第42話 秘密

–––– 左門様––––

 ふと誰かに呼ばれた様な気がして、重長は馬を止めて辺りに

耳を澄ませる。

「若、どうかしましたか?」

 隣で馬を並べる源平が、重長に問いかける。

「だから、若と呼ぶなと言っておるだろう」

 重長がウンザリ顔で源平を見る。三十半ばの男にこの男はワザ

と幼少の頃からの呼び方をしてくる。

「いやー、すみませんな。どうも年のせいか物忘れが最近とみに

酷くなりまして」

 悪びれず源平が頭を描いて、ペロリと舌を出す。

 

 稲穂の伸びる田園を馬を通り過ぎながら、重長は稲の刈り入れ

に精を出す村の男達を見て、やるせない気持ちが渦巻いていた。

『この者達も間も無く戦に駆り出され、命を落とす者も出るやも

知れぬ––––』

 家康が大阪への出兵を決め、密かに味方の大名達に大阪への参

陣を促す書状が、神無月の初めに伊達政宗の元に届いた。

「いよいよ、あの狸爺いが動く様だ」

 政宗が書状を読み、家臣達に戦支度を命じた。

 これを受け大阪から遠く離れた陸奥より、関ヶ原の合戦以来の

大遠征が決行される事となった。

 その数およそニ万。

 多くの人馬の移動は、個で動くよりも時間と労力が膨大にかかる。

 開戦に向け家康自身が、神無月の初頭に駿府を立つとの報せを受け

政宗の軍勢はそれを追う様に月の半ばに陸奥を出発する事となった。


 出発の前夜、妻子と夕餉を共にし、暫しの別れの挨拶を済ませ

た重長は、奥の間で伏せる父にも挨拶をする為部屋を訪れた。

「父上、お加減はいかがですか?」

 床から身を起こし、羽織を寝間着の上に羽織った景綱はいつも

通り背筋を伸ばして厳格な顔で重長を迎えた。

『また少しお痩せになった––––』

 重長は心の内で父の容態が思わしくない事を案じたが、それを

口に出来ぬまま、出発する軍勢の編成内容を報告した。

「何とか、徳川の要請に見合う兵力を整えられたな」

 景綱は満足げに頷き、重長を労った。

「儂も同行したかったが、この足ではな‥‥‥」

 布団の下に隠れる景綱の両足は浮腫むくみ立ち上がるのも最近

では、人の手を借りなければ難しくなっていた。

「父上に代わり此度はわたくしが政宗様を必ずお守り致します」

 重長が決意を込めた目を景綱にひたと向け、力強く言う。

 その顔を見つめながら、景綱は一つ頷くと静かに息を吐きなが

ら低い声で重長に話し掛ける。

「重長、儂はもう長くは無い。この事は墓場まで持って行く覚悟で、

誰にも話さずにおった。しかし、このままお前と親子の情を通わせる

事なくお互いわだかまりを抱いたまま別れるのは、流石に忍びなくてな」

 思いがけず気弱な様子を見せる父を、重長は驚いて見つめる。

 景綱は痩せて骨張った手で重長の手を取ると、後悔を滲ませた表情

で重長を見つめその頭を垂れた。

「今まで、其方には父親らしい事を何もしてやれず、むしろ其方を遠

ざけていた。不甲斐ない父を許してくれ」

 頭を下げる父を戸惑いながら見つめる重長は、これから自分の出自

について遂に真相を聞く事が出来るのだと、幾分安堵にも似た気持ち

が胸をよぎった。

 例え景綱の真の子で無くとも、自分は片倉家の嫡男としての責を果

たすつもりだと、今の素直な気持ちを父に告げよう。

 しかし、その後に景綱から聞かされた話は、重長の想像を超えた恐

るべき片倉家の秘密だった。

「儂は片倉景重の真の子ででは無い。儂の父親は蝦夷の末裔、荒脛巾

の長だった男だ」

 重長は意外な話に言葉を失い、呆然と父を見つめる。

