第12話 異能の忍び

 左門達から数十里離れた木の上に、一人の若い男が座って居た。

 男は意識の無い自分の体が木の上から落ちぬ様、木の幹に縄で

縛りつけていた。

 『勘の良い奴、だが気取られた筈もあるまい』

 夜目の利く梟の目を先程のやり取りを見ていた男は

女が死んでる事を確信する為、谷底へ降下しその無残な死体を

目視した。

『これで俺がかけた術の痕跡は誰にもわかるまい』

 男は満足して梟から意識を切り離した。


 木の上に座す己の体に意識を戻した男は、閉じていた目をゆっく

りと開く。その瞳は右目だけが血の様な紅い色をしていた。

 男は強張っている体を解すと、いましめていた縄を解いて木

の上から音も立てずに、ヒラリと地に降り立った。

『相討ちならばしめたものだったが、さすがに陸奥の黒脛巾くろはばき相手で

は伊賀の下っ端など太刀打ち出来ぬか』

 男は側に置いてある荷を背負うと、杖を突きながら山道を下った。

『あの左門とかいう男‥‥腕は立つ様だが、あれでは忍びとしては使

い物にならん、少々期待外れだな』

 男はここ数日を思い起こしながら、遅れを取り戻すべく歩みを速めた。



 数日前、男が左門達を見つけたのは偶然だった。

 信濃から自分達を追って来た伊賀者達を、始末する算段を計ってい

た時、男は鷹の目を借りて自分達と同じ様な出で立ちで、こちらに

やって来る二人連れの男達をとらえた。

 『これは好都合』

 男は年配の男の顔を見知っていた。

 奥州の“ 黒脛巾組”はその高い戦闘力と諜報能力の高さで、他の一族

の忍び達から恐れられていた。

 くだんの男はその黒脛巾の頭目、柳原源平に違いないと男は確信した。


「才蔵、才蔵、おい!そろそろ目を覚ませ!」

 耳元で煩く自分を呼ぶ声に、才蔵は顔を顰めて目を開けた。

 目前に、心配そうな顔をした僧侶姿の若い男が映る。

「煩いぞ、佐助。意識を跳ばしておる間は、声を掛けるなと言って

おいただろう」

「そうは言っても、お前が死んだ様に動かなくなって、数刻も経て

ば、流石に心配になるだろう」

 佐助が眉を寄せて不満げに言う。人の良さそうな丸顔はおよそ命

のやり取りを生業とする忍びの者に見えないが、それでもこいつが

体術に置いては、自分と互角以上に渡り合える男だと、才蔵は身を

もって知っている。

「俺が死んでいたら、そのまま捨て置いて先に行けば良いだろう」

 面倒臭そうに才蔵は身体を伸ばして、立ち上がる。––––っと軽い

目眩を感じ才蔵は、額に手を当てよろめいた。

 佐助が咄嗟にそれを支える。

「大丈夫か?俺はお前の様な術を使えぬから良く分からんが、身体

から意識を飛ばすなどという技は、やはりかなり無理を強いるので

はないか?」

「短い間ならば問題無い。今は少し長くなったが‥‥」

 才蔵は佐助に凄みのある笑みを向けて、愉快げに言った。

「おかげで、あの小煩い伊賀者達を始末する算段がついた」

「やはり、始末しなければならないか‥‥皆まだ若い者達ばかりで

女子おなごもおった様だし」

 佐助は気が進まない様子で、表情を曇らせる。

「何を甘い事を、女子だろうが赤子だろうが敵の間者に変わりある

まい。気が進まぬならば、お前は先に行け!」

 才蔵は邪魔だという様に手で追い払う仕草をする。

「誠に一人で大丈夫か?」

 佐助が重ねて尋ねると、才蔵は不適な笑みで返す。

「俺を誰だと思っている。伊賀の下っ端の十人や二十人、軽いものさ」


 先を急ぐ佐助を送り出し、才蔵は伊賀の忍び達を頃合の場所に導き

幻覚を見せる煙を焚いた。


「何だ?この煙は‥‥‥」

 風下から来た伊賀の忍び達は、異変を感じ足を止めた。

 風に乗って青白い煙が彼等を取り巻いて行く。

 皆が訝しんでいたのも束の間、彼等の目が次第に虚に変わる。

––– ここから西へ向かえ。お前達の標的がそこに居る。後を付け、頃

合いを見て殺せ、殺せ、コ、ロ、セ––––

 何処からとも無く彼等の耳に、反響を伴った声が届いて来る。

 やがて煙は跡形も無く消え失せ、皆はっと我に返った。

「‥‥おい、西へ向かうぞ」

 一番年上の商人風の出で立ちをした男が、そう言って歩き出す。

他の者達も各々西を目指して動き出した。


『首尾は上々、さてどうするか』

 己の暗示が上手くいった事を、風上の高い木の上から眺めていた

才蔵はふと、源平と一緒に居た男の顔を思い起こした。

『あの源平が付き従っているとすれば、何やらいわくのある者かも

知れぬな』

 才蔵は興味を覚え、これから繰り広げられる忍び達の闘いの結末を

見届ける為、後を追った。

 


『全く、無駄な時を過ごしてしまった。さっさと大阪へ向かっておれ

ば今頃は遊女と褥を共に出来たのに』

 才蔵は先に九度山へ向かった佐助の丸顔を思い出し、そういえばあ

いつは遊廓通いなどした事が無かったのでは–––と気付く。

『大阪に来る事あれば、一度案内してやるか』

 間も無く夜明けを向かえる緋色の空を見ながら、才蔵は大阪へ向け

て駆け出した。





 


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