第40話 羨望

 大助が墓前に線香を置き、静かに手を合わせて瞑目する。

『お加代、其方を見殺しにした私を許してくれ』

 既に四十九日の法要を済ませ、皆で墓参りを終えていたが

大助は人知れず再びお加代の墓の元に来ていた。 

 

 あの茶屋での襲撃を受けた時、大助は奥の部屋でお春や幼

い大八、菖蒲と共にひたすら息を潜めて隠れていた。

 裏手からの侵入者と争う仁左衛門の怒声を聞き、襖を開け

て飛び出そうとした大助をお春が懸命に引き留め、大助は歯

痒い思いで父から渡された小太刀を握りしめ、襲撃者が襖を

開けて襲い来る最悪の事態に備えていた。

 「母上ー」とお美代が叫ぶ声に、堪らず襖を開けて外の様

子を見た大助は、血を流して倒れるお加代を抱きとめる仁左

衛門と、守り刀を握り締め二人の前に立ち竦むお美代、そし

て彼等に今にも切り掛かろうとする襲撃者の二人が、視野に

飛び込んで来た。


『もう、駄目だ』

 大助は間も無く自分達も目の前の仁左衛門等と同じく死ぬ

のだと、諦めに似た思いで襖の陰に立ち竦んだ。

 しかし、大助の諦観を打ち砕く様に佐助とお梅が疾風の如

く現れ、賊を次々と打ち倒す。

 実際にはお梅は最後に逃げ出した男の足を矢で射っただけ

だったのだが、大助にはお梅と佐助が共に神々しく見えた。

 それに比べて、自分は何と不甲斐ない事か–––––

 大助は無力な自分を恥、唇をきつく噛み締めた。


「大助、其方も来ていたのか」

 赤い彼岸花を両手に抱え、お梅が墓の前にやってきた。

「姉上」

 村の女子達が用意してくれた、かすりの着物を着て佇む

お梅は、やはり普通の村の娘には見えない。

 凛とした立ち居振る舞いに加え、九度山の襲撃以来その瞳

には憂を含んだ意志の強い光が宿る様になった。

 墓前に花を備え線香を手向けると、お梅も大助の横で手を合

わせた。

「‥‥よく彼岸花が咲いてましたね」

 長月に入り朝夕は涼しくなってきたとはいえ、まだ残暑の厳

しい日差しが照りつける昼過ぎ、汗ばむ陽気の中二人は虫の声

が絶えない墓地に訪れていた。

「ここから少し山の中に入った所に、群生しているのを見つけ

てな」

「また一人で山の中に入られたのですか?」

 大助が眉を顰め姉を嗜める。

 お梅はその顔を見てぷっと吹き出して笑った。

「その顔、母上にそっくりじゃ」

「親子なのだから、当然でしょう」

 むくれながら答える大助。その言葉を聞いてお梅ははっと表

情を強張らせ、大助から顔を背けて同意する。

「そうじゃな。真の親子なのだから‥‥‥」

 お梅の様子に気づかない大助は更にこう言った。

「私は姉上の様に生まれたかった。私より姉上の方が父上に似

て、武の才覚がお有りになる」

 大助の思いがけない言葉にお梅は驚いて弟の顔を見つめる。

「何を言う、お前はこの真田家の嫡男、父上の跡を継ぐのは

紛れもなく大助、其方しか居らぬ」

「あの時、私は父上から小太刀を授けられたのに、結局何も、

何も出来なかった」

 大助は自身の拳をきつく握りしめ、お加代の墓とその隣の

清庵の墓を悔しげに見つめた。

「九度山の時も、何も出来ず只々襲撃者達の脅威に怯え、立ち

尽くす私の前で、姉上は果敢に戦った」

「あれは、じじ様が、信じて貰えぬかも知れぬが、おじい様が

私に槍を持たせて、戦い方を教えてくれたから––––」

「じじ様も姉上の方が、嫡男にふさわしいと思ったのでしょう」

 大助は立ち上がり、お梅を残して立ち去ろうとする。

「大助!」

 お梅が慌ててその後を追って大助の腕を掴もうとする。

「離してください!」

 力任せに大助がそれを振り払う。

「きゃっ」

 勢いに押されてお梅がよろけ、そのまま尻餅をつく。

「姉上、大丈夫ですか?」

 我に帰り、大助が慌ててお梅の側にしゃがみ込む。

「‥‥‥分からぬか、大助」

 お梅は悲しみを湛えた目で大助を見つめる。

「其方は、既に私をねじ伏せる力があるのじゃ。女子の私が

いかに武道の道を極めようとも、男の其方には敵わない」


「姉上‥‥‥」

「羨ましいのは私の方じゃ、私が其方の様に男に生まれておれ

ば、母上の真の––––」

 そこまで言いかけたお梅は勢いよく立ち上がると、裾が捲れ

るのも構わず走り出す。

「姉上ー」

 大助の呼び止める声を振り切り、お梅は寺の敷地を出て村の

家々を通り過ぎて行く。


 いつの間にかお梅は以前木通を取る為に訪れた、川沿いの道

に辿り付いていた。

 山から湧き出る真水が大きな流れを作り、岩肌を削りながら

麓に向かって渾々と流れて行く。

 去年の秋に此処で左門達に助けられた事を思い出し、お梅は

あの日、自分を心配そうに見つめる青い瞳を記憶の底から呼び

起こした。

『左門様–––––』

 あれから一年余りの間にお梅の運命は激流の如く、様々に

急変していった。二度の襲撃、清庵とお加代の死––––去年の

今頃は自分がその様な命の危機に陥入る事など想像だにしな

かった。

 これから一体どうなるのか、自分達を助けたあの忍びの女

頭目が言っていた様に、豊臣家に招かれ大阪に行く事になる

のだろうか?

『もう一度、会いたかった‥‥‥』

 大阪に行く事になれば、もう二度と会う機会も無いだろう。

 既に陸奥に帰ってしまわれたのか。

 高野山の本山がある九度山の彼方を見ながら、お梅はただ

一度出会った赤い髪の僧侶の姿を思い出しながら、叶わぬ願

いを胸に灯していた。


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