第41話 番外編–––蒼天と清流–––

 物心ついた時から、己が異質な存在なのだという自覚があった。

 母もまた異形の力を持っていた故、仕方のない事だと子供心に

諦め、他者と関わることを避け、母と二人村外れの小さな家でひっ

そりと暮らせればそれで十分だった。

 しかし、お役目で母が家を空ける時は、仲間の男の家に預けら

れる事があり、そこには年の近い女子と男子が居た。


「梅乃と佐助だ。佐助は才蔵と同い年じゃ。仲良くしてやってくれ」

 初めて二人を紹介された時、まだ母以外の者と言葉を交わした

事が無かった才覚は、母親の影に隠れて怖々こわごわ二人を観察した。

「わぁ、綺麗な男の子。肌も餅の様に白くてすべすべ––––」

 梅乃が無邪気な好奇心を漲らせ、才蔵の頬をふにふにと触る。

 突然の事に固まる才蔵だったが、不思議と嫌ではなかった。

 梅乃から穏やかで心地の良い感情の波が、彼女の小さな手を

通して流れてくる。

「どれどれ、おいらも触ってみたい」

 隣の佐助が梅乃を真似て、才蔵に触ろうと手を伸ばす。

 バシッ––– と佐助の手を打ち払い、才蔵が再び母親の後ろに

隠れる。

「これ、才蔵」

 母のお紅が息子を嗜める。

 いきなり才蔵に拒否され、涙目で佐助が父親の孝之助を仰ぎ

見る。

「おいら、おいらも、ただちょっと、触ってみたかっただけなのに」


 孝之助が呆れた顔で佐助を小突く。

「なんじゃなんじゃ、初っ端から同い年の男子おのこに泣かされおっ

て、情けない奴め」

 お紅がすまなそうに佐助に詫びる

「堪忍な、佐助。この子は自分以外の者と今迄あまり交わる事

が無かったせいで、どうして良いか分からずに驚いただけで悪

気は無いのじゃ」

 お紅の言葉を聞き、涙を拭った佐助は改めて才蔵に近づき

手を差し出す。

「おいらは佐助、よろしくな」

 にかっと笑う佐助に警戒を緩め、恐る恐る才蔵が手を出す。

 その手を佐助が引き寄せ、梅乃と共に外へと誘う。


「よし、今日は才蔵も一緒に源二郎様達に会いに行こう」

 孝之助が止める間も無く、佐助達は裏山を抜けて真田家の

屋敷にやって来た。

「 源二郎様ー、源三郎様ー」

 裏口から屋敷の庭に入り込んだ佐助が、勝手知ったる様に

南側から母屋に面した広い庭先に出て、二人を呼んだ。

 程なく奥から、軽快な足音と共に蒼い小袖を来た少年が姿

を現した。

「おお!佐助、梅乃、良く来たな。ん?今日は見慣れぬ男子

も来ておるな」

「源二郎様、こいつは才蔵。おいら達と同じ忍びの子です」

「ほう、そうか、才蔵か」

 源二郎と呼ばれた少年が人懐こい笑みを浮かべ、縁側に腰

を降ろすと、子供達を手招きした。

 梅乃が真っ先に源二郎の膝に乗り、佐助がその背に後ろから

抱きつく。

 まるで本当の兄弟の様な自然な様子に、才蔵か呆気にとられ

て三人を見ていた。

「才蔵もこっちにおいで」

 源二郎が笑顔で呼び寄せる。

 恐る恐る才蔵が源二郎の元にやって来る。

「こら、源二郎!まだ勉強の途中であろう。勝手に抜け出しお

って––––」

 浅葱色の小袖を来た源二郎より小柄な少年が、筆を持ったま

ま現れた。

「あ、源三郎様、やっと来たー」

 佐助が嬉しそうに源三郎に抱きつく。

 つられて佐助を抱き上げた源三郎が、庭先に佇む才蔵に気付く。

「其方‥‥‥」

「兄上、この子は才蔵と言って、佐助達と同じ草の者の子供だ

そうです」

「ああ、最近父上が召抱えたくノ一の連れていた子供であろう」

