第24話 襲撃

–––– 姫‥‥姫、起きなさい。姫‥‥‥ ––––

『じじ様?』

 懐かしい祖父の声が聞こえた様な気がして、お梅は目を覚ま

した。

 祖父の昌幸は、去年亡くなったはず––––– そう思い出してい

ると、何か焦げ臭い匂いが鼻をついた。

 不審に思い寝床から身を起こすと、天井の隙間から細く煙が忍

び込んできた。

『何かが燃えている?–––– 燃えている!』

 お梅は飛び起きると、隣で寝ている母と兄妹達を揺り起こした。

「皆、火事じゃ!起きて!大変じゃ!」

 


 数刻前、既に異変を感じた信繁は、寝床から出て枕元の刀を掴

むと、庭先に降りた。

 佐助が風の様に側に駆けつけ、険しい表情で告げる。

「信繁様、申し訳ありません!囲まれました。十名以上が直ぐ側

まで来ております」

「かなりの手勢だな」

 信繁の顔にも緊張がよぎる。

「佐助、すぐに皆を––––」

 ヒュッと火矢が下の林から放たれ、屋根に数本刺さった。

「しまった!火攻めか、佐助、中の子供達と春を頼む!」

「信繁様!お待ちをっ」

 佐助の制止を振り切り、信繁は火矢を放った林に抜刀しなが

ら走る。

 林の中から数名の黒装束の男達が飛び出して来る。

 信繁は素早い剣撃で二人を斬り伏せ、三人目と切り結ぶ。

「儂に構うな!子供達を!」

 襲撃に気付いた側仕えの老臣達が、雄叫びを上げて加勢に加わ

るのを、目の端に捉え、佐助は母屋に駆け込んだ。

 母屋の中には既に裏手から襲撃者達数名が入り込み、奥へと向

かおうとしていた。

「させるか!」

 佐助は腰の小刀を抜くと、その後を追う。

 気付いた三名が踵を返し、佐助に踊り掛かる。

 佐助は一人をすれ違い様に切り捨て、もう一人に蹴りを放つ。

 三人目の振り下ろした刃を紙一重で躱し、後ろにトンボを切っ

た。

『早く、お梅様達の元に––––』

 焦燥に駆られる佐助の後ろで、新たな炎が立ち昇った。


 母屋の中では、お梅の声で飛び起きたお春と子供達が外に出よ

うと、庭に面した引き戸を開けようとするが、その戸が瞬く間に

火に包まれる。

「裏口から–––」

 幼い弟の大八を抱き抱え、勝手口に向かおうとしたお春の前に

黒装束の男が二人現れる。

「ひっ」

 お春が悲鳴を飲み込み、立ち竦む。

「母上!」

 大助が母と弟を庇い前に出る。しかし、丸腰の大助には男達の

手にする刃に抗う術が無かった。

『殺される!』

 男の一人が刀を振り上げるのを見上げ、大助は死を覚悟して目

を閉じた。

「たぁぁぁっ!」

 鋭い掛け声と共にお梅が長槍を、刀を振り上げる男に突き出し

た。槍は男の脇腹に見事に刺さる。しかし力が足りず致命傷には

及ばなかった。

「ぐっ」と不意を突かれて脇腹を刺された男が、後に下がる。

 もう一人の男も驚いて飛び退き間合いを取った。

「あ、姉上‥‥」

 大助が自分の横で、血の付いた槍を構えて立つお梅を驚きの

目で見つめる。

「大助、母上達を連れて逃げよ!ここは私が凌ぐ」

「お梅、何を言う!」

 お春がお梅を諫め様とするが、お梅は前を向いたまま力強く

お春に言葉を掛ける。

「行って下さい!母上」

 女子おなごとは思えぬその堂々とした面構えに、お春は一瞬この

子が男の子であれば、文句なしに信繁の嫡男となったであろうと

複雑な想いに駆られた。


 男達が再び、刀をお梅に向け斬りかかろうと動き出す。

––––右じゃ!––––

 不意に聞こえた声に従い、お梅が右の男に槍を突き出す。

–––– そのまま左に払え!––––

 言われるままに槍を大きく左手になぎ払う。

 それを躱す為、左の男が慌てて飛び退く。

