第56話 策謀

 お美代が異変に気付いたのは、偶然信繁の書斎に使っている

部屋の前で見慣れない侍女が、辺りを伺いながら立ち去ろうと

している所に遭遇した時だった。

「もし、何か御用でしょうか?」

 お美代が訝しげに尋ねると、侍女はギョッとした様に立ち尽

くし、恐る恐るお美代に振り返ると新参者の見習い侍女で、場

所が分からずに迷い込んだと弁明した。

 念のため、どちらの家の者か仕える主人の名を問うと、南条

元忠と答えた。

 南条と言えば、伯耆からやって来た浪人衆の一人で、信繁と

同じ様に妻子を伴いこの大阪城内に滞在していた。

 他家の侍女と分かってはそれ以上追求が出来ず、釈然としな

いながらも侍女を見送り、その事を信繁に伝えた。

「元忠殿の侍女が‥‥‥」

 信繁は暫し思案顔で黙していたが、知らせてくれたお美代に

礼を言って自身の部屋に戻った。


 数日後、佐助を伴い信繁は元忠の住う城下の屋敷を訪れた。

「こちらに着いてから、忙殺の日々で中々ご挨拶も出来ず申し

訳ありません」

 信繁はそう言って主人の元忠に挨拶する。

 秀吉が存命の頃、元忠は大谷刑部の元で文官として仕えていた。

 刑部の元を度々訪れていた信繁は元忠とも面識があり、歳の

近い二人は度々城を抜け出し、他の若衆と共に遊興へ赴いた事

もあった。

「い、いや、こちらこそ不義理な事で申し訳ない」

 応対する元忠は何故か顔色が優れず、膝頭を細かく揺すりなが

ら信繁と目を合わせようとしない。

 信繁は何食わぬ顔で手土産の干し柿を差し出してこう言った。

「奥方が好物であったと思って持参致した。どうぞ」

 信繁の言葉にはっとした元忠は何か言おうとしたが、その時

スッと障子が開き、絣の小袖をきっちり着こなした女が湯呑み

を載せた盆を持って現れる。

「ようこそおいでくださいました。家内の律と申します」

 細面ほそおもての女が挨拶して、茶を淹れた湯呑みを其々

の前に置いて元忠の隣に控える。

「今、信繁殿から干し柿を頂いた。皆で食べなさい」

 元忠が干し柿の包みを律と名乗った奥方に手渡す。

「まあ、ありがとうございます。早速皆で頂きます」

 にっこりと奥方が笑い包みを受け取った。


 数刻後、元忠の屋敷を辞した信繁と佐助は帰る道すがら辺り

を伺いながら、小声で言葉を交わした。

「佐助、どうだった?」

「はい、おそらく忍びの者でしょう。上手く装ってていました

が、立居振る舞いに隙が無く匂いもしませんでした」

 佐助は確信を込めて答える。

 忍びは諜報の為、様々な者に姿を変えて敵方に潜入するが、

そこで細心の注意を払うのがである。

 腕の良い忍びは己の気配を悟られぬ様、自身の匂いを消す術を

心得ている。

 佐助は人より嗅覚と聴覚に優れ、人の臭いを嗅ぎ分ける事を

得意としていたので、信繁は敢えて佐助を同行させた。

 信繁が厳しい顔で頷く。

「奥方にすり替わってまんまと城内に入り込んだという訳か」

「問題は、元忠様が何故それに協力しているのか––––」

 佐助が気遣わしげに南条の屋敷を振り返る。

「妻子を人質として捉えられておると見て間違いないだろう」

 信繁は懐から、小さな紙切れを取り出しそれを開く。

 そこには小さな走り書きの文字で【恵 卍 二人 お助け】と

書かれていた。

 数日前これを信繁の書斎に投じた侍女は、翌日二重堀の内側

の水路で骸となって発見された。

 女が南条家に仕える侍女と判明し、骸は早々に南条家に引き

取られ、謝って堀に落ちたとされそれ以上の調べは行われなかっ

た。

 おりしも徳川勢が、豊臣方の砦を次々と陥落している報がもた

らされている時で、一人の侍女の死に構っていられる状況では無

かった。


 今福の砦が落ちたその翌日、後藤又兵衛が内々の話しがあると

信繁を自室に呼んだ。

「内通者がおる」

 酒を大阪振りの腕に並々と注いで、それを水の如く飲み干しな

がら、又兵衛は低い声で信繁に囁いた。

「今にして思えば、先の木津川口の急襲も出来すぎだったと思わ

んか?謀った様に指揮を取る明石殿が砦を開けた所に攻めて来た」

 確かに初戦となった三日前の木津川口の攻防は、明石全登が不

在の為、守りの兵士達が動揺して僅かの軍勢の徳川勢の先発隊に遅

れを取った事が敗因となった。

「しかし、いかに伊賀の忍びでも我等の軍勢の細かな運用を把握し

て報せるには、余程の身分の者の側に居なければ不可能でしょう」

 信繁も徳川方の間者には警戒し、軍議に参加する者達の素性は逐

一事前に調べ、ほぼ全ての主だった侍達の素性は把握していた。

「裏方ならば、どうだ?」

 信繁がはっと気付き、又兵衛の顔を見つめる。

 裏方とは、直接戦闘には関わる事は無く、兵糧の管理や武器の手

入れ、弾薬の管理保存などを行いそれを記録する文官の役目を担う

侍達の事を指す。

「実はな、その可能性を儂に進言したのは、木村の小倅よ」

「ほう、重成殿が‥‥‥」

 木村重成は昨日又兵衛と共に今福の合戦に出馬した、若干二十歳

の武人である。

 眉目秀麗な容貌は入城の頃から皆の注目の的であったが、それだ

けでなく忠義に篤く、此度の戦場に於いても勇猛な戦いぶりに秀頼

も負け戦に終わったにも関わらず、特に重成に労いの言葉を掛けた。

「生意気な所はかつてのお主と良く似ておる」

 又兵衛は面白そうにニヤリと笑うと、再び酒を煽った。

「こちらでも調べてみましょう」

 信繁は又兵衛の酒を断り、直ぐ様部屋を出ようと立ち上がる。

「信繁」

 又兵衛が信繁の背に声を掛ける。

「儂はこの戦で命を落としても悔いは無い。だが、あの重成の様な

若い才ある者が無駄に戦で死ぬのは見たくないものだ」

 又兵衛の言葉に信繁は無言で頷き部屋を後にする。


 信繁もまたこの戦が最初から不利な事は承知の上で、豊臣方に付

く事を決めた。

 ここで死に花を咲かせる事に迷いの無い又兵衛と違い、信繁には

自分が死んだ後も守りたい者達がいる。

『何とかこちらに有利な状況でこの戦を終える事が出来れば良いが』

 信繁は完成した真田丸の櫓に登り、迎え撃つ徳川方との戦に臨む

為の戦略を頭の中で描いていた。


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