第15話 思惑

 夜半から降り出した雨は、次第に激しくなってきている。

強い風と相まって、風雨が母屋の雨戸をガタガタと煩く叩いた。

「やはり今夜は荒れそうだな」

 信繁が蝋燭に火を灯しながら、そう言った。

 土間の上がり口から入って直ぐの小さな部屋に、信繁と佐助

は膝を突き合わせていた。

 奥の部屋には信繁の妻子が身を寄せ合って寝ている。

 侍従や侍女達は、同じ敷地内に建てられいる二棟の離れに、

其々それぞれ引き上げ休んでいる。


「信幸様からの書状です」

 佐助が懐から三つ折りに畳んだ文を取り出し、信繁の前に

置く。信繁はそれを開き、目を通す。

 書面には兄らしい几帳面な文字で佐助に持たせた手土産の

目録が細々と書かれている。最後に信繁と妻子達の身体を気遣う

言葉で締め括られた文に、信繁は手元にある酒を口に含むと、

ブゥっと霧状に文に吹き付けた。

 文に書かれた目録の行間に紅い文字が浮かび上がる。

 信幸は用心の為、九度山に遣わす文は一目で内容が

判らぬ様に、特殊な細工を施し佐助達の様な密偵に託した。

 万が一文が奪われても、“真田家秘伝の酒”でなければこの

隠された文字を読むことは出来ない。

 信繁は紅い文字で書かれた密書を読むと、直ぐにそれを

蝋燭の火で炙り、焼き捨てた。

「いよいよ、家康が動く様だ」

 信繁の目が蝋燭の灯を映して、ゆらりと瞬く。

「仔細を調べる為、信幸様は三河と大阪へ“草の者”達を放ちました」

 大阪へは才蔵が向かっているが、佐助は敢えてその事は

信繁に伝えなかった。


 稲妻が木戸の隙間から光り、続いて雷鳴が遠くで轟く。

 信繁は足元の床板を一枚剥がすと、その下に納められている

巻物を取り出した。

 巻物には【真田家 兵法術】と書かれている。

「父昌幸が残したこの兵法を、ようやく活かせる時が間も無く

来そうだ」

 信繁は巻物を見つめ、忍び笑う。その貌は普段の柔和な信繁

とは別人の修羅を宿した武人の貌をしていた。

『やはりこの方は昌幸様の血を継いでおられる––––』

 佐助は稲光に照らされる信繁の顔を頼もしく思う一方、お梅

や他の子供達がこれから大きな戦の渦中に否応無く巻き込まれ

ていく事に暗澹あんたんたる思いを抱いていた。



「どういう事じゃ正就まさなり!何故一人も戻らん」

 薄い顎髭を生やした小太りの男が、イライラと畳敷の部屋を

行き来する。

「面目次第もございません」

 黒装束の男が部屋に面した庭先に跪き、頭を下げる。

『残念ながら、この方には家康様程の器量が備わっておらぬ』

 伊賀の忍びかしら服部正就は、心の中でため息を吐きながら

目の前の主人、徳川秀忠の勘気をその身に受けていた。

 そもそも、何の下準備も無く、真田精鋭の忍び達を始末する

など、無謀な計画だったのだ。

「おのれぇぇ真田め!信幸はきっと今でも九度山の信繁と通じて

おる筈じゃ。何食わぬ顔をして父に取り入り、裏ではまた我ら

徳川家に歯向かう牙を研いでおるに違いない」

 親指の爪を噛みながら、秀忠は上目で部屋の天井を睨みながら

次の手を模索している。

 秀忠が真田一族をこうも目の敵にするのは、十二年前の関ヶ原

の戦いで真田親子の奸計にはまり、肝心の本戦に間に合わなかっ

た事が未だに尾を引いていると正就は考えている

 父親の家康は負け戦から多くを学び、その失敗を糧にここまで

のし上がって来た。しかし息子はそうでは無かった様だ。

 そんな事をつらつらと考えながら、庭先で待機していると、

秀忠が正就にぼそりと言った。

「何とか信幸だけでも始末できまいか?」

 秀忠の私怨に塗れた顔を、嫌悪を隠して見つめながら、正就は

進言した。

「恐れながら、信幸殿の近くには真田の精鋭の忍び達が昼夜付き

従い近づけません。難しいかと––––」

 秀忠の顔が怒りで赤黒く染まる。しかし秀忠が正就を怒鳴りつ

けようと口を開ける前に、正就は更に言葉を重ねた。

「ですが、九度山に幽閉されている信繁殿ならば、容易たやすいかと」

 秀忠の顔が途端に機嫌よくなる。

「関ヶ原の戦から早十二年。父上の情けで今日まで生かされてき

たが、もうそろそろ引導を渡してやらねばのう」

 ゲハハ––––と耳障りな笑い声を聞きながら、正就は気の進まな

い任務に誰を駆り出すか頭を悩ませてせていた。





 


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