第2話 ヒイロの髪の少年

 多くの荷物を積んだ幌馬車が小高い丘を越えると、それまでの農村と畑が広がる景色から一変する。

 光都と称される国の堅固な城壁に囲まれた、港に面した巨大な町が圧倒的な威容を以って、初めて訪れたものの驚嘆を誘う。 


「これがメルヘビナ……」


 記憶にある姿と寸分たがうことはない。

 初めて見たのはコーデリアではない、アコレーデの独白だった。

 この馬車は旅商人のものだ。

 各地を渡り歩きながら行く先々で商いとなる物を捌き、仕入れてはまた別の町で売る。

 彼の夢はメルヘビナに定住圏を得ていつか暮らすことだと言う。

 商人が通行手形を見せ、城門を抜けて馬車は雑踏をゆっくりと進んだ。

 馬車は商工議会の札がかかる建物の前で停車する。

 旅はここで終わりだった。


「お嬢さん、長旅だったなぁ。婚約者がいるんだろう?」 

「ええ……ありがとう。ここまででよいわ。これは謝礼……」

「ふは銀貨かい。お嬢さん、気を付けて行きなさい」


 貴族らしい振る舞いにわずかな貨幣を渡した。

 コーデリアの持つ常識に照らして渡したのだが何かおかしかっただろうか?

 貨幣がどのような価値を持つのか、一般市民としての常識は存在しない。

 森で災難に遭った貴族の娘は旅の途中で何度か追いはぎ強盗に出くわしたが、彼らは襲った相手が何者であったのかを知らなかった。

 そこに出くわした旅の商人が逃げて来た哀れな娘と勘違いして馬車に乗せたのだ。

 コーデリアは降り立ち湖に面した巨大な王城を見上げるのだった。



 光の国リヴェーヌはかつて勇者が救いたもうた希望の地。

 英雄が分け与えし加護の力を受け継ぐ者たちによって守られている。

 王国の未来を担う若者たちがメルヘビナの学園へ集っていた。


「──ようこそメルヘビナ学園へ。当学園はあなた方新入生を歓迎いたします。代表メルヴィナ・グランクヴィストがご挨拶申し上げます」


 学び舎たるメルヘビナ学園の大講堂に少女の声が響き渡る。

 講壇の眼下に居並ぶまだ年若い少年少女らに向けて生徒代表の少女から歓迎の言葉が投げかけられた。

 凛とした言葉で挨拶の言葉を述べたツインテールの少女──メルヴィナの深紅の制服の上着には守護の四聖龍を現わす紋章がある。

 スカートもまた赤で革のブーツを履いている。

 同様の制服を今年入学した数百名の新入生らも身につけている。

 未来の王国の守護を司るであろう生徒らは各地から集められた貴族の子女や縁者で構成されている。

 選ばれし幸福の学び舎たるメルヘビナは王国守護の要たる勇者の末裔を受け入れていた。

 すなわちこの学園に集う者たちは皆が英雄たちの子孫である。

 この地と王国を守る礎となるための教育を受け、新たな加護の力を授けられて旅立っていくのである。


 リヴェーヌ大光国を中心に世界は結界の中に守られている。

 かつて世界を襲った災厄はいくつもの国を呑み込み滅びをもたらした。

 その滅びに対抗した勇者たちが結界を張り、リヴェーヌに光をもたらしたのだ。

 そして数百年の繁栄をもたらしたが、結界の外は魔物が跳梁する暗黒の世界と化した。

 結界の外より来訪する者はすなわち「魔物」とされた。

 その存在がもたらすものは王国にとって常に害をなすものであったからだ。

 辺境には砦が築かれ、魔物と戦うための兵士が配置された。

 人々は願う。

 いつしか伝説の英雄が復活し、世界に光をもたらし闇を打ち払うことを──


「そうはならない……勇者が現れることはない」


 入学式を終えた生徒らが教室に向かう中で一人の少女が呟き足を止める。

 最後の生徒が自分を追いこすまで待つ。

 風が吹きさらりと見事なまでの黒い髪が背中で揺れる。

 コーデリア・ローラン──アコレーデが得たもう一人の仮の姿である。

 身につけた制服は他の新入生同様に新品だ。

 コーデリアは伏せた睫毛を開き澄んだ緑の瞳で白い尖塔を見上げた。

 そして歌うように呟く。


「世界を闇に沈めよう。未来を絶望の色に染め上げろ。我らが目的のために──」


 嗚呼、時は再び動き出すのだ。

 世界の崩壊に向けて──

 その艶やかな唇が笑みを形作る。

 コーデリアの緑の瞳はアコレーデの深紅の瞳へと変わる。


「フフフ」

 

