第55話 姫武者

「何とも面妖な形の砦だな‥‥」

 南蛮から取り寄せた遠眼鏡で彼方を見ながら、政宗が呟く。

「守りも固く、黒脛巾の者でも中々近付く事が出来ませんでした」

 側に控える重長が、悔しげに篠山の先に忽然と建つ舟形の砦を

見据える。

「信繁め、中々良い所に出城を築いたものよ。大阪城は四方を川

と二重の堀で囲まれ、人馬で渡河するには其々に設けられた橋を

渡るしかない。しかし、南の平野に面した城門で一ヶ所渡河せず

に攻める事が可能な場所があの篠山よ」

 家康は当初篠山を押さえ、そこに砲台を置く事を考えていた。

 しかしこれを予見した信繁は、先に篠山を占拠して後衛に真田

丸を据えた。

「まあ、我等は上手の松屋町を任されておるからの。彼処に布陣

する前田勢がどの様に攻めるか、利常殿のお手並み拝見じゃな」

 政宗はニヤリと笑うと、遠眼鏡を重長に預け馬を返すと伊達の

陣営に戻った。

 その後に続く重長は一度彼方の砦を振り返り、今後の戦局を大

きく左右するのは、あの砦の攻略にかかっているやも知れぬと感

じた。



 霜月の半ば木津川の砦で起こった合戦を皮切りに、徳川と豊臣

本格的な戦が開始された。

 この時の徳川の軍勢はおよそ二十万、対する豊臣勢はその半分

にも満たない十万弱の勢力で迎え撃つ事となる。

 家康は数に物言わせ、木津川を始めとする大阪城の西北の砦を

次々と占拠して、包囲を固める。

 豊臣勢は全ての城門に一個隊の兵を配備し、背水の陣で籠城戦

に臨んだ。


「はっ––––」

 薙刀を上段から振り下ろし、お梅が淀君に先手の攻撃を仕掛け

る。

 淀君はそれを躱しお梅の刀を柄で払うと、その先をお梅の鳩尾

に叩き込む。

「くっ‥‥」

 痛みを堪えて後ろに飛び退き、再び薙刀を構え直して対峙する。

「踏み込みが甘い!間合いの取り方が出来ておらぬから反撃を受

けるのじゃ。もう一度」

「はいっ」

 再びお梅が薙刀を突き出し攻める、淀君は巧みに其れを捌き返

す刀でお梅の喉元に正確に切先を当てる。

「‥‥っ」

 お梅はなす術無くその場に立ち尽くす。

「今、其方は喉を掻き切られて死んだな」

 淀君が構えを解き薙刀を庭の隅に控える侍女に手渡す。

「今日はここまでじゃ」

「ありがとうございました」

 お梅が膝を突き頭を下げて礼をする。

 淀君の姿が奥の間に消えるのを見送り、お梅は大きく息を吐き

出す。

「お疲れ様でございます」

 侍女姿の十六夜いざよいが濡れた手拭いをお梅に差し出す。

「ありがとう」

 お梅が礼を言ってそれを受け取り汗を拭う。

「お方様が厳しく稽古に当られるのは、お梅様の才を見込んでの

事。懲りずにお励み下さい」

「果たしてそうだろうか‥‥‥淀君様の腕前が凄すぎてまるで相

手にならぬ」

 縁側に腰を下ろしてお梅は自嘲して籠手を外し、豆だらけの両

手を見つめる。

 十六夜が軟膏を詰めた合わせ貝を懐から取り出して、お梅の手

の掌に塗る。

「十六夜殿の薬は真に良く効きますね。血豆が一晩で痛みと共に

引いていく」

「薬の調合は我等甲賀の十八番おはこですので。それから、どうぞ

名は呼び捨てて下さい」

 くっきりとした切れ長の眼でお梅を見上げ、十六夜が微笑む。

 侍女姿の十六夜は年若い普通の娘と何ら変わらずに見える。

 だが、九度山に向かう途中で襲撃を受けた際、颯爽と現れた

忍び姿の頭目は、紛れもなくこの目の前に居る女子なのだと思う

と、気安く呼び捨てに出来ずにいた。

「分かりました。では、十六夜‥‥その、淀君様はどこであの様

な武芸を身に付けられたのですか?」

「私がお仕えし始めたのは、秀吉様亡き後、秀頼様と大阪城に入

られてからですので、それ以前は余り存じあげません。ですが幼

き頃より、あらゆる武芸を学ばれていて様です。母君のお市様も

武芸に秀でた方と聞いております。最初の師はお市様かも知れま

せん」

「母君が‥‥」

 お梅が最初に剣術を教わったのは、父の信繁だった。

 弟の大助と共に子供用の木刀を手に、基本の型を指導して貰っ

た記憶が蘇る。

 しかしこうして淀君からの厳しい指南を受け、当時の鍛錬がい

かに生温いものだったかを痛感した。

『あの方はどれ程の厳しい修練を積まれたのかもだろうか』

 そんなお梅の心情を察してか、十六夜が更に主人の生い立ちを

語る。

「幼い頃、叔父の信長様に実父を殺され、母君と幼い姉妹と共に

流転の人生を送られ来たのです。お方様は母君と妹君達を守る為

に己も強くあらねばと、武芸に身を投じたのかも知れません」

 その言葉を聞きお梅ははっとする。

 お梅もまた自分の家族を守る為、大阪城に来てからも人知れず

稽古をしていた。

 それを察した淀君はこうして、毎日稽古をつけてくれるのだろ

う。

「淀君様は、情の深いお方なのですね」

 初めて顔を合わせた時は、あまり良い印象を抱けなかったが

今こうして十六夜から淀君の生い立ちを聞いてお梅は、淀君も己

の愛する者の為に懸命に強くあろうと足掻いているのだと、気付

かされた。



 


 

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