第41話 不器用な馬鹿だから

「や~! あなたって本当に偉い子ちゃんなのね~!」

「…………」


 その日私は、DOTMダークサイドオブザムーンを人質に取られていた。


 いや正しくは猫質と言うべきなのか? 待て、そんな話はどうでもいい。


「……美紀さん、これは一体どういうおつもりですか」

「え? どうって……普通に遊びに来ただけよ?」


 美紀さん実にトボけた表情でそう言うと、またマタタビを片手に猫じゃらしでDOTMのことを翻弄し始める。


「にゃ~う、ゴロゴロ……」


 不味い……このままではDOTMが悪い女に寝取られてしまう。


「そんな訳ないでしょう。美紀さんが私の家に遊びに来たことなど未だかつてないんですよ。いいからまずその玩具を私に預けて話をして下さい」


「え~! 紗希さきちゃんひどーい! 新築祝いで遊びに来た時にペアグラスをプレゼントしたこと忘れるなんて! プンプン!」


「エグいってこの人」


 ワザとなのか天然なのか、いずれにせよ的確に私の精神を抉るノンデリカシー発言に恐怖心すら抱きそうになる。


(そりゃこんな親を間近で見れば楓夕ふゆもいい反面教師だったろう)


 ただ美紀さんは昔から策士と言えるような人ではない……大体彼女は数少ない両家の血筋とは無関係の人である。


 つまり言ってしまえば、彼女は無派閥。


 だのに私の前に現れDOTMを寝取ろうとしているということは、考えられる理由は一つしかない――


「単刀直入に訊きましょう、美紀さん」

「なあに?」

「貴方は湯朝美姫ゆあさみきの差し金ですね」

「? ん~、まあそういうことになるのかしら?」

「意外とあっさり認めるんですね……」


 何ならちょっとイタズラ心で隠してましたと言わんばかりの台詞に、肩透かしを食らいそうになる。

 本当にこの人は緩いの極みだな……。


「では湯朝に行っている――いや、何ならに対しても行われている課題の邪魔をするなと脅しに来た訳ですね」


「私はそこまでのつもりはないのだけど、でもミッキーの意図を汲むならそういうことになるのかしら?」


 全く……まだ楓夕以外の誰にも美姫さんの鼻を明かす話はしていないというのに、まさか筒抜けとはな。


 いや、彼女のことだから私が邪魔してくると想定して手を打ったのか。

 相変わらずとんでもない洞察力だ。


「つまり私が邪魔をしなければDOTMの無事は保証すると」


「もう紗希ちゃんってば、私がそんな物騒なことする訳ないじゃない。ただ毎日遊びに来てDOTMちゃんとの交流を深めるだけよ?」


 それ即ち寝取る訳なのだが……当然美紀さんにその自覚はないだろう。


 そこまで計算に入れて湯朝美姫は私に彼女をぶつけてきているのだから相当タチが悪い、あのババア……。


 思わず煙草を手に取りそうになったが、DOTMの為にそこはグッと堪えると、代わりに禁煙パイポを口に加える。


「しかし……風のうわさでは課題の為に小学生を用意したと聞きましたが、流石にやり過ぎではないですか? 彼らはまだ高校生ですよ」


「用意したんじゃなくて本当に偶然なんだけどね。ただ面倒を楓夕とやっくんにさせようと言ったのはミッキーよ」


「無茶な課題をさせようとしている事実には変わりませんが――」

「私もそれは思ったんだけどー、でもミッキーが言うのよね」


 と、美紀さんは床に仰向けになってゴロゴロ言っているDOTMのお腹を優しく撫でると、こう続けるのだった。


「『これは安昼と楓夕ちゃんにしか出来ないこと。だからこそ、もしクリア出来れば結婚を確約しても良い』って」


       ○


「…………」

「…………」


 今日も今日とて、安昼やすひる詩音しおんと、そして私は琴葉ことはと一緒にいた。

 場所は近所の公園であり、安昼達はブランコで遊ぶ中、私達はベンチで日光浴。


 と言っても現実は詩音が安昼に懐いて遊びたがるからであり、必然的に私と琴葉が一緒にいなければならないだけなのだが――


(とはいえ、同じ過ちを繰り返す気は毛頭ない)


