第33話 ダークサイドオブザムーン教

「にゃーん」


「…………猫?」


 次の日の休日、俺と楓夕ふゆはとあるお宅にお邪魔をしていた。


 その家は今俺達が住んでいる家から然程遠くない場所にあり、歩いて約10分もしない程度の距離、しかも真新しい一軒家である。


 ただ一説によればこのマイホーム、その昔結婚を目前に控えた相手に逸る気持ちが抑えきれず、強行して建てた結果逃げられ残った家なのだそうな。


 その際雨夜家の人間に『お前は許嫁になっていても捨てられていただろうな』と呆れられた伝説があるのだけど――その話はさておき。


雨夜あまや先生、実は折り入ってご相談があるのですが」


紗希さきさん、黒猫がもたらす幸福をご存知ですか」


「え、何? 宗教の勧誘?」


 俺達は今雨夜先生の家に来ていた。無論目的はダークサイドオブザムーンに里親が見つかるまでの間、一時的に預かって欲しいお願いである。


「というか、楓夕ふゆに話を聞いてもはぐらかすもんだから、いよいよ男の陰があるなと私はウキウキしていたというのに……よもや猫とはな……」


「この教師……」


「残念ながら私は紗希さきさんのように付き合ったら愛が重過ぎる癖に、別れたらすぐ他の男に目移りするような軽い女ではありませんので」


「親戚の娘にここまで言われることある?」


「少しは私のように許嫁の範疇を超えて一人の男性を一途に愛し、生涯を尽くすくらいの気概を持ったらどうですか、見える世界が変わりますよ」


「いやお前も大概重いからな、血は争えんことを言うな」


 ふんすと薄い胸を張る楓夕ふゆに対し、呆れ果てる雨夜先生、そして猫を抱えたまま少し気恥ずかしくなる俺、なんだこの構図は。


 しかも雨夜あまや家は遺伝的にどうやら愛が重いらしい、楓夕は別にそうでもない気がするけど……いやまさかね。


「って、そうじゃなくて。あの、先生にはご迷惑をかけて申し訳なかったんですが……それを承知で更にお願いがありましてですね……」


「まあ言わんとせんことは大体分かる。要はお前達の家でペットは飼えないから私の家で預かって欲しいと言いたいのだろう」


「そ、その通りでございます……」


「全く……動物を飼うというのはそういうことも含めてだと私は思うがな」


「言い訳のしようもございません……全ては俺の責任です」


 元を辿れば、今の家に決めたのも朝がルーズになりがちな俺の負担を減らせられればと楓夕ふゆが配慮してくれたからなのだが、本来自分がズボラでなければする必要はなかった話なのである。


 第一楓夕が猫好きなのは百も承知なのだから、自分がしっかりすると言って少し遠くても彼女の為にペット可の賃貸を選んであげるべきであった。


 そうすれば楓夕ふゆにこんな思いをさせずに済んだのに……と、俺は平謝りを繰り返したのだが――唐突にずいっと楓夕が割って入ってきた。


安昼やすひるは何も悪くありません、全ては許嫁でありながら私欲を優先した私が悪いのです、ですので叱るのであれば私を叱って下さい」


「いや違います、楓夕の主になる男として楓夕の気持ちを汲んであげられなかった俺が悪いんです、だから楓夕は何も悪くありません」


「何を言っている安昼、家のことを全て把握しないまま身勝手なことをし、お前にもダークサイドオブザムーンにも迷惑をかけたのは私だ」


楓夕ふゆに迷惑をかけられたことなんて一度もないよ、幸福ならいっぱい貰ってるけど、何なら俺がもっと楓夕に幸せをあげないといけないのに」


「馬鹿なことを、幸せなら私もいっぱい貰っている。いつもどうすれば私が喜んでくれるか夜な夜な考えているのは知っているのだからな」


「それだったら俺だって楓夕が――」


「私だって――」


「お前ら私の前でイチャつくのは止めろ、ガキ相手でも嫉妬するぞ」


 そんな小競り合いをしていると雨夜先生がチョップで俺と楓夕の頭を小突き嗜めたので、ハッと我に返った俺は慌てて先生へと向き直った。


「す、すみませんでした……お見苦しい所を」


「因みに私は全く同じ立ち位置でガチ喧嘩をしたことがあるがな」


「へ?」


「まあそれはいい、ふうむ……にしても猫、ねえ……」


「にゃうん」


「う……」


 雨夜あまや先生は俺の抱えているダークサイドオブザムーンに顔を近づけると、甘い声をあげて先生を誘惑する、ホントこの子は人懐っこいな。


「こ、コホン……しかしだな、私もそこまで暇ではないのだ、成猫とはいえあまり構ってやれないのはこの子にとって良くな――」


「ふ――紗希さきさんはこの子を飼う2つのメリットを理解していませんね」


「2つのメリット……だと?」


 雨夜先生はどうにも迷った表情を見せていたのだが、それを好機とみたのか、明らかに目をギラリと光らせた楓夕が突然そう切り出した。


「どういう意味だそれは」


「いいですか、まず1つ目はお金が貯まります」


「おいおいまさか本気で招き猫とでも言いたいのか、それは幾ら何でも――」


「違います、このダークサイドオブザムーンを飼うことはシャクラーの設定6を打つより費用対効果があると言いたいのです」


「何……? シャクラー……よりも……?」


 その言葉を聞いた瞬間雨夜あまや先生の瞳がぐっと見開く、え? 何で急にギャンブルのお話をしてるの?


