第3話 闇の尖兵

 ぽつぽつと闇の回廊に炎が浮かび上がり玉座を照らしだした。

 これは夢の回廊だ。

 ”夢見の法”を通じて魔王の城と繋がっているのだ。

 アコレーデの身は学園寮の一室にあって眠りに落ちている。


「我が娘よ……」


 玉座の上の蒼炎が揺らぎながら銀髪のアコレーデに呼びかける。

 即座に礼を返しアコレーデは頭を垂れる。


「アコレーデと名を改めましてございます」

「うむ、アコレーデよ、首尾を述べよ」


 ”転移門”より送り込まれた森での経緯を話し仮の姿を得たこと、光都へ潜入し学生となったことを報告する。 


「よかろう。では次の策に移る。出でよ、ベイオウルフ!」


 魔王の声が闇の世界にこだまし、暗黒の淵よりうごめく何かが出現しようと黒い舌をチロチロと覗かせる。

 次元の門が開こうとしているのだ。


「ここに──」


 その空間に現れたのは──

 黒い金属のブーツが空間に音を響かせ全身フルプレートの金属鎧に身を包んだ男が現れる。

 いや、男かどうかすらその姿では窺い知れぬ。

 だが溢れ出す妖気がただならぬ者であることを教える。

 漆黒の兜から見える双眸は玉座の主よりも暗い青の炎。

 吐き出す息は人の気を狂わせるほどの瘴気を含む。

 背に背負った大剣は分厚く鉄の塊のようである。

 あまりにも武骨すぎるほど武人の出で立ちであった。


「かつて東の地において神雄と呼ばれしベイオウルフよ」

「ここに参りましてそうろう」


 恭しく蒼炎の前にベイオウルフは膝をつく。


「復讐の時は来たり……華々しい武人であった貴様を英雄の弟が追放し永遠の苦痛に苛まれることとなった。我等共に光に牙をむく者。時は来たのだ」

「時は来たれり!」


 その声が広間に響き渡る。

 闇にうごめいていた者たちが一斉に目を見開いて玉座に数千もの目を向けた。


「世界に破滅をもたらせ!」

「世界に破滅を! 我が王の御ために!!」


 立ち上がったベイオウルフが復唱し胸に手を当て敬礼する。

 暗い青の瞳がアコレーデを一瞥し侮蔑するように笑った。

 ベイオウルフが向けた悪意をアコレーデは表情も変えず微動だにしない。


「アコレーデ、そしてベイオウルフよ。我が尖兵として初陣を果たせ」

「はっ!」

「我が君のために」


 アコレーデは答え冷ややかな目をベイオウルフへ向ける。

 一瞬だけベイオウルフと目が合いぶつかり合う。

 意思が生んだ可視化された殺意という名の火花が散って落ちる。


「小娘の力など不要。我一人で十分」 


 挑発的なベイオウルフを無視してアコレーデは魔本を開く。


「すべてを闇に帰し、光を葬りましょう」


 立ちどころに紫炎が立ち上がって魔本を燃やすが、ページは焼けることなく炎を呑み込んではアコレーデを包んで踊り狂う。

 そして暗黒の空間は閉じられるのだった。



 暗い部屋のベッドでアコレーデは目を覚ました。

 目覚めのまどろみから首を巡らせると銀色の髪が一房落ちて鼻先をくすぐる。

 ここはアコレーデに与えられた部屋だ。

 ベッドとわずかな調度品があるだけの質素な部屋は寒い。

 すぐに起き上がると白い素足で木の床を踏んだ。

 クローゼットを開ければ中には数着の服と新品の学生服が吊り下げられている。

 アコレーデではなくコーデリアとして活動するための服である。

 制服に手を伸ばし制服をベッドの上に投げた。


 貴族の子女が多く集まる学園であるが、生徒は光国が抱える各国の人質のようなものだ。

 と、コーデリアの記憶からアコレーデは推測する。

 リヴェーヌ光国の譜代ではない外様の王家、貴族は加護の力を得るために光国に人質を差し出しているのだ。

 王が変わるたびに与えられた加護は力を弱め、新たな王が与える加護の力を必要とする。

 王は忠誠の見返りに貴族に加護を与え、土地を守る結界の力を強化させる。

 加護の力が弱まれば、結界は弱体化し、辺境に属する国は魔物の侵入を許すこととなる。

 代を重ねた貴族はいくつもの加護の力を背景に権力を握っている。

 婚姻や養子縁組によって加護の力を得て基盤を確かなものにしようとする者もいる。

 ローラン家がまさにそうだ。

 加護の力をコーデリアは持たなかった。

 学園には婚約者がいる。

 その婚約者は利用のし甲斐があるだろうか?


