第5話 覚醒──緋色の勇者

 穿たれたくさびが大地のエネルギーを吸収し巨大化し始めると同時に黒く硬質な石がその表面を覆い始めた。

 ビシビシ音を立てながら黒曜石に似た邪悪な妖気を放つ石が育っていく。


「さあ吸い上げよ! この地に満ちた光の力を吸いつくすのだ!」


 三ケ月の紫月を背にベイオウルフが宣言する。

 月はその間にも端から崩壊を始めている。

 完全に月が欠けて消滅するまでの時間が時が停まっていられる時間を示す。


「時間がない。ベイオウルフ。この策の目的は?」

「闇の御方復活の準備が整うまでに我らは敵の目を引き付けておかねばならぬ。光都を守る六つの門に蓄えられし光の力を吸い上げてその守りを崩す。その為のくさびよ!」


 くさびに蓄えられた光が暗黒に染まりなお石を生み出し続ける。

 その石が魔界に属するものであることは明白だった。

 アコレーデの魔本にも"くさびの呪法"は記されていなかった。

 そのときだ。

 時が制止した世界で動く者がいることにアコレーデは気が付いていた。



 時が制止した瞬間まで時間は遡る── 


「なんだ……これ?」


 人々の動きが突然止まりすべてが制止したのだ。

 走るのを止めてヨーンは周囲を見回した。

 雑踏の音や、動物の鳴き声、人の話し声さえも聞こえない。

 町は死を迎えたように静まり返っている。

 ヨーンは火照って熱いうなじに手を当てる。

 肌に感じた違和感はもうビリビリというほどまでに強まっていた。

 ヨーンは門に立つ兵士の肩に手をかける。

 石のように硬い体、周囲に見える人々も人形のように固まっている。

 道を走る少年の体は宙に浮いたままだ。


「おじさん、どうした? 何が……」


 兵士はヨーンの呼びかけに応えない。

 動揺のあまり一歩下がって空を見上げた。


「あの空の月……何だってんだ?」


 昼間だというのに突然暗くなり空に現れたのは紫の三か月だ。

 時が停まり自分だけが動いているという異変。

 ただならぬ事態が起きている。

 

「おじさん、借りるぜ」


 声をかけてヨーンは兵士の腰から剣を引き抜く。

 鋼鉄のだんびら剣だ。

 鋼の輝きがヨーンの顔を照らしだす。


「そろそろ、木剣の稽古は飽きてたところさ!」


 深呼吸し目を閉じる。 

 剣をしっかり持って構え剣士の心得を呟く。

 そして異様な光を放つ門外に足を踏み出した。




「人間だと……?」

 

 壁の外に出た存在を知覚したアコレーデの言葉にベイオウルフは赤毛の少年に向きなおる。

 ベイオウルフの青い双眸がその姿を捉えて怒りに満ちた瘴気を吐き出した。


「この空間で動く者がいるとはな……」


 深くフシュウと息を吐き出しベイオウルフが跳んだ。

 

「げ、こっちに来る!?」


 異様な成長を続けるくさびに目を奪われていたヨーンの前にベイオウルフが降り立った。

 場違いな赤毛の少年をベイオウルフはジロジロと眺め背中の巨大な剣に手をかける。

 その圧倒的は存在に剣を持つ手を震わせながらヨーンは後ずさりする。

 ヨーンに対して漆黒の魔人はまるで巨人のようである。


 人間がこの空間で平気でいられるなんて……あの男は何者だろうか?