「因みにですが紗希さきさん、先月はいくら負けましたか」


「さ…………30万」


「はい!?」


 さらりと告白された雨夜先生のギャンブル狂具合に度肝を抜かれる。え、何この人、毎月エリートサラリーマンの月給くらい負けてるの……。


「それはまた実に哀れなものですね」


「う……だ、だが仕方ないだろう。あのAGOGOランプは脳を狂わせるのだ、ただ光っているだけだというのに……シャク連なんてした日などもう……」


「ふむ、確かにあの台はシンプルながらに実に良く出来たものだと思います、否が応でも脳汁が出るのは無理もありません」


「あの全然ついて行けないんですけど」


 そういえば以前楓夕ふゆにパチンコボケを食らったことがあった気がするけど、何であんな詳しいのかと思ったら先生の入れ知恵だったのか……。


 というか未成年になに自分のギャンブル事情を話してるんだこの人は。


「ですがこの子はその10分の1の費用で、そんな光より100億倍の心の安寧を得ることが出来ます、良ければ抱っこしてみて下さい」


「何を、そんな馬鹿な話がある訳――……ぐっ」


「にゃーう」


 楓夕に促されて俺はダークサイドオブザムーンを先生に渡すと、この子はすっぽりと先生の腕の中へと収まり、何ならふみふみまで起こし始める。


 いやダークサイドオブザムーン凄過ぎん? 自分の可愛さを熟知し過ぎだろ。


「はっ……わっ……か、可愛い……」


「ふふ、動物は機械と違って無償の愛をくれるのです。それを知ればいずれ紗希さきさんもこの子をもっと大切にしたいと思う筈、きっと煙草、お酒も控えることでしょう、そうすればあら不思議、お金が何故か溜まっていくのです」


「い……言われてみれば……」


 楓夕ふゆの猫布教にあの雨夜先生が押され始めている、するとここがトドメだと言わんばかりに彼女はこんなことまで口にし始めた。


「そして2つ目ですが――動物が好きな女性は男にモテます」


「なん――!」


「何故か、自分のありのままの姿を動物の前で見せてしまうからです、そんな可愛らしい姿を男性が見たらどう思いますか、最早言うまでもないでしょう」


「た、確かに……」


「因みに安昼はよく私が動物を愛でる所が可愛くて好きと言ってくれます、私達の関係性に動物が一役買ってくれているのは言うまでもありません、まさに恋のキューピット的存在、お分かり頂けましたか」


「ぐ、ぐうの音も出ないな……」


 最早ダークサイドオブザムーン教の教主様と化した楓夕ふゆに若干引いてしまうが、完全に猫の魅力に取り憑かれてしまった先生はそう言いながら今まで見たことのない蕩けた顔で黒猫の頭を撫で尽くしていた。


 ――あ、確かに今の雨夜先生は可愛いかもしれない。


「ただ……これは申し上げた通り私が招いた失態です。なので決して無理にとは言いません、その際は他の方法を考えますので――」


「――……いや待て楓夕、私とて悪魔ではない、事情はどうあれ、この子を不幸にさせる選択肢などあってはならないだろう」


「! と、ということは――」


「別に誰が悪い話でもあるまい、それに従兄妹のお願いなのだしな、私で良ければ、預からせて貰うとしよう」


「よ、良かった……」


「ありがとうございます……雨夜あまや先生」


 きっと猫を飼うことのメリットを説かれたから、という理由だけではないと思うが、雨夜先生が承諾してくれたお陰で楓夕はほっと胸を撫で下ろす。


 ……きっと楓夕ふゆは自分の中で凄く責任を感じてしまっていたのだろう、ましてや雨夜先生の痛い所を突くことで強引に進めようとしていたのも事実だし、心が傷まないと言えば嘘になる筈。


「…………」


 とはいえ……俺も主として彼氏として、もう二度とこんな思いはさせないようにしないとな、と自戒の念を込めながら楓夕の頭にぽんと優しく手を置くと、瞳を潤ませた楓夕が恥ずかしそうに俺の方を見ていた。


「では――後日ダークサイドオブザムーンに必要な物の残りは全て持ってきますので、重ね重ねこの度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 そう言って俺と楓夕ふゆは頭を下げ先生に謝罪。かくして、怪奇現象から始まった猫騒動は一件落着となったのであった。




 因みに後日談として週明けから雨夜先生は信じられない速度で毎日仕事を早く終わらせるようになり、教師仲間からのパチスロや飲み会の誘いを全力で振り切って帰るようになったのだとか。


 ダークサイドオブザムーン教、恐るべし。

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