第22話 九度山燃ゆ
『ああ、またあの夢だ』
才蔵は夢の中で
結末はいつも同じと分かっているのに、才蔵は愛する娘を
助けようと力の限り疾走する。
『梅乃、梅乃!』
懸命に足を動かすが、思う様に進まない。まるで泥の中に
足を取られたように、遅々として進まない。
その間、才蔵の目に梅乃が敵の忍び達に取り囲まれ、嬲ら
れながら、殺されて行く光景が次々と映し出されていく。
『止めろ!やめろぉぉぉ––––』
男達が激しく抵抗する娘を数人がかりで押さえつけ、犯し
ていく。舌を噛まぬよう泥の付いた石を口に入れられ、梅乃
が黒い涙を流して声無き叫びをあげる。
『梅乃おぉぉぉー』
才蔵が夢の中で狂った様に絶叫する–––––
「‥‥才蔵さん、才蔵さんてば、ちょいと‥‥大丈夫かい?」
眼帯をした才蔵は片目をはっと見開き跳び起きる。
全身にびっしょりと汗をかいている才蔵の顔を、遊女が心配
そうに覗き込む。
「凄い汗、悪い夢でも見たのかい?」
遊女が才蔵の汗を拭おうと、手縫いをその肌けた胸に押し当
てる。
「構うな、出て行け!」
ぞんざいに女の手を払い除け、才蔵が不機嫌そうに命令する。
遊女は眉を顰めて
「何さ、人が心配してやってるのに!」
遊女はプリプリ怒りながら、部屋を出て行った。
才蔵は額の汗を手の甲で拭うと、枕元に置いてある酒を飲も
うと手を伸ばした–––––– と不意に気配を感じ床からバッと身
を翻し、侵入者に向き直った。
「任務をすっぽかして
鼠色の小袖を粋に着流した、いかにも遊び人風の若い男が、
部屋の隅に忽然と現れ、才蔵を
「ちっ、藤浪の
才蔵が面倒臭そうに舌打ちして、警戒を解く。
小倅と呼ばれた若い男––– 藤浪慎之介は、眉間に皺を寄せる
と刺を含んだ声で言った。
「俺とて、こんな所までお前を尋ねたくは無かったわ!だが
急を要する事態故、致し方なく–––––」
「分かった、分かった、前置きはいいから、用件を言え!」
面倒そうに手をひらひらさせて、才蔵が先を促す。
ムッとしながらも慎之介は報せを伝えるべく、才蔵の前に屈
み声を潜めて言った。
「先程、大阪近くの
焔が立ち上り、砲術の音が聞こえたと」
「赤の焔だと、まさか戦でも始まるというのか?馬鹿な–––」
笑い飛ばそうとした才蔵だったが、慎之介の様子に表情を引き
締める。
「確かに赤だったのか?」
しっかりと頷く慎之介。
「何発上がった?」
「九つだ」
その数を聞いた才蔵の顔が険しくなる。九つ–––その数が示す
場所は只一つ。
『信繁様!』
才蔵は手早く着物を身につけ、支度をする。それを見ながら
慎之介は才蔵に不本意そうな顔で告げる。
「親父達は先に向かった。俺はお前を連れて来いと言われ––––」
慎之介が皆まで言い終わらない内に、才蔵は部屋を飛び出す。
「おい、待て!人の話を最後まで聞け!」
慎之介が焦りながら、才蔵の後を追って行く。
才蔵と慎之介は手直な武家屋敷から、馬を拝借し九度山を目
指す。下弦の月が僅かな灯を夜道に照らす。
「信繁様、桐様––––」
もう十年以上会っていない二人の顔を思い浮かべ、才蔵の心
は千地に乱れた。
もう二度と会うまいと、心に決めていた二人に再会したら、
自分は平静でいられるだろうか?いや、もし二人の
したら–––––
才蔵は恐ろしい予感を振り払い、馬に鞭を入れた。
「
娘の阿久理に揺り起こされ、桐は母屋の外の
連れて行った。
近頃はおねしょをする事も減り、こうして母に教えられる様
になった娘の成長を少し嬉しく感じ、桐は用を済ませた娘の手
を引き母屋に戻ろうとした。
その時、村の北に聳える山の中程が、赤々と輝いているのが
目に入った。
一瞬、惚けた様にその輝きを見ていた桐の目が、大きく見開
かれる。
『真田のお屋敷が–––燃えている!?』
桐は阿久理の手を離し、母屋に駆け込むと釜戸の火を起こし
始めた。
「母様、どうしたの?」
母親の只ならぬ様子に、不安げな顔で阿久理が戸口に立ち尽
くす。
台所の物音に気付き、桐の夫で村の名主の徳米が奥の寝床
から、寝ぼけまなこで妻に問いかけた。
「桐、どうした?まだ夜中だぞ」
勢い良く火を焚きながら、桐は徳米に聞いた。
「お前様、
妻の切迫した様子に、目が覚めた徳米は寝床から跳ね起き
土間に降りて来た。
「何事だ」
桐は青ざめた顔で夫に告げる。
「真田のお屋敷が、火事に––––」
徳米は母屋の外に出て、山の方を見ると驚愕の表情を浮か
べた。
「私は先に安否を確かめに参ります。阿久理をお願いします」
徳米から松明を受け取った桐は、山道を早く行ける様に夫
の子袴を借り、小袖に
徳米には危険だから、村人を集めてから一緒に行こうと言
われたが、これが只の火事にでは無いと感じた桐は、夜が明
けるまでは待機して欲しいと懇願し、自分は真田家の家臣の
娘として、主人の安否を確かめにいかねばならないと、止め
る夫と娘を振り切り、山道を登った。
「信繁様、信繁様‥‥‥」
息を切らしながら暗い山道を、無意識に想い人の名を呟き
ながら桐は懸命に足を運ぶ。
『お梅、どうか無事で––––』
不意にもう一人の我が子の顔が、脳裏にくっきりと浮かび、
桐は我知らず、その無事を祈った。
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