第18話 父と子 その二

 重長は父が苦手だった。

 特に手酷い扱いを受けた事は無いが、可愛がってくれた記憶も無

かった。

 それが自分の容姿に何か関係があるのでは–––と気付いたのは五

才位の頃、下働きの者達が自分の事を噂しているのを、偶然聞いて

しまった時だと思う。

「若様の御髪と、あの目の色‥‥ちぃと変わっとらんかね」

「爺様に聞いた事があるんだが、この辺の山の民は大昔北から流れ

て来た異人も混じって暮らしていた時代があって、赤や青の髪や目

をした者がおったらしい」

「まさか、片倉家のお子が、その様な山の民の血を引いておる筈が

あるまい」

「儂もまさかと思うが––––」

 

 これを聞いた重長は、自分が景綱と亡くなった母の真の子では無

いのでは––––と案じ、乳母として自分の世話をしてくれた叔母の喜

多にそれを問うた。

 喜多はこれを笑い飛ばし、陸奥の民は皆北方の民との混血が多い

から、重長はその血がたまたま現れた【先祖帰り】だと教えた。

 それ以降、身直に自分の容姿を詮索する様な話をする者はピタリ

となくなったが、父とは疎遠な幼少時代を過ごした。


 それでも、重長は、父に認めて貰えるよう武道や学問に励んだ。

 景綱もそれを労い褒めてくれたが、時折自分を見つめる目の奥に

何か言い様の無い冷酷な影を、重長は幼い頃から感じ取り恐れた。


 それは三十路を過ぎたこの歳になっても変わらず、二人の親子の

距離が縮まる事はなかった。


「九度山で、信繁殿に会ったのだな」

 ぽつりと景綱が言葉を漏らした。

「‥‥はい」

「お前から見た信繁殿は、どの様な男だった?」

 重長は暫し考え、慎重に言葉を選んで答えた。

「武将というよりは、僧侶の様なお方でした。物腰も柔らかく

漢詩や和歌などにも造詣ぞうけいが深く、その博識振りに感心致し

ました」

 重長は信繁との短い逢瀬を思い出し、己の抱いた印象を正直に

語った。

「僧侶とな‥‥‥あの御仁がな」

 ふっと口許を綻ばせ、景綱が可笑しそうに笑う。

 滅多に人前で笑う事など、まして自分に笑顔を向けられた記

憶などない重長は、内心驚いて思わず問うた。

「父上は信繁殿を良くご存知なのですか?」

「秀吉様にお仕えしておった頃、伊達藩の仮住まいの屋敷が

真田家の屋敷の隣りにあってな––––」

 景綱は懐かしむ様に目を細めて言った。

「政宗様は信繁殿と囲碁を打ちに真田家によく通っておられた。

それに儂も付き合わされてな」

「囲碁、ですか」

 政宗の側仕えをしていた頃、重長もよく相手をさせられた事を

思い出す。負けず嫌いの政宗は、初心者相手でも容赦なかった。

「どちらがお強かったのですか?」

「一度も、信繁殿に勝てなかった」

「それは––––」

 政宗が負けて悔しがる顔が、目に浮かんでしまった重長は笑い

を噛み殺す。

「お二人は歳も同じだった故、殿も余計にムキになってのぅ。勝

つまで毎日来ると言って、信繁殿を閉口させていた」

 若き日の二人が、顔を突き合わせて囲碁を打つ姿を思い浮かべ

重長は、政宗自身が九度山に行きたかったのだと悟った。

『せっかくの酒を、頂いておけば良かった––––』

 重長は主人の想いを、おもんぱかる事が出来なかった己を恥じた。


「重長」

 不意に表情を引き締め、景綱が低い声で重長に告げた。

「間も無く三河から各大名達に、軍勢を募れとのの要請があるはず

じゃ」

「大規模な軍勢を大阪まで行軍させるとなると、かなりの出費を強

いられますな」

 重長が厳しい顔で考えを廻らせる。

「其れも家康の狙いだろう。政宗様の恭順を家康公は信用してい

ないであろうからな。だが、それはこちらも同じ事」

 景綱は重長に目を向け、重々しく命じた。

「此度の軍の先鋒はお前じゃ、重長。心して準備せよ」

 父から思いがけず名誉の先陣部隊を拝命し、重長は微かな高揚

感を滲ませ平伏した。

「ははっ」

 ようやく自分を認めて貰えた–––– と顔を上げ父の目を見た重長

は、それが誤りであると直ぐに悟った。

 子供の頃から、何度も目にしてきた父景綱の目。そこには目の

前の敵を前にしたかの様な、冷徹な光と幾ばくかの恐れの影が宿

っていた。


『何故––––』

 重長の心は、降り積もる雪の様に凍えていった。


 景綱の部屋を辞した重長は、妻子の元に顔を出すことを忘れ

南の角にある、客間へと足を運んだ。

 使われていない部屋は寒かったが、重長は構わず庭に面した

障子を開けた。

 そこには枝振りの見事な枝垂しだれれ梅の木が一株、雪を纏って凛

と佇んでいた。

『この梅の花が散る頃に、ここを旅だったのだな‥‥‥』

 重長はこの梅の木を眺めるのが好きだった。

 春先になると薄紅色の小さな花を、枝いっぱいに咲かせた姿

は艶やかで、気持ちが塞いだ時、重長はよくここに来て梅の木

を愛でた。

 今は花の代わりに雪が、その枝を覆っているが、其れもまた

乙なものだと、重長は庭先に腰を降ろして暫しそれを眺める。

 

 ふと、九度山で出会った、この木の花と同じ名前の少女の顔

を思い出し、あの娘がこの満開の梅の花を見たら、どんな反応

をするだろう––––– と想像して口許が綻んだ。だが直ぐにその

想いを打ち消す。

『拉致も無い事だ。もう会える筈もないというのに‥‥‥』

 ため息を一つこぼし、重長は重い腰を上げると、障子を締め

部屋を後にした。






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