第19話 晩秋と萌え

 信濃の秋は短い。

 紅葉が落ち始めると、朝晩の冷え込みが厳しくなり、日も短く

なって来る。

 稲の刈り入れが終わり、冬場に備えての大根の種まきや、菜葉

の収穫を終えると、皆早めに家に帰り、わら揉みや漬物の仕込み

などの内職に精を出す。

 ここ数年は大きな災害も無く、作物も良く育ち、上田の村々も

穏やかな晩秋を迎えていた。


 上田の中でも大きな集落の小高い丘の上に、真田の屋敷が建て

られている。

 屋敷は万が一の時には、要塞として機能する様に、丘の周りに

堀を作り、屋敷周りには高い杉の木の塀と、櫓が建てられている。

 普段は正面の門を開け放しているが、有事の際は太い丸太で固

く門を閉ざす事が出来る。


 この造りは、華美な城を造らず、戦闘に於いての機能性を重視

した武田信玄の居城を、昌幸が真似て此処に築いた事に始まる。

 その後、信幸の代になり、幾らかの増改築を行ったが、基本的

な構造はそのままに、より守りの強固な屋敷としてこの地に建っ

ていた。

 その母屋の一室で、所領の報告や陳情に関する書状に目を通し

ている男が居る。

 簡素な萌葱色の小袖の上に海老茶色の羽織りを重ねた着物は、

側に控える妻の手作りである。

 その妻、小松の方はうっとりと自分の夫を眺めている。

『ああ、今日も我が殿のお姿の見目麗しい事‥‥‥文を読んで

思案に暮れるお顔も、ス、テ、キ❤️』

 などと萌えながら、ひたすら愛する夫の側で幸せを噛みしめ

ていた。


 小松が信幸の元に嫁いで二十年近くになる。

その数年前、此処上田で徳川勢と真田の合戦があった。

 後に【第一次上田合戦】と呼ばれるこの戦で、家康は昌幸に

敗北する。

 その後、秀吉の取りなしで、一応の和解をするが、家康にと

って信濃に点在する居城は、三河から京への足掛かりにする為

に喉から手が出る程欲しい場所であった。

 力では無理と見た家康は手を変えて、家臣の本田忠勝の娘を

自分の養女にして、昌幸の嫡男信幸に嫁がせたのである。

 この娘こそが小松姫である。


 小松姫は忠勝の長女として生まれ、父に似て武勇を尊び、自身

も薙刀を嗜む豪傑な姫であった。

 彼女は自分の夫となる者は、自分以上の武道に長けた男でなけ

れば認めないと、有力な徳川の家臣達からの縁組みを、ことごとく退け

ていた。

 余りに強情な娘に困り果てていた忠勝にとって、家康から提案

されたこの真田家との縁組みは、まさに僥倖だった。

 しかし問題は小松が素直に了承するか–––– である。

 兎にも角にも先ずは二人を引き合わせようと、忠勝は渋る昌幸

を何とか説得して、見合いの席を設けた。


 心配していた忠勝だったが、何とこの席で小松は信幸に一目惚

れをして、逆に父にこの縁組みを、何としてもまとめて欲しいと

懇願した。

 こうして、家康の力添えもあり、とんとん拍子に小松姫の輿入

れが決まった。

 最後まで意を唱えていた昌幸だったが、いざ嫁に迎えれば、小

松の裏表のない明るい性格と、武家の娘として厳しく育てられた

折り目正しい振る舞いに感心し、『信幸は良い伴侶を得たな』と

家臣に漏らしたという。

 

 ただ一つ皆が驚嘆した事が、小松の夫に対する“付き纏い”で

ある。

 嫁いだ当初から、とにかく暇さえあれば小松は信幸の元を

訪れ、うっとりとその姿を見つめる。

 家人達は最初、徳川から嫁いだこの奥方が信幸を監視して

いるのでは––––と眉を潜めていたが、どうも様子がおかしい。

 信幸も最初は戸惑い

「何か話があるのなら、聞こう」

と小松に問うが、小松はにっこりと微笑み

「只、信幸様のお側に居たいのです」と頬を染めて懇願され

れば、誰もそれ以上咎められない。


 慣れとは恐ろしいもので、いつしか信幸も家人達も小松の

“付き纏い”を当たり前の事として、気に留めなくなってしま

った。

 そんな訳で二十年経ち、四人の娘や息子達にも恵まれた小

松は未だに夫❤️《ラブ》の幸せな結婚生活を堪能している。


 しかしその夜、小松の甘いひと時をぶち壊す報せが、三河

の家康からもたらされた。


 






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