 制服の袖に腕を通す。

 鏡の前に立ちおかしなところがないか確かめる。

 問題ない?

 着方は合っているはず、とくるりと振り向いてスカートの裾を延ばす。

 ドレスの呪文を使えば良いのだが人間の習慣を身につけておかなければ不自然なことになるだろう。

 人前で魔法を見せるのは危険だ。

 何せどこがおかしいのか、そういうこともよくわからない。

 知識の上では間違っていない。

 人間の女は何でこんな動きにくいものを履けるのだろう?

 動くのに邪魔ではないのか?

 つまんでいたスカートを弾き腕を組んだアコレーデは鏡に映る自分の顔を見る。

 腰まである銀の髪は起き抜けでも乱れることはない。

 鏡の自分を見ながら思い出したように呟く。


「そうだ、練習をしよう。人間に溶け込む練習……」


 怒った顔。

 蔑むように見下ろした顔。

 睨みつけた顔。

 どれも邪悪度満点合格の表情である。

 口を歪めて引きつる頬。

 何か違うとさらに表情筋を歪めると、ニィっと鏡の中で笑い返すアコレーデの顔。

 今やっているのは笑顔の練習である。

 眉をしかめる。

 おかしい。

 合っているはずなのに何か違う?

 また笑顔を意識して口元を歪めるが先ほどとたいした差はなかった。


「む……」


 腕を組んで指先を二の腕に打ち付ける。

 完璧なアコレーデにあってはならない不備だ。

 知識の中にある表情のイメージから程遠い結果だ。


「おかしい。笑顔の練習はまた後でいい……」


 ベッドの上の赤い魔本──アコレーデはその本を手に取る。

 それは分厚く手に触れると表紙に刻まれた紋様が光り輝く。

 それはアコレーデだけが読み開くことができる魔本だ。

 白紙のページは絶望を刻むためのものだ。

 魔王でありる父から与えられた力だ。

 この国にどのように闇の勢力が浸透しているのかは不明だ。

 ベイオウルフ以外にも他にも仲間がいると言うが今はそれを知りたいとも思わない。


「”肉体変異の法” コーデリア!」


 鏡の前で手のひらを交差させてその呪文を叫ぶ。

 目を開いたときそこに立つのは銀のアコレーデではなく黒髪のコーデリアの姿だ。

 確かめるように闇色に染まった髪を手で梳く。

 その瞳にアコレーデが宿していた魔力の焔はなく虚ろな無表情さがある。


「まずは情報源を確保する。婚約者は都合がいいか。コーデリアとの差異は困る……むしろ距離を取るべきか? ふむ……」


 多少この国の知識が浅くても帰国子女であれば深くは追求されまい。

 コーデリアには光国に滞在していた数年間の記憶がある。

 幼かった婚約者の記憶は朧気であるがコーデリアが記憶をかなり美化しているようであまり当てにはならなそうだ。

 再度鏡に向き直る。

 どこからどう見ても普通の人間の少女である。

 スカーフのずれを直しスカートを翻す。

 服装の乱れはない。

 寮の部屋から一歩踏み出せばコーデリアとして完璧に振舞わねばならない。

 鞄を持ってコーデリアは扉の「ロック」を解除する。

 そしてふと思い直す。

 確か今日は祭日である。


「……鞄は必要なかった。今日は標的に接触することを目標とする」


 どこに行けば会えるのか不明なままコーデリアは外へ踏み出した。


「コーデリア様? どちらへ行かれますの?」


 校内の花咲き乱れる広場を抜ける前にコーデリアはメルヴィナに捕まっていた。

 メルヴィナ・グランクヴィスト……学園長の孫娘であり、コーデリアのクラスメイトとして隣席することとなった。

 異国より来た客人が困ることがないようにとの配慮らしいが、コーデリアからすればその親切さは邪魔でしかない。

 こうして情報収集を邪魔しているのだから。


「まあ、フフ。どこにいるかはもちろん存じ上げておりますわ。コーデリア様が”あの方”とどのように出会われたのか興味深々ですのよ。そうそう、町で開店したばかりのカフェがあるのですが、わたくしお勧めのシェフが焼き上げたお菓子がこれまた絶妙なのです。食べに行きません? ぜひともお勧めします。コーデリア様も絶対お気に召しますわ──」


 メルヴィナの口は留まるところを知らない。

 欲しい情報だけ話してくれればよいものをメルヴィナの話術にコーデリアは圧倒される。

 考えようではメルヴィナをこちらの情報源にする機会でもある。


「わか……りました。ぜひともご一緒させていただきたく」

「決まりね、行きましょうっ!」


 終始メルヴィナのペースに引っ張られるがままにコーデリアらは町へ繰り出すのだった。

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