第14話 指南

「大助、遠慮は要らぬぞ、どこからでも掛かって参れ」

 お梅が木刀を正眼に構え、大助の正面に立つ。

 着古した木綿の袴を身につけ、二人は真剣な顔でお互い向き合う。

 日は既に西に傾き始め、幼い剣士達の影が母屋まで長く伸びる。


 母屋の縁側に腰掛けた信繁が、目を細めて我が子達を見守る。

 その横に老齢の男が、ささくれた木刀を手に控えている。

 男は大助の守役をしている青柳清庵あおやぎせいあんといい

先代の昌幸の代から使える古参の侍従である。

 

 大助が八双の構えを取り、そこから大きく頭上に木刀を振りかぶ

りお梅に突進する。

「やあぁぁぁ!」

 気合を入れてお梅に斬り込んで来た太刀を、お梅は逃げずに踏み込

んで、木刀で受ける。

 暫く競り合いをした後、二人は離れ、今度はお梅が鋭い突きを繰り出す。

 大助は後ろに飛び退いて辛うじて此れを躱し、何とか踏み止まると

再び上段から斬り込む。

 お梅は大助の木刀を、今度は半身はんみで躱す。

 大助は勢い余って足を取られ、そのまま倒れ込む。

 

「それまで」

 清庵が制止の声を掛ける。

 大助は悔しげに立ち上がり、再び構えてお梅に再度雪辱戦を挑む。

「姉上、もう一本お願いします!」

「太助様、病み上がりでこれ以上は––– もう日も傾いて参りましたぞ」

 清庵が大助を案じ声を掛ける。

「まだ大丈夫じゃ、もう少し–––」


「大助、無理は禁物じゃ。また熱を出したら、母上が心配するぞ」

 信繁が穏やかに諭す。

「‥‥‥はい」

 大助がしょんぼりと肩を落とし、構えを解くと木刀を清庵に手渡す。

「大助、また明日やろう。其方そなたの最初の打ち込み、中々の物だったぞ」

 お梅が笑顔で大助に言う。その言葉に幾分気を良くした大助が、

勝気な目を姉に向けて言った。

「そのうち必ず、姉上から一本取ってみせます!」

 大助は清庵と共に汗を流す為、水場に向かった。


 二人が奥に消えると、信繁はお梅を手招きした。

 お梅は木刀を持ったまま、信繁の前にやって来る。

「ここにお座り」

 信繁が娘を隣に座らせ、そっと耳打ちする。

「今の試合、わざと加減したな」

 お梅ははっと父の顔を見つめ、辺りに誰もいない事を確かめると、

小声で信繁に話し掛けた。

「分かってしまいましたか?わざとらしく無い様に、打ち込んでいた

のですが‥‥‥」

「大助は気付いてなかったよ。だが、次からは全力でやりなさい。

その方が大助の為になる」

「‥‥はい」

 お梅は不承不承ふしょうぶしょう頷く。

 その様子を見ながら信繁はフッと微笑むと、お梅に自分の子供の頃を語った。

「儂も昔、お前と同じ様な事をして父上にしかられてな。」

「父上って‥‥おじじ様?」

 お梅の祖父昌幸は、昨年の冬病でこの世を去った。

 昌幸はお梅を『姫』と呼んで大層可愛がり、信濃の昔話などを良く

話して聴かせてくれた。

「儂と兄上は年子でな。子供の頃は儂の方が身体も大きく、力もあっ

 た。剣術の稽古でも、何時も儂が勝っていた––––」

 信繁は彼方を懐かしむ様に見る。

「始めは兄を打ち負かす事に夢中になっていたが、悔しげに何度も挑

んで来る兄を見て、気の毒になっての‥‥‥」

「わざと負けたのですか?」

 信繁は苦笑して頷く。

「だが、それを見ていたじじ様が怒ってな、般若はんにゃの様な顔で

儂らの前にやって来て『この、痴れ者!』と怒鳴られ、張り手を喰らった」

「梅は、じじ様の怒った顔など見た事がありません」

 驚愕の表情を見せるお梅。

 ははは–––と信繁が朗らかに笑い、じじ様も若い頃は血の気が多

かったのだと言った。

「‥‥父上も、怒っていますか」

「いや、怒ってなどおらぬ。しかしなお梅、もしお前が大助の立場

だったらどうじゃ?手加減して勝たせて貰ったと分かったら、

喜べるか?」

 お梅は眉を寄せて項垂れる。

「負けるよりも悔しいです‥‥私は、浅はかでした。大助の為と思

って手加減をして‥‥大助の気持ちを考えておりませんでした」

 お梅は自然と浮かんだ涙を、手の甲でグイッと拭う。

 信繁はお梅の肩を抱き寄せ、その頭を優しく撫でる。

「良い良い、お梅は弟想いの優しい姉様じゃ」

 

「‥‥‥ううっ、何といじらしい‥‥グスっ––––」

 軒下から、何やら男のすすり泣く声が聞こえる。

 ギョッとしてお梅が顔を上げる。

「佐助、いつまでそうしておる。出て参れ」

 信繁が平然と足元に目を向ける。

 佐助が茄子の入った籠を抱えて、軒下から出てくる。その顔はあち

こち土が付いていて黒ずみ、涙の線がくっきりと両頬に現れている。

「佐助!」お梅が勢い良く佐助に抱きつく。それをしっかりと受け取める佐助。

「只今戻って参りました」

「お帰り、佐助」お梅が満面の笑みを佐助に向ける。

 その娘らしい溌剌とした美しさに、佐助ははっとする。

『やはり血は争えぬ、良く似ている––––』


 そこへ軽く咳払いをした信繁が、わざとしかめっ面をして

「せっかくの親娘水要らずを、間の悪い奴め」となじった。

 佐助は首を竦め、申し訳なさそうに主人に頭を下げる。

「申し訳ありません。お二人の話しを聞いて感極まってしまいまして‥‥」

 へへ–––と頭を掻いて詫びる佐助。

「佐助、今度は長くこっちに居られるのか?」

 お梅が佐助に抱きついたまま尋ねる。

「はい、暫くはこちらにご厄介になります」

 佐助はお梅を抱き上げ、クルクルと回る。

 お梅が嬉しそうに笑い声を上げる。

  

 信繁は微笑ましくそれを見守りながら、二人の背後に黒い雲が立ち

込めているのに気付く。

『嵐が来そうじゃな––––』

 己が家族の行く末を案じながら、信繁は暮れて行く空を見上げた。



 


 

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