第23話 番外編 ––– 昌幸、我が子に名を付ける–––

『うーむ、何かしっくりこんなぁ‥‥‥』

 部屋の真ん中にあぐらをかいて、昌幸が眉を顰める。

 その周りには半紙が丸めてある物や、破り捨てられた残骸が

山の様に転がっている。

 彼の前には、ようやく書き留めた一枚の書が置かれている。

 そこには、【源一郎】と荒ぶる文字が、堂々と書かれていた。

「失礼致します、内記うちのりです」

「おう、入れ」

 側仕えの高梨内記が障子を開けて入って来る。

「殿、おきよ様がそろそろ‥‥如何なものかと」

 庭を挟んだ向かいの部屋から、赤児の泣き声が聞こえて来た。

「分かっておる!今思案中じゃ」

 昌幸が腕組みをして、不機嫌そうに内記に言い捨てる。

 内記は昌幸の前にある半紙を見て、眉を上げた。

「おお、これで良いではないですか。源一郎様、長男らしくて

実に––––」

「なんか、響きが今ひとつではないか?」

「‥…響きですか?」

「何かこう、今ひとつ物足りぬのよ‥‥‥ひとつ、ふむ、一つ

足してみるか」

 そう言いながら、昌幸は一の上にもう一本筆で短い線を引く。

 当然そこには【源二郎】と書かれた書が出来上がる。

「‥‥源二郎、様ですか?」

 困惑気味にそれを読む内記。だが昌幸は満足げにそれを掲げ

ると、宣言した。

「決めた、源二郎、これにしよう」

 昌幸が半紙を持って、向かいの部屋へといそいそと向かった。

 

 間も無く、半紙を手にとぼとぼと昌幸が部屋に戻って来た。

 内記が恐る恐る尋ねる。

「如何でしたか?」

「清に怒られた‥‥‥長男なのに何故ニの文字を入れるのかと」

 そりゃそうだろう、と内記も胸の内でツッコミを入れながら、

「左様で‥‥」と神妙な顔で主人の顔を伺う。

 再び【源二郎】と書いた書を前に悩む昌幸‥‥‥

『何事にも大雑把ななお方なのに、やけに今回はこだわるのう』

 内記は悩む昌幸を意外そうに見つめた。

 確かに彼にとって嫡男となる初めての男子であるから、幼名と

言えども大事な事だと察するが、よりによって何故一を二にした

のかよく分からない。

「やはり、先程の源一郎様の方が良いのでは‥‥」

 それとなく進言してみる。

「源一郎かぁ‥‥‥んー、むぅー」納得出来ずに唸る昌幸。

 はた、と閃き、今度はニの線の間に小さな短い線を入れる。

「ニが駄目なら、その上の三でどうじゃ! 源三郎、うん、響き

も良い!」

 天啓を得たとばかりに半紙を掲げ、得意げにのたまう昌幸。

「‥‥げ、源三郎様、ですか?」

 本当にそれで良いのか、不安そうに確認する内記。

「決めた、これにするぞ!」

 再び半紙を手に、向かいの部屋に意気揚々と向かう昌幸を内記は

不安そうに身送った。


 昌幸のお清の方が男子を出産したのは、初夏の初めである。

皆が真田家の嫡男の誕生を祝い、親類縁者や上田の村々からも祝いの

品が送られて来た。

 暫くは真田家もその対応に追われながら、浮かれていたが、夏が過

ぎ、蝉の鳴き声も途絶える頃になり、ふと大事な嫡男の名前が決まっ

ていない事に、皆少々戸惑いを感じ出した。

 当の昌幸はと言うと、祝いに来ていた名主の娘を見染め、そのまま

一月程娘の所に通い続け、清と子供の所に殆ど顔を見せなかった。

 さすがに二月目に入り清も昌幸の素行を疑い出し、とうとう浮気が

バレると、側使えの内記に【このまま戻らねば、離縁します】と文を

持たせて昌幸の元へ送った。

 文を読んだ昌幸は慌てて清の元に戻り平謝りをすると、その日から

自室に三日三晩籠もって、我が子の名前を懸命に考えた

 そして、今に至る。

 

「どうじゃ、源三郎! 男らしい響き、良き名前であろう。これに決

めたぞ!」

 自慢げに二度書き直した書を掲げ、宣言する昌幸。

 皆、微妙な顔でそれを眺める。明らかに三の字が不自然な形を成し

ている。

 お清の方が無表情でそれを暫し眺め小さくため息を吐くと、

「殿がそれで宜しいのであれば‥‥‥意に従います」と、諦観ていかんの相で

 頭を垂れた。

「そうか、構わぬか、よしよし」

 パッと安堵で顔を輝かせた昌幸が、清の隣でスヤスヤと眠る赤児を

さっと抱き上げる。

「殿––– 」

 清の制止も間に合わず、昌幸は赤児を高く掲げる。

「今日からお主は、源三郎じゃ!」

 昌幸が大きな声で赤児に声を掛ける。

 驚いた赤児は、火が付いた様に泣き始める。

「おお、元気な鳴き声だ、それでこそ我が跡取りぞ」

 昌幸が、ガハハと笑いながら、源三郎を何度も高い高いをしてあやす。

 お清は疲れ果てた顔でこめかみを抑え、部屋の侍女達は皆引き攣っ

た笑みを浮かべて昌幸と赤児を見守る。


 こうして源三郎こと後に信幸と名乗る彼は、父の適当–––––ではなく

天啓(?)により名付けられ、以後この破天荒な父に振り回される事となる。


 ちなみに、翌年生まれた弟の信繁の名はあっさりと【源二郎】に

決まった。


                    –––– おしまい ––––




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