下
『薺』は枯れていた。壁の向こうにあった『薺』は。
いつ、それを君に渡したのだろう。きっとそこに何故の答えはある。深く、強く、それを思った。
──そう言えば、此処で君を連れ戻したんだっけ。
あれは、春の中頃だ、寂しく吹く春一番は別れや出会いの浮き世を連れ去ろうとしていた。僕と君にとっては、この春一番は追い風であったことを覚えている。確かそこの景観は、アスファルトの上に儚く散った桜の花弁が桃色の絨毯を作っており、僕らはその近くの公園にいた。
春休みも終わりを告げ、在校生にとっては憂鬱な日々の真っ只中、僕と君は学校が終われば伸びた日が沈むまで、『何故か』一緒に居た。
そう、あの日は早帰りの日だ。いつもと同じ様に君と一緒に過ごして居た。少し早い帰りだったから、近くの商店街を歩いて、時間を潰していたんだ。
君は確か、道端で寝ている猫を見て10分以上和んでいた、それを見て僕は更に和んでいた。その近くの惣菜屋さんのコロッケはとても評判で、午後には既に売り切れていることが多かったけど、その日は早かったので残っていた一つを二人で食べた。熱々のコロッケを頬張りハムスターの様に頰を膨らまし、熱いと言って君は泣きかけていた。僕は当たり前だろと笑いながら言った。他愛なく進む日常、別になんてこと無い時間の記憶だ。
いつもと違うのは、早帰りだ、早く帰っただけの日だ。だけど、何故この日を思い出してしまうのだろう。『薺』はこの日に貰ったのだろうか。もう少し時間を進めて見よう。
昼をとっくに過ぎて、夕暮れ時の公園に僕らの面影があった。2人は夕日に照らされて、それはそれは眩い光景だった。僕はその時、君と出会って一年が経ったその時に、質問をしたんだ。
──なんで君は、僕を連れ戻したんだい?
会話の記憶が鮮明に流れ出す。その拙い言葉の羅列は、意味をはっきりと伝えていた。
──なんでだろうね。
解っているはずの君は戯けたんだ。そして僕に、それを悟られないように、はにかんだ笑顔を見せた。その時は、そのまま、聴くのをやめた。いや、これ以上は聞いても無意味だと思った。
ただ君はこの後、僕に『薺』と、質問をくれた。薺はただ摘んだだけの筈なのに、僕はとても嬉しかった。そして僕は、君から沢山の事を貰ったことを思い出し気づいた。
僕からは何もあげてなかった事を。
あぁ、だからか、だからそのときも君の真似をした。だから君と同じ様に、僕も『薺』を渡したんだ。その日の夜に、自室の花辞典で薺を知った。そして、その意味も知った。薺をくれた君の質問を思い出す。単純な、簡単な、答えれなくない、何でもない問いだった。
──私は君にとって、どんな存在なの?
それに僕は、『大切な友達』と応えた。
この時だ、今は、はっきりとわかる、この時に壁を作り始めた。それぞれを隔てる壁。
やっと、わかった。やっと、辿り着けた。他愛ない質問に応えたところで全てが解ったのだ。
僕は壁の向こうの枯れた薺に触れた。そして、君から貰った薺を横に並べた。
『私の全てを捧げます』
僕は、目の前にある一枚の写真を見つめた。
無意識に心の底から溢れ出た塩水は何処にも還らない。気づいた時には、何もかも、何もかも、枯れていた。
僕はただ一つ、笑っている君に手を添える。そして、二度と届かない言葉を、帰って来るはずのない答えを求めた。
──君にとって、僕はどんな存在だった?
春の中、桜吹雪が静かに地に落ちた。
壁の向こうにいる君へ 一(にのまえ) @dezi_write
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