第35話 哲学的に好きだから
「…………」
「……?」
その日の
いや、正確に言うとここ数日その傾向はあったのだけども、今日は一際落ち着きがないように見える。
(もしかしてまた猫を――? いや、それはないか)
何せ楓夕は
無論それは雨夜先生に猫の飼育法を教える為――というのもあるけど、DOTMを愛でに行く為でも勿論ある。
それに、仮にもう一匹となれば流石に相談をしてくるだろうし……。
ただ、この落ち着きのない感じ、妙な既視感が――
しかしどうにも訊けずじまいのまま、俺は楓夕と買い物袋を片手に夕暮れの坂道を歩いていた時だった。
「あ、ああ~……こけてしまったー」
突如楓夕が棒でしかない台詞を口にしたかと思うと、その場でゆっくりと転んでしまったではないか。
「へ? ふ、楓夕?」
しかも倒れた衝撃で買い物袋から林檎が飛び出し、坂を転がる事態に。
な、なにゆえそんな奇妙なことを……と一瞬思ってしまったが、本当に転んで怪我をしていたら全く笑えた話ではない。
故に俺はすっと身体を屈めると楓夕に両手を差し出した。
「え? や、
「怪我してないか? 動くと良くないから俺に掴まれ」
「いや、だ、大丈夫だ。別に痛くはない……し」
「でも後から痛みが来るかもしれないだろ、そういう時に無理して歩いたら悪化するかもしれないし」
「う、うむ……だがこんな場所でお姫様抱っこは――」
「あ、そ、それはそうか……」
少し恥ずかしそうにする楓夕に、俺はハッと我に返る。
いかん、もし一大事だったらと思うとつい熱が入ってしまった。
ううむ……よし、ならここは。
と、俺は一旦手を引くと、今度は楓夕の目の前に移動して腰を下ろす。
「……?」
「おんぶなら別に問題ないだろ?」
「あ……それは確かにそうだが、でも――」
「家までそう遠くはないし、多分疲れないと思うから」
「……悪いな安昼」
楓夕はそこでようやく買い物袋を俺に渡してくれると、すっと背中に乗る。
とはいえ、もし俺が非力過ぎて歩けなかったらどうしたものかと若干危惧したが、楓夕は思っていたよりもずっと軽く、簡単に立ち上がることが出来た。
その時、ふと懐かしい感覚が頭に過る。
「何か……楓夕はずっと変わらないな」
「む、それはマセガキという意味か」
「いや、内面は最初から大人な気がするけど……」
「なら体型だな」
「そういうことになりますけども……」
流石に全く変わっていないということはないのだが、小さい頃俺と楓夕の身長は殆ど同じだったのである。
それが今となっては20センチ差。当然そんな楓夕が可愛いのだが、彼女を背負うことでそれを如実に感じていた。
「いいか、それは安昼が大きくなり過ぎただけだ」
「一応これでも平均ぐらいなんだけどなぁ」
「……そうか、やはり小さいのではご不満だと」
「いいや? 俺は楓夕という存在が好きだし、それはないけど」
「存在……? 前は全部と言ってなかったか?」
「確かに全部とは言ったけど、より正確に言うと存在かな」
全部と言ってしまうとあれもこれも好きとりそうだが、そういう次元の話ではなく、俺は『雨夜楓夕』が好きなのである。
例えるなら、小さいから楓夕が好きなのではなく、楓夕が小さいから好きとでも言うべきか。
「……つまり哲学レベルで好きだと、どうしようもない主だな」
「でも紛れもない事実だからなぁ」
「全く――だが、私もそういうお前が好きだから、仕方がないな」
楓夕はそう小さく呟くとポンと顔を背中に当ててくる。
「……すまない安昼」
「全然いいって、今日は俺が家事をするから、楓夕は休んでて」
「え、さ、流石にそういう訳には」
「いやいや、楓夕よりずっと大きくて暇を持て余してる男が、こんな時に頑張らなくていつ頑張るんだよ、偶にはいい格好をしないと」
「安昼……分かった。そこまで言うなら」
「どういたしまして」
そう言うと俺はゆっくりその場にしゃがみ込み、林檎を一つ手に取った。
○
『まず最初は、安昼の頼もしさ度を量ります』
安昼が私の彼氏(妻)として相応しいか試すテストとして、美姫さんが最初に出した課題はそれだった。
というのも雨夜は
要するに、雨夜が窮地に陥った際湯朝はただの赤子同然となってしまう。
だからこそ雨夜が湯朝を支えるだけではなく、時には湯朝が雨夜を支えることでより強固な関係性を生むことが必要だと美姫さんは言っていた。
『昼夜でしか摂取できない栄養があることを、私に見せてみなさい』
(最後の台詞だけは意味が分からないが……しかし尤もな話ではある)
少し前までは安昼に自立しろなどと言ったものだったが、あんなものはただの照れ隠しに過ぎない。
現実は好きが余ってついつい何でもしてしまってばかり。だがそればかりではいけない日は必ず訪れる。
だからこそ私は美姫さんの指示に従いコケる芝居を打ったのだが――
「今の所、私から見れば十分安昼は頼もしい」
何なら安昼の背中は大きくて、心穏やかになったまである。
「まあ……本音はお姫様だっこの方をご所望だったけども」
「ん? 何か言った?」
「ああいや! な、何でもない!」
「?」
私は台所に立つ安昼に必死に手を振って誤魔化す。
いけないいけない……これは遊びではないのだ。私と安昼の輝かしい未来を創造していく為の大事なテスト。
寧ろ本当に重要なのはここから。
正直、私は安昼が料理をしている所を一度もみたことがない。
それに美姫さんも安昼の料理スキルは必ず見る筈。料理が出来ないというだけで落第点を付けられる可能性も十分にある。
だが私は当然として、美姫さんも料理を教えていないとなれば――
そう思うと、急激に不安ばかりが頭を過り始めた。
「だが、いざとなったら私が――」
「よーし、楓夕の為に頑張るぞ!」
こうして湯朝料理王決定戦が幕を上げたのだった。
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