第32話 月の裏側で気遣い愛

「むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ…………」


 その日の夕方、通学路にて。


 俺は周囲にいる同級生の視線など目もくれずにうんうんと唸りながら、ひたすらスマートフォンの画面を眺め続けていた。


 まさか本当に楓夕ふゆが……? しかしあの百戦錬磨の振られ女王にして、今はパチスロと煙草とお酒に3股をかける雨夜先生の言うこととなれば、あながち嘘とは……いや先生の願望の可能性も大いにありそうなんだけど。


 因みに今俺が見ているのは『女性の浮気はここを疑え!』的なネット記事、画面を滑らせれば滑らせるほど、楓夕に該当する点が見え隠れを繰り返し、複雑な気分が徐々に膨れ上がっていく。


「ううむ……でもそうなると怪奇現象の説明がつかなくなるしな……」


 何せ楓夕の様子がおかしくなったのは間違いなく怪奇現象が境なのだ、しかしオカルトと断定してしまうといよいよ自分の手には負えなくなってしまう。


「取り敢えず、今日中に先生から楓夕ふゆに話は聞いてくれることになっているし、自分の身の振り方はそれから考えるとしよう……」


 そう独り言を呟き、自分の至らなさに深く溜息をつくと、俺は鍵を取り出して解錠し、玄関扉をゆっくりと開ける――


「ただいまー……――――ってぇ!?」


 と、楓夕が作り上げてくれた愛の巣が、まるで雛鳥を襲うカラスに荒らされたのかと言わんばかりに酷い惨状になっており、思わず俺は声を上げてしまった。


「オーマイ、フ◯ッキン、ガッシュ……」


 まさか泥棒に入られたのか……? と一気に警戒心が高まるが――しかしよく見るとそれにしては貴重品が入っていそうな棚や箪笥が荒らされていない。


 荒れているのはティッシュや雑誌、後はカーテンやクッションといった類ばかり、ぐしゃぐしゃではあるが泥棒にしては地味というべきか……。


「ポルターガイストさんがご乱心したにしても半端……だよな……」


 そう思いながら家の中へと足を踏み入れ、いざとなったら、と筆箱からカッターナイフを取り出すと、俺は恐る恐る貴重品の仕舞ってある箪笥へと近づく。


「ゴロゴロ」


 無意識の内に自分の喉が鳴る音が聞こえてくる……人というのは極度に緊張するとこんな音を鳴らしてしまうのか――


 ……いや、ゴロゴロだって?


『バリバリ』


 待て待て、流石にバリバリはおかしいだろう、それは最早四肢が引き千切れてるから、いよいよ展開が洋画のホラーになっちゃってるから。


 けれどその音は間違いなく聞こえてきており、よく耳を澄ますとそれは背後からひっきりなしに流れてくる、振り返ってみるとそこは洋室だった。


 僅かに扉が空いている――俺はそろりそろりと近づくと……そっと中を覗いた。


 すると、西日に照らされ床で蠢いていたのは――――!


「にゃう」


 おわかりいただけただろうか。


「猫やないかい」


 何処からどう見ても黒い猫が、俺の教科書をバリバリに破いているではないか。


 そういえばいつしか楓夕ふゆが黒猫は不吉の象徴として形容されがちだが、日本では福を運ぶ象徴らしく、かの有名な配送業者もそういう意味合いで付けたと言っていたのを思い出す、しかも意外に人懐っこい性格なのだとか。


「――って、そんな豆知識は置いといて。おいコラ駄目じゃないか、ただでさえ勉強が出来ないのに教科書が無くなったら完全に馬鹿になっちゃうだろ」


「にゃあん」


 俺は猫カフェで培ってきた抱きかかえ技術でその黒猫を持ち上げると、楓夕の情報通り特に抵抗されずにすんなり捕獲に成功する。


「全く、にしても一体何処から入って来て…………ん?」


 そうぶつぶつと言っていると、ふと黒猫の下腹部に荘厳な佇まいを見せつけながら揺れ申す金のお玉様が二つぶら下がっていることに気づいた。


 その瞬間、頭に電気のようなものがビリリと走る。


「怪奇現象……おかしい楓夕ふゆ……浮気……男……いや、オス……?」


「いにゃん」


 もしかしてこれって――


「!」


 その瞬間背後でドスンと何かが落ちる音が聞こえたので振り向くと――そこには血の気が引ききったのかというくらい青白い顔をした楓夕が立っているではないか。


楓夕ふゆ? だいじょ――」


「う、うう……や、安昼やすひる…………す……ずまない……!」


「へっ!?」


 別に俺は何一つ怒っていないというか、寧ろ安心したくらいの気持ちで楓夕を迎えたつもりが、あの楓夕が目に涙を浮かべ膝を付き本気の謝罪をし始める。


 楓夕ふゆが泣くなんて恐らく産声を上げた時以来なんじゃないかという超貴重な映像に、早速黒猫が福を運んできてくれたとニヤけてしまいそうになるが、当の本人は至って真剣なので強引に口角を引っ張った。


