第54話 覇王の血族
翌日からお梅は小袖に袴を身に付け、若武者の如く大助と共に
槍術や弓の稽古に励んだ。
いつもならばお春の小言が飛んで来る所だが、以外にもお春は
静観を決め、先日よりお千の方の侍女として奥仕えとなった桐の
娘阿久理を預かり、三人の幼な子の母としてお美代と共に子育て
に精を出していた。
信繁は大阪城の南東にある篠山と城の南を守る城門の間に、小
高い櫓とそれを囲う土壁を築き、瞬く間に砦を作り上げた。
作業に呼び寄せた職人達は、出雲屋の阿国の手配で堺から呼び寄
せ、各々分担して作業に当たらせた。この為砦の全容を知る者は無
く、全ては信繁の頭の中にある図面に沿って指示が出された。
職人達の作業は交代で昼夜続けられ、半月の間に異様な形状の砦
が大阪城の南に出現した。
『これが、真田丸‥‥‥』
栗毛の馬に乗り、城の城門を潜って外堀の橋を渡ったお梅は、篠
山を背に佇む船の舳先の様な形の建造物を見て、目を見張った。
「姉上ー」
後から馬で追いついて来た大助が、お梅の側に馬を付けて、小言
を漏らす。
「勝手に城の外に出たら、馬廻りの侍従達に怒られますよ。戻りま
しょう」
馬に乗っての合戦を想定した訓練を、大助とお梅は信繁の配下と
なった侍従達共に城内で度々行っていた。
紀伊の城下でも何度か馬に乗った事があったが、大阪城に集めら
れた軍用の馬は、大陸から渡って来た身体の大きな馬の血統が多く
脚の速さも桁違いの軍馬だった。
始めは侍従達の手を借りて何とか騎乗していた二人だったが、今
ではコツを掴み、大きな馬を自在に乗りこなせるまでに上達してい
た。
「せっかくここまで来たのじゃ、もう少し近くまで行って見て来よ
う」
大助の止める間も無くお梅は馬を駆り砦の際に近づく、すると現
場を指揮っていた男が誰何の声を上げる。
「おい、此処は真田信繁様の許可を得た者しか入れんぞ。早々に立
ち去られよ!」
「我等はその信繁の子、大助と梅である。父に取り次いで貰おう」
お梅が堂々と名乗る姿を見て、男が慌てふためいて砦の中に報せ
に向かう。
程なく、上空から信繁の声が聞こえて来た。
「これ、お前達!邪魔をせぬ様に気を付けて上がって来なさい」
数刻後、お梅と大助は砦の中に建つ櫓の頂きから、城下を見渡し
て歓声を上げた。
「凄い、これならば南からの敵方の軍勢の布陣を一望出来ますね!」
大助が櫓の柵に手を掛け、南に広がる平野を見渡す。
お梅も大助と同じ様にその光景を眺めていたが、左手に見える小高
い円錐形の山に目を止め、信繁に尋ねた。
「父上が、此処に真田丸を築いたのはあの山があるからですか?」
信繁は利発な娘に満足げに頷くと、山を指差して答える。
「そうだ、あの篠山を敵方に取られれば、南側の守りが厳しくなる。
しかし、単独であそこに味方の手勢を配備すれば、周りを囲まれて孤
立してしまう。だが、此処に砦を築けば篠山の後方を守り尚且つ、山
を迂回して攻め登る敵方を挟み打ちにする事も可能だ」
大助とお梅は慧眼を持って戦に臨む父を、改めて誇らしく感じた。
そこへ先程の男が再び慌てて櫓へ駆け登って来る。
「の、信繁様!大変です。よ、よ、淀君様がお見えに–––––」
息を切らしながら告げる男の報せに、信繁達は耳を疑う。
しかし数刻後、狩衣姿で現れた麗人は紛れもなく大阪城の女主人、
淀の方であった。
「これが、其方の秘策か–––– 短い間によくこの様な砦を設えたものよ」
淀君は櫓の四方を満遍なく見聞し、満足げに頷く。
「豊臣家より賜った金子のお陰で、腕の良い職人達を堺より呼び寄せ
る事が叶いました」
信繁が慎ましく礼を述べる。
豊臣家の財務管理を担う大野治長は、信繁や又兵衛達を招いた際に
各々の軍備を整えさせる為に、破格の金子を下賜した。
優秀な武将達の忠誠を金で得られるならばと、いかにも合理的な考
えをする治長らしい政策だったが、その日の食い扶持にも事欠く生活
を送っていた大半の浪人達にとっては、有難い実利であった。
「ふん、後は戦が始まってからじゃ。其方の手腕を見せて貰うぞ」
鋭い眼差しを信繁に向けた淀君は、ふと後ろに控えるお梅達に目を
留める。
「其方‥‥‥確かお梅と申したか、女子の身でこの様な所まで来ると
は、戦に興味があるのか?」
急に自分に向けられた関心にお梅は内心動揺したが、顔を上げ淀の
方の目を見つめて吐きと答える。
「戦は嫌いでございます。なれど我が肉親がその前線で戦うのであれ
ば、その仔細を知っておきたいと思い、此処に罷り越しました」
物おじしない毅然とした物言いに淀君は一瞬目を見張り、じっとお
梅の佇まいを見つめる。
「其方の手を見せてみよ」
唐突に命じられお梅は一瞬戸惑うが、大人しく両手を前に差し出す。
その手の平には無数の豆が出来て、所々皮が剥け痛々しい程に荒れ
ていた。
側にいた信繁と大助も思わず目を見張り、その手を覗き込む。
「其方、薙刀は扱った事があるか?」
お梅は首を横に振り、否と答える。
「明日から妾が指南いたそう。本丸まで参れ」
淀君はそう言い捨てると、危なげ無い足取りで梯子を降りて行く。
後に残された三人は呆然と跪いたまま、それを見送った。
「‥‥‥えっ?今、淀君様が、指南するって言った?」
先程のやり取りを改めて反芻し、お梅が横で固まる大助に尋ねる。
「‥‥うん、そう言っておられた」
大助が怖々と、姉の顔を見て答える。
お梅が助けを求める顔で父の方に向き直る。
「父上、私は‥‥どうすれば–––––」
信繁は盛大なため息を吐くと、幾分憐れみを込めた目で娘を見遣り
その肩にそっと手を置く。
「こうなっては致し方無い。目をつけられたのが運の尽き、明日から
精進して参れ」
お梅は戦以上の難題に直面し、頭を抱えた。
大助が止めの言葉を掛ける。
「姉上、骨は私が拾います。御存分に稽古に励んで下さい」
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