「え、兄上知っているのですか?」

 源二郎が以外そうに兄の方に振り返る。

「先日、偶然見かけてな」

 佐助を降ろしながら、源三郎は源二郎の側にやって来る。

「才蔵もここに来て良い?」

 梅乃が源二郎に尋ねる。

「良いも何も、もう来ておるだろう」

 源二郎が笑いながら、梅乃に答える。

「才蔵はね、凄く綺麗な目をしているの」

  びくりと才蔵の体が震えた。

『まずい、右目は見えない様に前髪で覆っていたのに、見られた』

 咄嗟に右手で自分の右目を押さえる。

「おいらも見たい。才蔵見せろ」

 佐助が才蔵に駆け寄り、右手を退けようとするが、頑なに才蔵

はそれを拒む。

「 おい佐助、嫌がるのを無理強いするな」

 源二郎が庭に降りて、優しく佐助を抱き留めて嗜める。

 不満げに佐助が剥れる。

「でも、お前少し前髪が長すぎるぞ、それでは皆の顔も良く見え

ぬだろう」

 源二郎がそっと才蔵の頭を撫でた。

『––––っ』

 才蔵の目が大きく見開かれる。

『何だ‥‥これ––––』

 源二郎の手が触れた瞬間、才蔵の頭の中に雲一つ無い青空が広

がった。一羽の白い大鷲がその空を悠々と飛んで行く。

『‥‥‥これが源二郎、様の–––––』

 才蔵はこれほど美しい魂の色を知らなかった。

 大好きな母でさえ、その心の色には濁りが見え、才蔵は無闇に

他人に触れられるのを避けて生きて来た。

 でも、目の前のこの少年は、一体何なのだろう。

 才蔵は信じられない様子で、呆然と目の前の源二郎を見つめる。

 様子がおかしい事に気付いた源二郎が、才蔵の顔を心配そうに

覗き込む。

「おい、お前大丈夫か?」

「どうした、源二郎」

 異変に気付いた源三郎もそばに来て、才蔵の様子を見ようとそ

の小さな肩に手を掛ける。

 再び才蔵は衝撃を受けて、源三郎を見る。

 雪山の氷の割れ目から、渾々と湧き出る水がやがて大きな流れ

を作り、緑の谷を流れていく。

『この人も‥‥凄く綺麗だ』


 ふっと才蔵の口元が綻んだ。

 源二郎と源三郎が驚いて才蔵の顔を見つめる。

「お前‥‥笑っておる、のか?」

 源二郎が戸惑い気味にその前髪をそっとかき上げる。

「才蔵の目、片方だけ赤い!」

 佐助が驚いて声を上げる。

 才蔵は、はっと我に帰り慌てて右目を隠す。

「どうして隠すの?綺麗な色なのに」

 いつのまにか側に来ていた梅乃が、小首を傾げて才蔵に問い掛

ける。

 才蔵は驚いて思わず呟く

「綺麗?俺の目が?」

 梅乃がにっこりと微笑み、頷く。

「うん、才蔵の右目はとても綺麗だよ。夕焼けのお日様みたい」

 その言葉を聞いた時、才蔵の中で凍えていた澱の様な塊が溶け

て消えてゆく様な心持ちがした。

 才蔵の目から涙が溢れ出す。

「おいおい、今度は泣くのか、忙しい奴だな」

 源二郎が苦笑して、才蔵の頭をワシワシとわざと強めに撫でる。

 源三郎が労わる様に才蔵に言う。

「安心しろ。ここに居る者は皆、お前の目の色をとやかく言ったり

せぬ」

「もし、お前の目の事をからかったり、虐める者がいたら儂等が

懲らしめてやるでな」

 源二郎が自分の胸を叩いて請け合う。


 才蔵はその時、幼い心に誓いを立てた。

『俺は生涯この方達にお仕えしよう』

 才蔵この時、よわい七才。

 後の真田信幸、信繁兄弟との初めての忘れ得ぬ出会いだった。


 



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