第6話 光の女神

「あれ、俺は……?」


 浮遊する感覚にヨーンは包まれていた。

 頭上から差し込むのは光だ。

 そして目の前には女の子がいた。

 光り輝くものの正体はまだ幼い少女だ。

 キラキラと結わぬ長い髪を輝かせほんのり光っている。

 年の頃はまだ十代に差し掛かったくらいだろう。

 身にまとう衣装は真っ白なゆったりとした衣装。

 女神像の姿そのままといってよい姿である。

 修道女だろうか?

 ぼんやりとヨーンはそんな感想を抱く。


「誰だ?」

「うふふ、女神です」

「……あ、そう。ここどこだ?」


 頭に手をやるとひどく痛んでヨーンは顔をしかめた。

 先ほどぶつけた傷だ。

 体中が痛いし、どうやら夢ではない。


「さりげなく私の主張を無視しましたね……」

「お子ちゃまのじょーだんに付き合ってる暇はないんだが……ここはどこだ?」


 再度、女神と名乗る少女に尋ねる。

 街中ではない。

 周囲には光しかない。

 漆黒の鎧をまとったベイオウルフの姿もない。

 時間の感覚もあやふやだ。


「いいですか、あなたは選ばれたのです。勇者よ」

「勇者って昔話のだろ……すっごい大昔に光をもたらしたってやつ」

「勇者は実在しました。この地に光をもたらし、新たな理をもって新世界を創り上げたのです」

「御大層だな。それなら俺はお門違いだ。この国を守ってるのは貴族だろ? 王国の戦士もいるし」

「残念ながら彼らは私の声を聴くことができません。永い時がかつて英雄が与えた誓約を忘れさせました」

「へー、女神様の怠慢だな」

「もー、バカにしてるのですか!? 私はあなたを勇者に選んだのです!」

「俺はふつーの人間で、親父は戦士だったけど加護の力を授かったことはねえ! ちょっとばかり人より動けるってだけで」

「加護の形質は人それぞれです。あなたが闇の世界で動けることが勇者の素質なのです。加護を受けた者は数多いますが、その力を持つ者は極めて少ないのです」

「難しい話は分からねえ。俺を元の場所に戻せるか?」

「戻ってどうしようというのですか?」

「あいつを止める」

「敵わないと知っているでしょう? 立ち向かう勝算があるのですか?」

「ねえ。けど俺はみんなを見捨てらんねぇ! 俺を育ててくれた人たちを放っておけない」

「ふふ、それこそが勇者の資質です。あなたの心の声が、叫びが私を呼び起こしたのですから。緋色の勇者よ」

「緋色の勇者?」

「あなたの力を解放します。勇者より受け継いだこの世界を救う力です」

「あつっ!?」


 胸元が焼けるように熱い。

 痛みに胸元をはだけ確かめると光る紋様が浮かび上がっている。


「解放(Befrielse)。その言葉を合図に勇者の力を解き放ちます。心に勇気と信義を持ち続ける限り失われることはありません」

「勇気……信義?」

「さあ、お行きなさい。私と過ごした時間は外の世界の時間の千分の一程度。さして時間は過ぎていません」

「俺はみんなを助けられるのか?」

「行きなさい勇者よ。あなたの中の光を信じて……」


 周囲が眩い光に包まれ女神の声が遠ざかっていく。


「解放(Befrielse)!」 


 その言葉をヨーンは解き放つ。

 明るい緋炎が身にまとわりついて紅の鎧を形作る。

 目の前に現れたのは武器だ。

 それを掴むと"望む形を与えよ"という言葉が響く。

 ためらうことなくヨーンは武器に形を与えていた──



「何だその姿は!? 貴様は……ヨーン・ノルデンフェルトなのか?」


 光が現れ消えた同じ場所に現れた「者」にベイオウルフから驚愕の声が漏れる。

 ヨーンの逆立った赤い髪は天を突き、その髪と同じ燃えるような赤い鎧はその身にあつらえたかのように合っている。

 その手に持つのは剣だ。

 フランベルジュと呼ばれる朱く波打つ剣の刃を肩に抱えている。 

 