 楽し気に笑い、身をひるがえして踊る。

 日が影を引き伸ばし影法師はお辞儀して舞を終える。

 再びコーデリアは歩き出した。

 講堂に掲げられた巨大な時計の針が時刻を指して鐘をなり響かせていた。



「やっべえ! 遅刻するっ!」


 その日、ヨーン・ノルデンフェルトは遅刻していた。

 今日は入学式で、前日は馴染みたちと派手に騒いで、爆睡し、朝の鐘が鳴っても起きなかったのである。

 下宿先を飛び出し、硬いパンに喉を詰まらせながら初登校中。

 寝癖になった赤い髪は元より跳ねていたが、今日は二はね、三はねして爆発中である。


「あー、くそ。近道しかねえ!」


 路地を曲がり、壁を乗り越え、屋根を走って通りを飛び越える。

 軽快な身軽さで勝手知ったる道を走った。

 地元出身ゆえの特技である。


「待たんか、悪ガキ~!」


 槍持ち衛兵のひげ面が少年を追いかける。


「おっさん、ごめーん。急いでるんだ! 今日から学校があるんだ!」

「ヨ-ン! 貴様の入学祝いをしてやる! 終わったら詰め所に顔を出せ!」

「わかった。後で行くよ!」

  

 ヨーンは頭を下げる仕草で返し学園に続く坂道を駆けあがった。

 白い四つの尖塔がある大きな城はメルヘビナである。

 貴族の城館であったものを改築し今では学園として運営されている。

 光国学園領として独自の裁量権があった。


「初日から遅刻とは豪気だな。ヨーン・ノルデンフェルト君」


 厳格な教官であるルンデール師に捕まり、ヨーンは教室へ連行される。

 すでに他の生徒らは教室に集まっている。

 教師と一緒に入室するのは気まずいものだ。


「ルンデール師は結婚してるんですか~? 指輪ないから独身かぁ。彼女います?」

「口を慎みたまえ」

「あ、はい……」


 ルンデールに軽口をたしなめられ教室へ。

 途中、学園長室が見えた。

 入学前の面談で入ったことがある。

 学園長でありグランクヴィスト侯である老人と緊張しながら面接をした。

 結果は合格である。


 そうでなきゃこんなとこいないもんなぁ……


 向かいの通路から明るい亜麻色の髪を二つ頭の上で結んだ女生徒がもう一人の黒い髪の少女を伴って歩いてくる。

 学園長室前で止まり戸を叩くのを見た。

 ヨーンは気になって足を止める。

 二人はすぐに部屋に吸い込まれて消えた。


「ノルデンフェルト、ぐずぐずするな」

「へーい」

「へーいではない。はいだ。最低限の言葉使いを身につけておくように。ここで庶民言葉を使えば侮られるぞ。貴族の子女が多い学園だからな」

「か、畏ましたで候?」


 ルンデールの無言の視線が飛んでヨーンは首をすくめる。 


「ここが君の教室だ」


 扉が開き、生徒一同からの熱い視線を受けてヨーンは照れ笑いで返すのだった。


 俺の名前はヨーン・ノルデンフェルト。

 一五歳。

 メルヘビナ生まれの下町育ちだ。

 生まれついての赤い髪がトレードマーク。

 親父は戦士だった。

 幼かった頃に死んでしまったので彼の記憶はない。

 お袋は流行り病で去年亡くなった。

 身寄りを無くした俺を育ててくれたのは下町のみんなだった。

 戦士だった親父を慕っていた人たちが面倒を見てくれた。

 身の丈はクマのようにでかいって言われてたじーさんより頭一つくらいは低い。

 まあ、そこそこの高さはある。

 女の子にモテるだろってよく言われるけどまったくそんなことはない。


 この学園に入れたのは魔法……じゃなかった。

 加護なんて全くないのに入学できたのは生まれついての身体能力がすごいという理由だ。

