第16話 陸奥の龍
「で、どうであった重長––– 信繁と妻子は息災だったか?」
火鉢にあたりながら、右眼を皮の眼帯で覆った男が側に控える左門
こと片倉小十郎重長に尋ねた。
九度山では僧侶らしく五分刈りにしていた赤みがかった髪も襟足ま
で伸び、紺色の小袖と袴を着けた姿は、重臣の侍らしく堂々とした出
立ちをしている。
家臣達の身なりに煩いこの
身綺麗にしている。戦場に於いても常に髭を剃り髪を整え、鎧の下
に着込む胴着も洒落た染物や刺繍入りの物を多く持参し、毎日着替
えいた。政宗曰く『武人はいつ己の死体を晒す事になるか判らぬ故、
常にその身を整えておくべし』という彼独特の美学は、後に”伊達者“
と大名達に揶揄されるほど、有名となった。
その主人の前に報告をする為、重長も旅の垢を落とし、侍従が屋敷
から持ってきた真新しい着物に着替えて参上した。
「はい、お元気なご様子でしたが‥‥‥やはり慣れぬ土地での生活
はかなり困窮しておられる様です」
信繁の荒れた手を思い出し、重長は鎮痛な面持ちで答えた。
政宗は火鉢の中の炭が白く変わる様を見ながら、「そうか」と呟
いた。
「あの戦からもう十二年––––武人としては死よりも残酷な月日を
悼む様に政宗は唯一の左目を閉じて静かに告げる。
「昌幸殿もさぞ無念であったろう」
格子窓の外はチラチラと雪が舞い始めていた。
間も無く本格的な冬がこの地に訪れる。
瞑目する主人に重長は改めて尋ねた。
「殿、何故私を九度山に、信繁様の元に遣わされたのです。もしや殿は–––」
重長は辺りを
「徳川と一戦交えるおつもりですか?」
政宗はゆっくりと左目を開けると、その目をギロリと重長に向ける。
「もし、そうだと言えば、お前はどうする?」
凄みのある笑みを浮かべ、政宗はずいっと重長の方へ身を乗り出す。
”独眼の龍“と敵将達に恐れられている政宗の気迫の籠もった眼差し
に我知らず背中を冷や汗が伝う。
返答次第では手打ちになる覚悟で重長はゴクリと唾を飲み込むと、
政宗の目を見据えて言った。
「元より、どの様なご決断を下されようと、私は殿に従うつもりで
おります。なれど––––」
パシリと政宗の扇子の縁が重長の額を打つ。
思わず額を押さえ、驚いた顔で重長が政宗を見た。
「馬鹿たれ、この儂が今更そんな無謀な賭けをすると思うか?」
「殿‥‥」
「儂がお前を信繁に会いに行かせたのは、敵軍の要となる武将の生
身の姿をお前自身の目で見てきて欲しかったのじゃ」
「では–––」
政宗はすっと立ち上がり、部屋の奥にある文箱から書状を取り出
すと無造作に重長の前に放り投げた。
重長がそれを手に取ると、顎をしゃくり無言で読めと促す。
重長は書状を開いて目を通し、顔色を変えた。
「見ての通り、徳川からの証文依頼状じゃ。家康の奴、他の有力大名
にも同じ物を送っておるに違いあるまい」
忌々しげに政宗が吐き捨てる。
「家康は今度こそ、本腰を入れ豊臣を潰すつもりだ」
政宗は重長に向き直り、楽しげに問うた。
「家康が今一番恐れている者が誰か分かるか?」
「‥‥‥信繁様ですか」
政宗は再びピシャリ、と扇子で重長の額を軽く叩く。軽くても地味
に痛い–––重長が額を押さえて思わず「痛っ」と呟いた。
「半分は正解じゃ」
「半分ですか?」
「もう半分は–––– 信幸よ」ニヤリと政宗が笑う。
「ですが、信幸様は関ヶ原の合戦でも家康公に従っております。まさ
か––––」
「真田一族の結束力を侮るなよ、重長」
政宗は真剣な顔で重長を睨む。
「そう言えば、九度山から戻る途中信濃からの密偵と間違われ、伊賀
者に襲われました。最初は家康公の配下と思ったのですが、どうも秀
忠殿の独断で動かしている様に見受けられました」
「そうか、–––––まあ信幸は九度山へ支援と称して年に数度、薬や衣
類、酒などを送っている様だしな。それに乗じて何か連絡を取り合っ
ておっても不思議あるまい」
「酒と言えば、九度山の屋敷でもてなしを受けた際、信繁様が酒を振
るまってくださいました」
「ほう、美味かったか?」
「いえ、私は用心のため口にしませんでしたが、源平が
い酒だったと言っておりました。」
政宗が呆れ顔で、扇子の先で重長の頭をグリグリと小突く。
「阿呆、せっかくの旨い酒を馳走にならんとは。ったく親父に似て頭
の固い奴め」
扇子でグリグリされながら、重長はしかめっ面で『似ている訳が無
い』と一人心の中で毒づく。
この後、屋敷に帰り父の景綱に会いに行く事が、更に気が重くなっ
ていた重長であった。
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