 これでも夜更かしをしてどう話をするか考えてきたのだ。


 彼女の根底にある不安を見つけ出し、触れる為に。


「はぁ……もう帰ってもいいですかね」

「別に私がいなくなる訳ではないが、それでもいいなら構わんぞ」

「……いてもいなくても変わらない気がしますけど」


「まあな。だがもし何かあった時、私はお前の母親に顔向けが出来ない」

「――……」


 だからいてもいなくても、一応役割はあるんだよと言った私に、琴葉は少し目を丸くしたがすぐに表情を元に戻す。


「なんか、今日はずいぶんとナマイキですね」

「まあ調整が合ってきたからな」

「……バカなくせによゆうを見せないで下さい」


「残念だが馬鹿だからこそ学習してアップデートするんだ。中途半端に賢いと学習もしないしアップデートも出来なくなるぞ」


「……私のことを言っているんですか」

「そのつもりだったのだが、馬鹿の言葉は分からなかったかな」


 それに対し琴葉はムっとした表情を見せたが、私は悪戯な笑みを見せる。


 きっと安昼はこうして欲しかった訳ではないと思うが、これは琴葉の立場になって私なりに対応法を考えてみた結果である。


 私もそうだったが、言葉でぶつかってくる相手には強いが翻弄してくる相手には滅法弱いのである。


 その結果つい口を滑らせる――タイプは違うが、私が安昼相手に随分と口を滑らせてしまったように。


 現に、琴葉はこんなことを言い始めた。


「……バカになれるなら、その方が良かった」

「まあ男は馬鹿な生き物だからな、自分が馬鹿でいられなくなる気持ちは分かる」

「え?」


 砂場で泥んこ遊びをして笑う安昼と詩音を見ながら、私はこう続ける。


「だから自分の苗字を『雨夜』にしたのだろう?」

「! ――……」


 幾ら両親が離婚したとはいえ、姉弟の苗字が湯朝と雨夜で違うのは妙な話だ。

 つまり何か特殊な理由を除けば、琴葉が自称しているだけの可能性が高い。


 ではそんなことをするのか。


「体たらくな父親がいなくなり、一人忙しく働く母親、誰が頼りない弟を守るかと言えば、自分しかいないものな」


「――それは」

「だから琴葉は決意の為に雨夜を名乗っているのだと思った」


 溢れそうになる不安や甘えを押し殺す為に、母親の姓を拠り所にする。

 もし同じ立場なら――私もそうしていたに違いない。


「…………」

「見上げた自己犠牲だ。小学生なのにしっかりしている」

「……別に、そんなつもりはないし」

「だが自分で全てどうにかしようと思うのは賢いとはいえないな」

「は……?」


「悪いが世の中は自分一人でどうにかなることが少ない、ましてや弟を守るとなればどう足掻いても限界はある」


 もっと言えば小学生には本来無理だとも言えたが、彼女の自尊心を折る気はないのでそこは口にしない。


「なら、私は何もするなとでも言いたいんですか」

「そうは言っていない」

「じゃあ会って間もないあなた達に頼れとでも」

「ポっと出に現れた男女二人に大切な家族を委ねるのは厳しいだろう」

「だったらあなたは――」

「だから」


 と、私はベンチから立ち上がり琴葉の方に向き直ると、ワザとらしく跪いてこう言ったのだった。


「もっと私と安昼を利用しろ、その為に私達はいるんだ」


 頼れと言っても頼れないことぐらいは分かっている。何せこいつは天邪鬼な昔の私だから。


 だったら、使い潰して捨てるぐらいに思って貰う方が丁度いい。


 ただ、あまりにも無能感が過ぎるとそれ以前の問題として見られ兼ねないので、言うことは言わせてもらったが。


「……でも、いつまでも利用出来る訳じゃありませんし」


「ならばウチの住所と電話番号を教えよう。いつでも用があれば呼び出すといい。それでもし連絡がつかなかった時は安昼の母親に取り次げ、きっと私達の首根っこを掴んでお前達の前まで連れてきてくれる筈だ」


「……楓夕さ――何故、あなた達はそこまでするんですか」

「親戚が困っているのに、何もしないでいるのは癪だからな」


 何より、昔の自分に似た子が不安でいるのに何もしないのは、いくら腹が立とうと、一晩考え抜こうと、私には出来ると思えなかった。


 何せ、不器用な馬鹿は絶対にやらかすからな。


「…………」


 ただそこまで言った甲斐はあったのか、あれだけ警戒心をむき出しにしていた琴葉はようやく若干頬を緩めてくれる。


「……分かりました。ならあなた達をこうかいするまで使ってあげます」

「それは良かった。だが雨夜はしつこいぞ、簡単に後悔させられると思うなよ」

「利用される側が何を言っているんですか、それに――」


 と、琴葉はすっとベンチから降りると跪く私に手を差し出してくる。

 当然ながら私はその手を取ると、彼女はこう言うのだった。


「私も、同じ雨夜ですから、かくごして下さい」

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