第29話 勝負

 翌朝、皆で朝餉を食べ終わった頃、大助がお梅に言った。

「姉上、お願いがあります」

「何じゃ?大助」

 お梅が空の腕を乗せた膳を片付ける手を止め、大助を見る。

「私と勝負をしてください!」

 信繁以外その場に居た者全てが、驚いて大助を見る。

「‥‥‥勝負?」お梅が首を傾げ、怪訝な顔で大助に問う。

「何故、私が大助と勝負せねばならぬのじゃ?それに私はもう

武芸は––––」

「姉上が隠れて弓矢の稽古をしているのは、存じております」

 お梅がギョッとして、思わずお春の顔を見る。

 お春も驚き、お梅にすぐさま問う。

「お梅、まことですか?」

 お梅は下を向いて、小さな声で答える。

「ごく、たまに、ほんのちょっと‥‥」

「最近ようやく、淑やかになったと思っていたら‥‥‥」

 お春がこめかみを押さえて嘆く。

「どのような勝負をするの?」

 幼い弟の大八が好奇心を滲ませ、兄に問う。

「む、そうだなぁ。姉上は何が良いですか?」

 既に勝負をする事が前提で尋ねる大助に、お梅は顔を痙攣ひきつらせ

助けを求めて父を見た。

 信繁は呑気に茶を啜りながら、ポツリと溢した。

「二人とも今は丁度弓矢の稽古に励んでおる様だから、それで良

いのではないか?」


 初夏を感じさせる晴天の元、庭に設けられた藁束で拵えた的に

仁左衛門が墨で小振りの円を二重に描く。

「試合は三回、其々三回づつ矢を放ち、より多くの矢を的の真ん

中に命中させた方を勝ちとします」

 仁左衛門が支度を終えた大助とお梅に、判定方法を伝える。

 縁側には信繁と子供達、下働きの家人達まで仕事を中断して

この対決を興味深々で見守った。

 佐助はこの日、大阪に居る真田の忍び達と連絡を取る為密かに

屋敷を出ていた為、この騒動を見る事は叶わなかった。


「姉上、先と後どちらが良いですか?」

 小袖を半分脱いで、右肩を露わに弓を持つ大助がお梅に問う。

 お梅はたもとが邪魔にならない様、たすきを掛けて、同じ様に弓を手

にしながら答える。

「私はどちらでも構わぬ」

 何故こんな事にと思いながらも、広い庭で思う存分弓矢を射る

事が出来る高揚感に、お梅の瞳が輝く。


「では、私から」

 大助が的に向かい矢をつがえる。

 弦を引き絞り、一呼吸の後矢を放つ。

 矢は的に描かれた二つの円の線と線の間に刺さる。

 続いてお梅が矢を放つべく構える。その目が一瞬、父の信繁の

柔和な顔を捉える。

–––– 次は全力でやりなさい。その方が大助の為になる–––––

 いつか九度山で、信繁に言われた言葉が蘇る。

 お梅は短く息を吐き出し、意識を的に集中して矢を放った。

 矢は小さな円のほぼ真ん中を射抜いた。

 おお、と見物していた家人達からどよめきが起きる。

「一本目、お梅様」

 仁左衛門が手元の紙に印しを書き込み、的に刺さった二つの矢を

抜く。

 二本目を二人が其々放つ。


 初夏の風が庭先を掠めて行く。

 一番目の試合はお梅が取ったが、二番目は大助の矢が僅かにお梅よ

り中心を捉えて、大助が巻き返した。

 今試合は最後の三番目、二の矢を其々が放ち、互角となった。

 三本目の矢を大助が力強く放つ。

「あー、惜しい」

 思わず見物していた家人の誰かが、残念そうに言葉を漏らす。

 大助の矢は僅かに内側の円の縁を逸れて刺さった。

 ここまで無表情で試合に臨んでいた大助の顔に僅かな焦燥が現れる。

 お梅がうっすらと額に汗を浮かべ、最後の矢を番える。これでお梅

の矢が内側の円の中に命中すれば、お梅の勝利となる。

 皆、固唾を呑んでお梅の所作を見守る。

「––––っ」

 お梅が矢を放ったその時、弓の弦がぷつりと切れた。矢は失速して

的の手前に刺さる。

 誰もが予想外の出来事に、落胆のため息が聞こえた。

 大助が慌てて自分の弓矢を差し出して言う。

「今のは無効です!私のをお使いください」

 お梅は暫し自分の使い物にならなくなった弓を見つめ、大助に向き

直り晴々とした笑顔で言った。

「いや、勝負あった。大助お前の勝ちです」

「最後の矢は、弓の弦が切れた為です。もう一度やり直し––––」

「大助、これが戦場であれば如何する?戦の中ではやり直しなど効かぬ」

 お梅の言葉に大助が息を飲む。

 パン、パン、パンと力強く手を叩く音が響く。

 お梅と大助が振り返ると信繁が笑顔で二人を讃えた。

「二人共、良い試合であった」

 周りからも大きな拍手が起きる。

 大助は我に返り、気恥ずかしげに頭を掻いた。お梅はそんな弟を誇

らしく思うと共に、いつの間にか自分を追い越して逞しく成長してい

る姿に僅かな嫉妬を感じていた。

『自分も男に生まれていれば––––––』

 お梅はか細い自分の腕を見つめ、そっと奥歯を噛み締めた。




 

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