 アコレーデは動かない。

 ベイオウルフの動向を伺う。

 イレギュラーへのお手並みを拝見である。

 空間のポケットに身を沈めたままアコレーデは移動する。

 空間の狭間に身を置いたアコレーデの姿を普通の人間が見ることはできない。

 もっとも時が制止した世界で立っている人間は目の前に一人しかいないのだが。


「たかが人間如きがベイオウルフの前に立つか。その剣でどうするつもりだ?」 

「お、お前がこれをやったのか? 町の人たちに何をした? おじさんたちをどうするつもりだ!!」 


 勇気を振り絞ってヨーンは両手で持った剣をベイオウルフに突き付ける。


「貴様……人間に間違いないな?」

「どこをどう見てもそれ以外の何に見えるってんだ?」

「貴様、なぜ動ける……」

「みんなに何をしたのか言えよ! 化け物!」


 漆黒のベイオウルフを前に物怖じしない胆力にアコレーデは笑った。

 恐怖に支配されて逃げると思っていたが、人間とは中々に面白い生き物だ。


「名を名乗れ戦士。我が前に立ちて剣を振るうは戦士と見る。そして容赦なく殺してやろう」

「そう簡単に殺されてたまるかよ! 俺はヨーン・ノルデンフェルトだっ!」

「フハハ、面白い。数百年ぶりの一騎打ちといこうではないか」

「こりゃヤベーな……」 


 引き抜かれた大剣を見てヨーンは身震いする。

 一太刀でも浴びせられれば肉の塊となって無残な死を迎えることになるだろう。


「何者なのか?」


 アコレーデは赤毛の少年に注目する。

 あの顔はどこかで見た……

 学園の教室でか?

 偶然にしては出来過ぎている。

 そしてこの空間で動けること。

 魔界に等しい世界で活動できるのは同じ世界に住む者か、守りの力を持つ者のみ。

 やつは加護を受けた者なのか?

 それとも……


「くそっ!」


 ベイオウルフが振り下ろした大剣が風陣を生んでヨーンに襲い掛かる。

 一つでも巻き込まれれば動きを止められて終わりである。

 そう理解しヨーンは走った。

 一瞬たりとも同じ場所に留まらない。


「ちょこまかと逃げ続ける気か?」


 ヨーンが跳んだ足元を剣戟が抉る。

 ベイオウルフの卓越した剣技は、太刀を振るうだけで数十歩離れた目標を衝撃波で破壊する。

 地面をいくつもの穴が穿ち、土砂が舞って視界を鈍らせる。

 

「くそ、まともにやったら命が足りないぜ……」


 開けた空間はあまりにも不利だ。

 ここはあまりにも広すぎる。

 意を決してヨーンは一か八かで走り出した。

 

「見下げ果てたぞ。愚か者め。人間を盾にしたつもりか?」


 アコレーデの視点は移る。

 両者の追いかけっこは門の内に入り、入り組んだ街路へ。

 大剣を思うがままに振るうには不利な地勢だがベイオウルフには通じないだろう。

 業を煮やしたベイオウルフが上段に振りかぶり剣戟が繰り出される。

 直進する通路を衝撃が走り抜ける。


「ぐっ!?」


 跳んだヨーンの背後を衝撃波が通り過ぎる。

 その勢いに弾き飛ばされて石畳に体を打ち付けた。

 町の大広場は白い女神像のある民の憩いの場所だ。


「追いかけっこはここまでだ。ヨーン・ノルデンフェルト」


 倒れたヨーンに向かって漆黒の魔人が歩み寄る。


「はぁ……」


 落ちた剣を掴みヨーンは立ち上がった。

 その背に白い女神像がある。

 もう走れそうにない。

 受けたダメージに顔をしかめる。


「そうさな、もう逃げねえ。俺の親父は戦士だった。戦士として勇敢に戦って死んだ。俺は親父の顔を知らない……」

「何の話だ?」

「俺は弱い。あんたには到底かなわない。だがな、ここは俺が生まれた町でみんなが可愛がってくれた。ここを好き勝手されて、強いからってはいそうですかって言えねーんだ」


 独白するヨーンが顔を上げてベイオウルフを睨んだ。

 その目には光──緋色の輝きが生まれていた。


「俺は……誰かを守れる力で誰かを守りたい。今ここで死ぬとしても俺の想いだけは負けたりしねえっ! みんなを、この町を好きにさせねえっ!!」 

「それが最後の言葉か? 良かろう。貴様を真っ二つに引き裂き殺してやろう」

「うぉぉぉ~!」


 叫びヨーンは剣を天に掲げた。

 最後の特攻のつもりだった。

 その刹那……緋色の炎がヨーンを包み込む。


「何?」


 白い女神像の下でヨーンは光を見た。

 自らの刃で止めを刺そうと突進するベイオウルフの動きが止まり紅の光に押し戻される。


「バカな!! この光はっ!?」

「引けっ! ベイオウルフ!」

 

 アコレーデが叫ぶ。

 その刹那。

 強力な閃光が力の波動となってアコレーデとベイオウルフを弾き飛ばしていた。

 アコレーデは空に向かって飛んだ。

 眼下で暴風のような力が吹き荒れている。

 空に逃れて回転し渦の中心を見下ろした。

  

「何が起きたというのだ?」


 とてつもない力が発動しその中心に赤毛の少年がいた。

 そして、紅の光が収まり出現したモノにアコレーデは目を奪われていた

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