 親父も、爺さんも、その爺さんも体だけは頑丈で強かったらしい。

 加護ってのは英雄が国を守るために選ばれた人間に分け与えた力のこと。

 その選ばれた人間が貴族ってやつで、加護の力は特質次第で炎を使ったり、癒しの力だったりといろいろある。

 特別だから王国を守る戦士として選ばれる。

 町の兵士とかそんなんじゃないぜ?

 戦士になれるやつはごく一握りなんだ。

 伝説の英雄みたく国を守るための守護者として選ばれれば貴族と同じ扱いをされる。

 食ってくのに困る事も無い。

 別に大きな望みがあるわけでもなく、女の子にモテるだろーし、飯食い放題とか最高だろ?

 まー、動機なんてそんなもんさ。  

 親父みたいに強い男になりたい。

 誰かを守る力で誰かを助けたいんだ。

 

「ちーす、ヨーン・ノルデンフェルトっす。よろしく!」


 うお……挨拶したがまったく外しまくっている。

 下町育ちが貴族生まれのボンボンと上手くやって行けるわけねーの。

 ツンツン澄ました連中ばっかじゃねえか……


「平民が栄えある学園によく入学できたものだ。一体いくら積んだのかねえ……」

「あら、そんなにお金持ちなの? そうは見えないけどぉ」


 あーあー、平常心。

 まったく聞こえねえ。 


「ノルデンフェルトはそこの席に」

「へーい」


 新人を迎える好奇心に満ちた目と遭遇する。

 灰色の髪のずんぐり体型の少年だ。


「イオリ・ルンドマルクだ。よろしくな」


 イオリが差し出した手の平には丸い石がある。

 それを握って回転させ手を開くと折りたたんだ紙に変わる。

 植物の繊維から作った紙で儀典用の羊皮紙と違って市場には流通している。


「うわ、なに? 石が紙になった!? すげえ」

「ははー、違うよ。元々これは紙。俺の力で石にした」

「手品師かと思ったぜ」


 ヨーンは紙きれを開く。

 気にするなと走り書きしてある。


「お前いいやつみたいだな。ヨーンだ」 

「バーンハルのイオリだ。出身は?」

「ここだよ。メルヘビナ生まれのメルヘビナ育ち。バーンハルは北町だよな」

「俺は商人の息子さ。ここの連中とは合わん。歓迎するぜ、ヨーン」

 

 イオリが再度差し出した手を握る。

 

「おい、あれ見ろよ」


 突如ざわめく教室。

 イオリが指差した先、教室の入り口に二人の生徒が立つ。


「ルーンデル師、お連れしましたわ」

「うむ、入りなさい。みなの紹介は済ませてある」

「あれ、入学式であいさつした子だよな……後ろの子誰だよ?」

「いや、知らん」


 ツインテールの少女はさっきすれ違ったときの子リスみたいに小さいというのが第一印象だった。

 ヨーンからすればお子ちゃまみたいだが、生まれ持った品格がにじみ出ていて、まさにヨーンが嫌う貴族令嬢といった雰囲気がある。

 その連れである黒髪の少女も見た。

 さっき立ち止まったのも目が離せなくなかったからだ。


「特別編入枠のコーデリア・ローランさん。西のフリジニアのお生まれです」

 

 流れるような黒髪は艶やかで、その佇まいはそこにいるだけで他の存在を色褪せさせる。

 深緑の瞳はまるで宝石のようであった。 

 ふと、目線があったような気がしてヨーンは電撃を浴びたかのように停まっていた。


「コーデリアです。よろしく」


 男たちからは好奇と、女たちからはやっかみの視線を受けて、優雅なお辞儀を披露したコーデリアが答えるのだった。

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