「そうだぜ。お前を倒すために戻ってきた」

「ほざくな。逃げ回っていた小僧が世迷言を」

「世迷言かは……自分の身で思い知りなっ!」


 一閃──炎の剣が振るわれ目にも止まらぬ音速剣が漆黒の兜の角を切り落としていた。

 跳んだベイオウルフの動きは間に合わず鈍重な音を立てて地に降り立つ。


「速い……バカな。何だこの動きは? 先ほどとは大違いではないか!」

「大違いかはじっくり確かめてみろ!」


 ヨーンが仕掛けベイオウルフが迎え撃つ。


「まるで別人ではないか……」


 上空から見守るアコレーデが呟く。

 明らかにベイオウルフの動きを上回る速さで赤毛の少年が圧倒している。

 ほんのわずかな時間で起きたことは何であったのか。

 目の前で見ていたにもかかわらず理解できない事柄だ。


『ベイオウルフ。引け』


 "念話"による思念伝達を試みる。


『黙れ。こやつを仕留めて……』


 金属音が響き渡り、ベイオウルフの剣が途中から折れて飛んだ。  


『強がりでその男に勝てると?』 


 アコレーデの思念は無視される。


「フハハハっ! 確かに貴様の動きは我を上回るようだっ! だが終わっていない……」

「何をするつもりだ……ベイオウルフ?」


 アコレーデは戸惑いの声を上げる。

 勝敗は決した。

 すでにこちらの目的は終えている。

 撤退すればよいだけのこと。

 下らぬ勝敗にこだわる理由がない。


 ベイオウルフが方向を変えて走り出しヨーンが追った。

 続いてアコレーデが追う。

 ベイオウルフが向かう先は城壁の外。

 壁を飛び越えた先にあるのは黒曜のくさび石。


「"収束"せよ」


 舞い戻ったベイオウルフが差し出した手に黒石がくさびから分離し集まっていく。

 光から闇の力に変換された石がベイオウルフの手の中で固まり結晶となり妖しく輝く宝石に変わる。

 まさにそれは魔石と呼ぶにふさわしいものだ。


「これはその使い方の一つよ。自らに使用した場合のな」


 ベイオウルフの漆黒の兜の面が跳ね上がる。

 その中に見えたベイオウルフの顔は顔ではなかった。

 真っ黒な暗黒に浮かぶ死霊の青い双眸だけがらんらんと輝いている。

 ベイオウルフが魔石を握りしめて砕くと黒い粒子が顔に吸い込まれていく。 

 その瞬間からその身に変化が始まっていた。


「ぐぉぉぉぉ~~~っ!!」


 獣の如き咆哮と共に黒い瘴気があふれ出て草木を腐らせ始める。

 漆黒の鎧が軋みを上げて金属がこすれる音が鳴り響く。

 ベイオウルフの内側から膨張した何かが上げる鳴き声のようでもあった。


「何を……しやがった?」

「制御できていないのか?」


 みるみるうちにベイオウルフの体は三倍ほどに膨れ上がっていた。

 漏れ出た闇の力が辺り一面を腐らせ黒いよどみを作っていく。


「こ~ろ~す~~~」


 間延びした言葉もその後に続く言葉も意味を成していなかった。

 

「ほろ~べ~」


 一歩踏み出しドロドロとした暗黒を振りまいてその足は街へと向かう。


「させねえっ!」


 ヨーンが剣を振るうが漏れ出たベイオウルフの体は半ば実体がない。

 

「みなごろしだぁぁぁ~~~」

「醜い……!」


 不快感にアコレーデは侮蔑の視線を投げかけた。

 お前は戦士などではない。

 妄執に捕らわれた、愚かしく、あさましい亡者ではないか!

 アコレーデには人間に加担する気持ちはまるでない。

 弱者には何の興味もないのだ。

 光国は倒すべき敵だ。

 だが、見境なく他者を巻き込んで己の目的を遂げようとする者に激しい嫌悪感を感じていた。

 そうか、これが感情というものか……

 アコレーデが生まれて初めて感じた強い感情はそのようなものであった。


「ベイオウルフっ!!」

「ぐぅぉぉぉ~~~!」


 ヨーンに体当たりするように巨体が倒れ地響きを上げる。

 体を支えていた鎧が意味を失った今、ベイオウルフは鈍い獣でしかない。

 制御されぬ魔石が力を放出し続け理性まで喪失している。 

 進行を止められずヨーンが後退して走る。

 せめて門前で止める!