「全ては政宗様の父上、先代の輝宗様の御代に始まる。輝宗様はその

頃、絶えず周囲の隣接する国同士の小競り合いに手を焼いていた。何

とか伊達藩の軍事力を強める為、山の民の力を取り入れようと、彼ら

と交流し始めた。多くの部族は友好的だったが、古の掟を守る荒脛巾

の少数の一族はこれを拒み、時に里に降りて略奪をしたり、田畑を荒

らしたりした」

 そこまで話た景綱は、言葉を途切らせ苦しげに息を切らせた。

 重長は父の背中をさすり、横になるよう勧めるが景綱はそれを断り

再び話しを続ける。

「私の母、お弓は鬼庭家に嫁ぐ事が決まっていたが、ある時片倉家が

神主を務める神社に詣でた帰り道、荒脛巾に襲われた」

「まさか、その時‥‥‥」

 重長の最悪の想像を肯定する様に景綱が頷く。

「母は荒脛巾の長に凌辱され、子を孕んだ」

 重長の肌が粟立つ。

「その子供こそ、この儂じゃ」

 重長は苦悩を抱えた父の病み衰えた顔を見つめ、父が自分以上の葛

藤を抱え長い年月を片倉小十郎として生きてきたその人生を忍び、骨

張った手を握り返した。


「母に同行していた近習達は皆殺され、一人生き延びた母は片倉家に

保護された。母の名誉を守る為、景重は荒脛巾に襲われた事を秘匿し

気分が優れぬ故一晩片倉家で預かると母の家に文を遣わし、襲撃の痕

跡を消し、母の身支度を整えて実家に送り届けた。殺された近習二名

は毒茸に当たり死んだと報告し、それで事なきを得る筈だった–––––

だが数ヶ月後に母が身籠もった事が分かり、鬼庭家との縁組は破断

となった」


 夜も深け鈴虫が庭先で、秋の音色を奏でる。

 しかし今、父の言葉に衝撃を受けた重長にはそれを感じ取る余裕す

ら無く、緊張の面持ちで父の話に耳を傾ける。

「母は家族の者達に責められ、子供の父親を問い詰められた。始めは

頑に口を閉ざしていたが、腹の子共々斬り捨てると父親に刀を突きつ

けられ、堪らず母は片倉景重の名を告げた」

 疲れた様に景綱が僅かに身動ぎ、苦いため息をつく。

「景重様はそれをお認めになられたのですか」

「景重殿と母は幼馴染だった事もあり、母を不憫に思ったのかも知れ

ぬ。周りに謗られながらも、景重殿は母を娶り生まれたこの儂を実の

子として育ててくれた」

 景綱は目を閉じ噛み締める様に言葉を紡ぐ。

「あの方には返しきれぬ恩義があった。それを返せずに儂が元服して

間も無く亡くなった」

「父上はいつご自身の出生について知ったのですか?」

 何かの痛みに耐える様に景綱は語る。

「父が亡くなり数年後、十五の時だ。儂にこの事を教えたのは腹違い

の姉、喜多だ」

「叔母上が?」

 喜多は、幼少の頃母親代わりに乳母として重長を育ててくれた人物

である。

 景綱よりも二十近く年上の彼女は、当時四十歳を超えていたが、髪

も黒く溌剌とした女性で、若い頃は政宗の養育係として城に上がって

いた。

 政宗が家督を継ぐと、自らいとまを願い出て職を辞し、隠遁生活を

送っていたが、重長が誕生し間も無く母親が亡くなると、景綱は息子

の乳母として喜多を片倉家に呼び寄せた。


「義父の景重殿は、儂の出自を伝える事なく亡くなり、姉上も死ぬま

で儂に伝えるつもりはなかった筈じゃ。だが儂が政宗様に仕え数年後

陸奥を揺るがす戦が起こったのだ」

 景綱は遠い目をして、かつての忌まわしい記憶を呼び起こす。

「荒脛巾の長が奥羽一帯の山の民を煽動し反乱を起こしたのだ」




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