「わだしは……安昼どいうものがありながら……」


「いや落ち着いて楓夕ふゆ、全然怒ってないから」


 というか怒る理由がないんだけども。


「だ、だが……一緒に帰るのもすっぽかし、安昼とのデートまで拒否して――わ、私は許嫁としてあるまじき行為を何度も――」


「別にそんなの気にしてないんだけどなぁ」


 それに、それがこの黒猫の為にしたと言うのであれば仕方がないと言える。寧ろ俺にかまけてこの子を放置していたらそれこそ怒っていただろう。


「何より――俺はお陰で更に楓夕が好きになったと言ってもいいんだけど」


「……? な、なぜゆえに……」


「正直に言うと、楓夕ふゆの行動が変なのは分かってはいたんだけど――でもその分懸命に穴埋めをしようとしてくれていたのは知っていたから」


 一緒に帰る時間が減った分、夕食を豪華にしてくれたり、デートが出来ないなら近くの公園に散歩に行こうと、彼女から誘ってくれたり。


 楓夕ふゆはこの子を中心に据えざるを得ない生活になっても、俺を蔑ろにしたりは一切なかったのだ、だから雨夜あまや先生に変な入れ知恵をされるまでは楓夕のおかしさに心配こそすれ不安に思うようなことは一度もなかった。


「それにこの黒猫の毛艶を見れば分かる、きっと俺も毎日楓夕にこれくらい想って貰えてるんだなって、なら一層好きにならざるを得ない」


「! お、お前という奴は……」


 そこで楓夕がようやく耳を赤くしてそっぽを向く、腫らした目と相まって激昂しているようにも見なくなかったが、無論そんな筈はない。


「因みにだけど、この子は拾ってきたんだよね」


「あ、ああ、それは勿論……ダークサイドオブザムーンはその、ベランダで洗濯物を干していた時に――」


「えっ、ダーク……?」


 思わず抱えていた黒猫と目を合わせて絶句しかける、お前そんな癖が凄い名前つけられていたの……『月の裏側』て。


 楓夕ふゆの中々に破滅的な名付けセンスにどうしたものかと思ったが、ここでそれを突っ込んだ所で意味はないので黙っておくことにする。


「無論駄目だと分かってはいたんだ……でもあまりに懐いてくるものだから我慢出来なくなって、つい……」


「そうか……だから他の匂いがつかないよう猫カフェは絶って、音に敏感な猫に負担をかけないよう、掃除の時はいつも俺に外へと出るように言っていたと」


 動物を飼う上で生半可な気持ちは論外、それは彼女が常々口にしていることで、いざ自分がその立場になった時彼女はそれを忠実に守ったということ。


 そういえば――と、よく物音が聞こえてきた場所に視線を送ると、押入れが開いており、衣類が仕舞ってあるだけな筈の中身が豪華な猫部屋に変わっている。きっと猫がストレスにならないよう最大限の配慮をしていたのだろう。


「――でも、それなら言ってくれれば良かったのに、確かに言い出しづらいのは分かるけど、俺が楓夕の言うことに反対する訳ないじゃないか」


 まあそれで本当にガチガチの大男を連れてきて『この人とも一緒に暮らしたいんだ』と言われたら反対する以上にパニックになるけども。


 しかし首を横に振った楓夕ふゆから出てきた言葉は意外なものだった。


「気づいていないかもしれないが……私がカフェで猫ちゃんと戯れている時、結構な頻度で疎ましそうな顔して『ずるい……』って言っているから」


「えっ? ま、マジ……?」


「私だって馬鹿なことを言うなと最初は思っていたが、あまりにもそんなことを言われては、や、安昼やすひるに愛を注いでないみたいじゃないか……猫にばかり気がいっているとも思われたくなかったし……」


 なんてことだ……まさかそんなことを無意識に口走っていたとは。


 そりゃ当然楓夕ふゆに撫で撫でとかして貰いたいけども、猫カフェに通い過ぎた結果そんな嫉妬まがいなことを言っていては萎縮されても無理はない。


 楓夕に見合った主にならないといけないのに……これは大いに反省である。


「ごめん楓夕ふゆ、そんな気を遣わせているとは思っていなくて……」


「いや……私も安昼やすひるを不安にさせてしまって申し訳なかった」


「いや俺が」


「いや私が」


 付き合っているというのに相変わらずお互いの気遣い合いが半端ではなく、思わず吹き出しかけてしまうのだが、そこで楓夕が「あ」と声をあげた。


「? 何?」


「実は――安昼に言い出せなかった理由がもう一つあって――」


「もう一つ?」


「その……このアパート……ペットが禁止なのだ」


「……へ?」


 それは……俺と楓夕ふゆの問題以前にシンプルにアウトな奴ではないか……何ならひた隠しにした理由はそれ以外に無いとさえ言える。


「私もダークサイドオブザムーンを迎え入れて数日後に契約書を見直していて気がついて……でもその時にはこの子の環境も整えてしまったし、かといって今更野生に帰すなんて無責任なことも出来ないから……」


「う、うーん……困ったな……保護猫として里親を探すという手もあるけど、そもそも飼っていい環境じゃない訳だし……」


「本当にすまない……迷惑をかけてしまって……」


「そんなことはないよ、でも何処か預けられる場所は――……あ」


「? ――……あ」


「にゃう?」


 俺の閃きに楓夕ふゆが疑問符を頭の上に浮かべるが、その後すぐに意図を理解したのか、同じような反応をするとポンと手を叩く。


 二人共きっとこれなら大丈夫だ、と思った訳ではないのだけど、ここはあの人に預けるのがベストなんじゃないかと思ったのである。


 主に私生活的な面において。

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