「一人じゃ無理か……」


 橋を上げようにも無理と悟り、橋の前で止まり考えを巡らせる。


『勇者よ、あなたの中にある光の力を集中させるのです!』

「この声? 女神……様か?」


 頭の中に響いた女神の声に真上を見上げるが誰もいない。


『様と付けるのに一瞬ためらいましたね……』

「そんなのどうでもいいから、もったいぶらないで教えてくれ。どうしたらいい?」

『いいから集中なさい!』

「よし……集中だな」

 

 黒い塊と化したベイオウルフが迫る中でヨーンは目を閉じる。

 幻覚のような淡い光の彼方が見えた。

 ヨーンは大きく目を見開く。

 な……に?

 見えたのは光──何もかもが白い奔流に包まれ自分がその中心にいると感じた。

 渦巻くその力が腕を伝わって剣にたどり着く。

 自然とヨーンは剣を掲げていた。

 あまりにも強い力に制御するだけで精いっぱいだ。


「食らいやがれっ!」


 炎の剣が振り下ろされ、閃光が辺り一面を覆いつくしていく。


「バ…カナ……」


 その光がベイオウルフに触れると黒く漏れた瘴気が消失していく。

 同時に炎がその身を焼いて苦悶の声が響き渡った。


『浄化の力を解き放てっ!』

「うぉぉぉぉっ!」


 ヨーンが叫び剣にこもった最後の力を叩きつける。

 ベイオウルフの身に起きた異変を察知してアコレーデは跳んだ。

 浄化の光がアコレーデの身を焼いてブスブスと衣装が煙を上げた。

 ベイオウルフの本体である「核」を拾い上げるとアコレーデは最後の力を振り絞って"転移"する。

 剣を振り切って憔悴したヨーンが顔を上げる。

 空にあった紫月は完全に欠けて消滅していくと同時に空は青く太陽の日差しを降り注がせる。


「終わった……何だアレ?」


 ベイオウルフが倒れた場所、下生えの草が消失し裸になった地面に光るものを見つけて拾い上げる。

 それは石だった。

 魔石から浄化されて光石となった宝石はヨーンの手の中で光り輝いている。

 

「これ、あいつが飲んだやつか? バッチくねえ?」

『よく成し遂げました光の勇者よ。その石はとても重要なものです。決して敵に奪われてはなりません』

「あー、まだいたんすか?」

『この子、もっと女神に敬意を払うべきだわ……』


 残念がる女神に軽口で返すとヨーンの姿も元の姿に戻っていく。


「あー、腹減っちまった。よーし、今日は食うぞ~」

『なんてノー天気なのかしら……』


 げっそりした気配を伝えて女神が呟くのだった。



「力を使いすぎたか……」


 アコレーデが"転移"したのは学園寮の自分の部屋だった。 

 静かな部屋の冷たい床に膝を突いてアコレーデはゆっくりと息を吐き出す。

 ベッドの上に倒れこむように身を沈める。

 その姿はコーデリアの姿に変わっていた。

 消耗が激しくて無意識に人間の姿になったのだ。

 同時にアコレーデとしての意識も乖離してコーデリアへと変化を遂げる。

 断続的な鈍いうずきがズキズキと頭を痛みつける。 


「気持ちが悪い……」


 チリチリと脳を焼かれているような不快感。

 痛みに耐えながら、ギリ、っと強く歯を噛み締める。

 頭痛は熱へと変わり脳内を蝕んでいく。

 夢うつつのなかでコーデリアはビジョンを見ていた。


 勇者──五人の戦士が女神の元に集う夢だ。

 その姿は変身を遂げた赤い髪の勇者に酷似しているが、赤い鎧の勇者の姿はあの少年とは異なる。

 バカな……これはわたしの記憶ではない……

 コーデリアのものでもなかった。

 それは確かだ。

 未来?

 過去?

 はっきりしていることはただ一つだけ。


「五人の勇者……倒すべき敵!」


 コーデリアは持っていたベイオウルフの「核」を放り出す。

 それは球体だ。

 ベッドから床に転がって動きを止める。 


「私はアコレーデ。闇の主を蘇らせるために作られた人形──人間は……勇者は敵だ……」  


 コーデリアはそう呟いて強く目を瞑った。

 冷たいベッドの上で毛布に包まる。

 体も心も消耗しきっている。

 目を閉じればすぐに深い眠りに誘われていた──

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