第11話 名も無き花

「何故、私を助けた」

 女が押し殺した声で問う。

 月明かりに照らされた女の顔は、幽鬼の如く青ざめていた。

 「お前に聞きたい事があったからだ」

 左門は女との間合いを慎重に取りながら答える。

「嘘をつくな!」女が叫ぶ。

 その声が谷間に木霊する。

「お前が私を助けたのは、私が取るに足らない存在だと、そう

思ったからだ!」

 女の顔が悔しげに歪む。

「そうだ‥‥己の未熟故に、お前らに何をされても仕方がない

そう思っていたのに‥‥‥」

 女の目から一筋の涙が頬を伝う。

「お前は私に憐みをかけた‥‥」

 女はゆっくりと後ずさる、その先は深い崖の縁へと続いている。

 左門は女の目をひたとみつめ、静かに声をかけた。

其方そなたを侮った訳ではない。一つ間違えれば、俺が殺されて

おったかもしれぬ」

 左門はゆっくりと女に一歩踏み出す。女が一歩後ずさる。

 死を覚悟した女の目を見つめ、左門は己の嘘偽りのない言葉を

伝えようと腹を決めた。

「‥‥数日前、村で女の子を助けた。其方とそう年は変わらぬ‥

‥其方と斬り結んだ時、一瞬その子の顔が浮かんでしまってな」

 左門は恥じ入るように目を伏せる。

 隣の源平は、やれやれという様に首を振り小さく肩を竦める。

「未熟なのは俺の方だ、お前ではない」

 女はしげしげと左門の顔を見つめ、強張っていた表情を僅かに

緩めると左門に言った。

「変わった奴じゃ、信濃ではそんな変わり者でも生きてゆける

所なのか」

 左門は何食わぬ顔で話しを合わせる。

「ああ、少なくともお前の故郷くによりはマシだと思うぞ。どうだ

このまま遺恨を捨て、我らと共に来ぬか?」

 源平が小声で嗜めるのを無視して、左門は女に向かって更に

説得しようと前に出る。

 だが女はそれを拒む様に、更に後ろに下がる。

「先程食べた、あの粥‥‥美味かった‥‥」

 女は儚く微笑むと、そのまま後ろ向きに谷間に身を投げた。

「待て!」

 左門は咄嗟に女を捕まえようと、崖の淵に手を伸ばす。しかし

伸ばした手は空をつかみ、女の姿は谷底の闇に消えていっ

た。


「あの娘、我らを信濃の間者かんじゃと思っていた様ですな」

 左門と共に女の消えた谷底を眺めながら、源平は苦く呟いた。

「始めは三河の家康公の差し金かと思うたが、どうやら違う様だ

な」

 左門は未練を断ち切る様に踵を返すと、源平と共に元来た道を

引き返した。

「家康様の手の者にしては、些か手応えがなさ過ぎでしたな」

源平がしたり顔で頷く。

「家康公ならば、こんな強引な襲撃はして来ない。おそらく秀忠

殿の差し金だろう」

「秀忠様は真田一族を毛嫌いしておりますからの」

 左門はふと足を止めて考え込む。

「何故、奴らは最初から我らを真田の間者と決めつけていたのだろ

うか」

「我らが九度山に立ち寄り、そのまま高野山に向かわずにここまで

来たからでは‥‥」

 源平は頓着せずに先を歩きながら、左門に返す。

 果たして、それだけでいきなり確かめもせずに襲って来たという

のか ––––– 左門は何故か引っ掛かるものを感じ、そのまま立ち尽

くしていた。


 不意に近くの木の枝から梟が飛びたった。

 はっとして左門は頭上に目をこらす。

 大きな羽を広げた黒い影が一瞬、木々の間から垣間見れた。

 梟の羽ばたく音が遠のいて行く。

 左門は闇夜に消えた梟に、一瞬見張られていた様な錯覚を覚え、

胸が騒いだ。

「左門様、如何された?」

 先を行っていた源平が声をかける。

「いや、何でもない」

 左門は『まさか』と己れの錯覚を一笑し、源平の後を追った。











 

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