第33話 藩士の矜持

 雨の降り荒ぶ山中に、剣戟の音が響く。

「ぐ っ‥‥がぁ」

 野良着に蓑を着た男が血飛沫を上げて、泥濘ぬかるんだ地面に倒れる。

 それを切り捨てた暗緑色の忍び装束の男は、行き着く暇もなく

後ろから斬り込んで来た新手と切り結ぶ。

 隣で同じ様に戦う仲間が、焦燥あらわに呼びかける。

「才蔵、やはりこの数では無理だ!ここは引いて、信繁様の元に」

 始めから分が悪い事は承知で、それでも敵の半数の勢力を削げ

ればと、敢えて僅かの戦力で打って出たが、九度山で遭遇した伊

賀の手勢より遥かに腕の立つ連中に、才蔵達は苦戦していた。

『くそ、せめて数日前にこの襲撃を予見出来れば‥‥』

 折り悪く、頭目の藤波玄波は信幸に呼ばれ、これまでの報告を

する為に、五日前に信濃へ向かっていた。

入れ替わりに信濃より数名の草の者達がこちらに向かっていたの

だが、途中の大雨で道が崩れ到着が大幅に遅れていた。

 今信繁達に付いて来ている真田の手勢は佐助を入れても、僅か

八名–––– この人数で三十近い伊賀の忍び達を迎え撃たねばならない。

 この雨の中では、才蔵の“暗示”も使う事が出来ず、今はひたすら

目の前の敵を一人でも多く斬り伏せるしか手はなかった。


 一方信繁は、佐助から報告を受け、厳しい顔で思案する。

「紀伊の藩士達は、この襲撃に関わっているのでしょうか?」

 佐助は土間にたむろする藩士達を見ながら、小声で信繁に問う。

 もし彼等が加担しているのであれば、信繁達に勝ち目は無い。

 信繁は立ち上がると、藩士達の元に自ら赴き問いかけた。

「間も無く我等を亡き者にしようと、三十名近くの手勢が押し寄

せて来る。お主らはこの事を聞かされておったか?」

 信繁の言葉に紀伊の藩士達は顔色を変え、皆言葉を失う。

「それは、真の事ですか?襲撃など、我等はあずかり知らぬ。我

等は貴方達を九度山まで連れて行くように命じられただけです」

 藤次郎が青ざめた顔で告げる。

 嘘を付いている様には見えない。だとすれば彼等共々抹殺する

つもりで、三十名に及ぶ手勢を差し向けたのだろう。

「どうやら、お主らは捨て駒にされた様じゃな」

 信繁の横で話を聞いていた仁左衛門が事もなげに言う

 藩士達はそれを聞いて色めき立つ。

「捨て駒とは、聞き捨てならん」

 藤次郎が仁左衛門を睨み付け立ち上がる。

 仁左衛門は自分の孫でも不思議では無い程の若い藩士に向かい

更に言い募る。

「何も聞かされて無いという事が確かならば、我等の巻き添えを

喰い徳川の手勢に斬り殺されても構わない者達が、今回の護衛に

選ばれたという事よ」

 仁左衛門の言葉に青ざめ藩士達は皆黙り込む。その数は僅か

七名。確かに紀伊藩直々の護衛の数としては余に少なく、良く

見れば、彼等の衣類や装備も使い古したお下がりの様だった。

 信繁は彼等の近くに来て腰を下ろし、若い藩士達の顔を見なが

ら問いかけた。

「皆家族は居るのか?」

 一番年若い青年が、おずおずと答える。

「私は‥‥四人兄弟の末弟で、実家を出て城の部屋住としてこの

春ようやく士官出来ました。実家は長男が継ぎ、他の兄達も其々

所帯を持ち、紀伊藩にお仕えしております。妻子の居ないのは私

だけです。多分それで選ばれたのですね」

 青年は諦めた様に肩を落とし、それっきり黙り込む。他の藩士

達も似たような境遇なのか、皆神妙な顔で俯いている。

「紀伊家の意向はわからぬが、お主達が我等の巻き添えを喰う

謂れは無い。死にたく無ければ、今すぐここから立ち去るが良い」

 藩士達が驚き信繁を見る。

「信繁様!」

 今は一人でも味方の手勢が欲しい佐助は、主人に進言しようと

立ち上がりかけたが、それより先に藤次郎が信繁に言った。

「貴方達を九度山まで送る事が我等に課せられた藩命。それを投

げ出して逃げたとあれば、主君と家族に顔向け出来ません」

 信繁は眉を上げて、感心したかの様な吐息を漏らす。

「では、我等に加勢して頂けるかな?」

 藩士達が承服したという意思表示を示して立ち上がる。

 僅か七名の加勢だが、信繁はこの窮地に於いて何よりの援軍だ

と感じた。

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