 男達は呆気に取られて、目の前の小柄な娘を凝視する。

『何なのだ、この小娘』

『まるで、我らの攻撃を見切った様な槍捌き‥‥』

 二人の襲撃者達は、年端もいかない目の前の娘から思いもよらぬ

反擊を受けて、戸惑っていた。

『ならば』

 男の一人が苦無くないを投じる。

 お梅は咄嗟に身を屈め苦無の軌道を躱しだが、その隙を突いてもう

一人が斬りかかる。

「姉上っ」

「お梅!」

 大助とお春の悲鳴が上がる。

 お梅の頭上に刃が迫る––––– が、その刃が届く前に男が崩れ落ちる。

 男の後ろに、ゆらりと佐助が現れた。その手には血の付いた小刀が

握られている。

「おのれっ!」

 もう一人の男が佐助に挑むが、佐助はあっさりと後ろを取ると、背

中から心臓をひと突きに刺した。

「佐助‥‥」

 お梅は佐助が人を殺す所を初めて見た。それは今し方、自分が男に

槍を突き刺した時よりも、衝撃的な光景だった。

 厳しい顔で襲撃者と対峙していた佐助は、その顔をいつもの愛嬌の

ある面に変えて、お梅達に向き直った。

「皆様、お怪我はございませぬか?遅くなってしまい申し訳ありませ

ん。さあ、こちらへ–––––」

 佐助はお春から大八を受け取り、菖蒲の手を引きながら、お梅達を

火の手から逃すべく、外へと案内する。


 外では、信繁と清庵達老臣二人が十名以上の襲撃者と死闘を繰り広

げていた。

 侍女の女達二人が、建物の陰に身を竦めて戦いの成り行きを見守る。

 黒ずくめの男の一人が、女達に気付きそちらへ向かおうとする。

 信繁が気付き、愛刀を男に投じる。刀は見事に男の背中に刺さり、

男が倒れる。

「仁左衛門、加代達を連れて逃げろ!」

 信繁が仕留めた賊の一人が落とした刀を拾い、再び参戦しながら、

老臣の一人、三井仁左衛門に怒鳴る。

 仁左衛門はお春の侍女の加代と、九度山に来てから、夫婦の契りを

交わしていた。もう一人の若い侍女は加代の娘のお美代で、加代の連

れ子である。

「信繁様をお守りするのが私の務め」

「馬鹿もん!儂の命礼じゃ、加代達を連れて行けー」

 信繁が一人をまた斬り伏せる。

「仁左衛門、信繁様は儂がお前の分もお守りする、行け」

 清庵が切り結んでいた男に留めを刺して、仁左衛門に頷く。

 仁左衛門は、苦悶の表情を浮かべるが、二人に頭を下げると加代達

の元に走る。


「上田の合戦に比べれば、軽いものですな」

 未だ十名近くの手勢に囲まれながらも、怯む事なく清庵が言う。

 老いても尚その闘志は健在のこの男を、信繁は頼もしく思う。

 しかし、数に不利なこちらが以前危うい事には変わりない。

『佐助は無事に我が妻子を連れ出してくれただろうか?』

 意識の端で後ろの燃え盛る母屋を捉えながら、信繁は呼吸を整え、

刀を正眼に構える。

 既に死は覚悟している。しかし、まだここで終わる訳にはいかない。

 男達が再び信繁達に斬りかかろうとした時、茂みから数本の矢と、

苦無が飛び、襲撃者達を襲った。

 続いて茂みの中から、暗緑色の装束を纏った数名の“草の者”達が、

小太刀を抜いて、襲撃者達に襲い掛かった。

 突然の援軍に、信繁達は参戦の機会を失いその場に立ち尽くす。

『兄上か––––』

 遥か上田に居る信幸が差し向けた真田の忍びだと、信繁は気付いた。

 信繁の直ぐ前に来た賊を、一刀両断に切り捨てた忍びが振り返り、

その目が合う。–––––その片方は血の様に赤い色をしていた。

『才蔵!』

 信繁の目が驚きに見開かれた。




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