろしい祟りがあるから決して入ってはならないと一度二度ならず教わっている場所だ。


「でも、あそこは恐ろしい祟りのある帰らずの森だから入っちゃいけないって……」


「このサイバネの時代に、祟りなんて馬鹿馬鹿しくないか?」


「確かにそうか。じゃあ、善は急げだな、明日の0時に南の森の入り口集合な。」


そして、翌日の深夜。

約束を守る男達二人は、木々が鬱蒼と茂る森の入り口に立っていた。


「じゃあ行くか。」


そう言って、俺達は森に入って行った。


森の中はお世辞にも歩きやすいとは言えないが、明らかに人が手入れしている様な道が存在していて、微妙に拍子抜けしてしまった。

何が帰らずの森だ。


しばらく歩いた頃、


「なあ、お前は随分すたすたと歩いているが、先が見えるのか?」


ライトで先を照らしながら、足元に注意してゆっくりと歩いている悪友が言った。


「ふっふっふ、最近のサイバネ・アイはナイト・ヴィジョンのアドオンが乗せられるんだぜ。」


「すげえな。いいなぁ、俺の学校サイバネ禁止なんだよなあ。」


「サイバネはいいぞ……ん? この先に開けている場所があるぞ。」


先に進むと、そこにあったのは泉とも湖ともつかない大きな水域だった。

その真ん中に島があり、そこには木造の小屋が見える。

ついでに言うと、その小屋の中にはカーテン越しに明かりが灯っているのが見えた。


辺りの灯った小屋があると言う事は、そこに至る道もあると言う事に違いない。

俺はそう思って、サイバネ・アイの望遠モードを起動して、小屋から逆算する様に周りを見回してみた。

果たして、木造の丸太橋の様な物が見えた。


しかし、まさかそこでサイバネ・アイにナイト・ヴィジョンのアドオンを乗せた事を後悔するとは思いもよらなかったのであった。

アドオンを乗せた事によって容量不足に陥った結果、360度カメラをクラウドに戻していたのだ。


「えっ……?」


気が付いた時には、地面に倒されており、次に気が付いた時には、意識を失う寸前だった。


3.


俺はどうしたんだろう。

ああ、そうだ。

後ろから倒されて、そのまま硬い物で殴られた……か?

兎に角気絶していたんだった。


そうだ、悪友は、悪友は何処に……?


「気が付いた?」


ん? この声、何処かで聞き覚えがあるぞ。

何処だ、何処だったか?


眼を開けると、そこには……風紀委員長の姿があった。


「えっ、何で、ここに?」


俺は心底びっくりして、喘ぐような声を出すのが精一杯だった。


「それはこっちの台詞よ……君、この森は帰らずの森だって言う言い伝え知らないの?」


余りの驚きに風紀委員長の言葉はサイバネ・ブレインに残らなかった。

そして、さっきと同じ事が浮かんだ。


そうだ、悪友は、悪友は何処に……?


「それはそれとして、もう一人居なかったか?」


「もう一人? ああ、私の姿を見て、情けない声を上げながら慌てて逃げて行った彼の事?」


と言う事は、ここには風紀委員長と俺しか居ない?

そう思った最中、入り口の戸だろうか、扉を開ける音がした。


「悪い、隠れて。」


返事をする間も無く、風紀委員長は俺を押し入れに押し込めた。

粗野な男の声と、乱暴な物音が聞こえ、風紀委員長の悲鳴が聞こえた。


俺は好奇心に打ち勝てず押し入れの戸を微かに開けた。


風紀委員長は、喘ぐように泣いていた。

あの強い女だと思っていた風紀委員長がこんな表情をするなんて、と言う表情で泣いていた。


何だ、これは。


俺は、男に乱暴される風紀委員長に釘付けになっていた。

余りに驚いて、声も出なかった。

風紀委員長の目から流れ落ちた涙が、まるで宝石の様だったのだ。

いや、これはある意味比喩ではない。

そう、まるで宝石の様な美しい固形物として、床に散らばっていたのだ。


後から俺のサイバネ・ブレインのログを調べた所、37分28秒程男はその部屋に居た。

男がやる事と言えば、淡々と風紀委員長に乱暴をして、淡々と散らばる固形物を拾い集める事だけだった。

その行為に感動も興奮も無さそうに、ただ淡々とルーティンを繰り返すだけだった。


その時、俺はサーモグラフィで見て分からないタイプの薄ら寒さに襲われていたのだと思う。

知的生命体と言う物は、こんなに淡々と、淡々と人に危害を加えられるのだ、と。


5.


「ごめんなさい、変な所に巻き込んじゃったね。」


男が帰り、風紀委員長が押し入れの戸を開けた。

やっと、ここには風紀委員長と俺しか居ない状況が帰って来た。


「綺麗でしょう、これ。」


風紀委員長は、涙の欠片を手に取って感情の無い声で言った。


「これは、ちょっと形悪くて売れないから、置いて行ったの。」


涙を……売る?

いや、そんな事言ったら、涙が宝石みたいになるって、どう言う事なんだ?


「私ね、おかあさんが人魚なの。おとうさんは、人間なんだけど……。」


にん、ぎょ?

俺はオウム返しをしたつもりだったが、実際には口をぱくぱくさせていただけの様だった。

そんな俺を無視して、風紀委員長は話し続ける。


「この辺では、人間以外の種族は少なくて偏見も色々あるから、おかあさんはこの泉に隠れて住んでたの。」


それを聞いて、ある日の授業の事が想起された。

偏見は良くない、差別は良くない。

そんな内容だった。


「でもね、ある時から浮遊大陸の暴力組織の人に目を付けられて、おかあさんは連れて行かれた。」


浮遊大陸……子供の頃の記憶が想起される。

この村は、浮遊大陸から一番近い村の一つだと言い聞かされて育った。

少し東に行けば、浮遊大陸の影に、それが地上の土地であった痕跡が残されている。

不毛の大地として。


「私は、無事だったんだけど……その時、助けてくれた人が、今の男の人。」


今度は、以前に聞いた噂が想起された。


「でも、合気道得意なんだろ? それで、撃退したりできないのか?」


風紀委員長は、首を横に振った。


「駄目なの……あの人は、私の保護者なの。あの人がいないと、私、学校にも行けてない。」


そして、絶望の籠った声で、こう言った。


「私の合気道は、あの人以外の人から私の涙を守るために教えられた物なの。」


6.


結局、朝方俺はそのまま帰途に就いた。

サイバネ・ブレインには余りにも色々な事が蓄積されていたらしい。

俺は、帰宅してすぐ泥の様に眠ってしまったのであった。


翌日はリアルスペースの学校の登校日だった。

俺は、相変わらず屋上に居たが、二度とあの好ましかった日常は帰って来ない事を悟っていた。

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