倦怠期?

第31話 取り憑かれた楓夕

 短いようで短い夏休みが終わりを告げ、あれだけ弛んでいた気持ちもいつの間にか消えて無くなる9月の下旬。


 半ば強引な両家の提案によって始まった新居生活は、引っ越した当初と比べると大分落ち着いた様相へと変わり始めていた。


 とはいえ、そこはテストと称した同居生活があったことが大きな助けになっていたのは紛れもない事実だし、何より俺の彼女こと楓夕ふゆ雨夜あまや家で培ってきた経験を遺憾なく発揮してくれたことが大きいだろう。


 全く楓夕には感謝しかない……しかもこんな幸せでしかない日々を送れているのだから、果たしてこれ以上何を望むことがあろうか。


「ああ……俺はいつかバチが当たってしまいそうだな」


 そんな惚気全開の言葉すらつい口から漏れてしまう程なのだが――実は最近それが現実になろうとしているのではないかと危惧しているのである。


「――……? 何か今物音がしなかったか?」


「? ただの隣人の生活音だろう」


 というのも――引っ越してきてまだ1ヶ月しか経っていないこの家で、ここ1週間妙な怪奇現象が起こっているのだ。


 ガサガサとゴトゴトと、ほぼ毎日のように物音が、しかも時間を問わずに聞こえてくる、確かに楓夕ふゆの言う通り最初は生活音だと思っていたが、隣に住んでいるのは社会人の一人暮らしの女性で、日中はほぼ不在なのだとか。


 しかも――起きている問題はそれだけではない。


「おかしい……また散乱している……」


 俺と楓夕は洋室に二人並べて勉強机を置いているのだが、机の上に置いてある筈の教科書や文房具が頻繁に床に散らばっているのだ。


 これが俺だけならまだ自分のズボラさが要因だと言えるのだけども、几帳面な楓夕の教科書まで及んでいると話が大きく変わってくる。


「まさかとは思うけど――」


 これは所謂いわく付き物件という奴で、心霊特集となれば王道とも言うべきポルターガイスト現象なのではないかと思わずにいられなかった。


 よもや楓夕ふゆとの愛の巣が幽霊に占拠されていたなど、全く笑えた話ではない。


「でも……だからこそ怖がりな楓夕を全力で守れるチャンスとも言えのだけど」


 いや幽霊を出汁にして楓夕に彼氏らしさを見せている場合じゃないだろうというのは重々承知ではあるのだけども。


 ただ――そんな甘い話でもないのが今回最大の問題なのである。


「本当にこの家、大丈夫なのかな……」


「何を馬鹿なことを、安昼は新しい生活に少し疲れているだけだ」


「へ……? いや別にそうでもな――」


「ふふ、それとも案外安昼も怖がりだったりするのか? 全く仕様のない主だ、今日は一緒の布団で寝てやってもいいんだぞ」


「あ、はいそれは絶対――じゃなくて、いやじゃない訳でもないんですけども」


 全く怖がっていないのである。


 それどころか飄々とした笑みを浮かべて何を言っているんだこのピュアボーイは、可愛い奴めと嘲笑われる始末ときたもの。


 クールなお姉さん的な雰囲気を醸し出す楓夕も好き以外の何者でもないのだが……しかしこれが普段の彼女なのかと言えば間違いなくそうではない――


「あ、それならお風呂も一緒に入りたいですね」


「そうか、なら今日は100回追い焚きをしておくとしよう」


「冗談でした」


 おまけにこんなこと言っても怖がらないは元より、殆ど恥ずかしがりもしない楓夕ふゆに俺の疑問はますます増えていくばかり。


 一体何がどうなっているのかと、俺は楓夕の作ってくれた特製唐揚げと一緒に御飯を口の中へと運んでいると……また背後で物音が聞こえてきたではないか。


「! いま物音が――!」


「安昼!」


「へっ!?」


「お弁当が――口元に付いているぞ、私の料理をいつも美味しいと言ってくれるのは嬉しいが、がっつくのは良くない。もう安昼一人の身体じゃないんだ、よく噛んで自分の胃腸を大事にしてくれ」


「え――……楓夕好き」


「私も好きだぞ、安昼」


 振り向こうとした顔を乗り出してきた楓夕に両手でロックされると、口元についていたご飯粒をひょいと取られて自分の口へと運ばれてしまう。


 そして男役トップスター顔負けの爽やかな笑みを見せ、そんなことを言われる俺。え、やだ……何で私こんなにトキめいているの。


 いや待て落ち着け、確かに俺は楓夕がどんなキャラであっても好きでいられる自信しかないけども、今の楓夕ふゆはどう考えても普通ではない。


 まさかこの怪奇現象宜しく楓夕は取り憑かれてしまったとでも……? お、おのれ……俺の彼女を精神的に寝取ろうなどいい度胸をしていやがる……!


「くそ……ホストの怨霊などに絶対に負けてなるものか……!」


「ふう――……危なかった」


       ◯


「――ということで、俺は女になった方がいいのでしょうか」


「お前も取り憑かれてるだろ」


 しかしこれだけ長い期間楓夕ふゆと付き合いのある俺でも経験のしたことない事態を、自分一人で解決するのはあまりにリスクが大きい。


 故に俺達の監視役でもある雨夜先生に今回の件を相談していた。


「とはいえ――そこまで凛々しい楓夕は言われてみれば私も見たことがないな、本格的な二人暮らしによって自立心が芽生えたと言えばそれまでだが……」


「そんな……じゃあ子供が産まれた日には楓夕は男になってしまいますよ」


「お前の嫁はホンソメワケベラか」


 そう言って頭を小突かれ我に返る俺、いかん、異常事態に焦ってつい話が訳の分からない方向へといってしまった。


「失礼しました。ですがこのままにしておく訳にも……」


「ふうむ、しかしあのアパートは比較的新しい建物だから、事故物件とは考え難いのだがな……何か他に楓夕ふゆに変わった点はないのか?」


「うーん、そうですね……あ、そういえば最近用事があると言って一緒に帰る頻度が少し減ったような……」


「……ん?」


「後は俺と楓夕は週に一度猫カフェデートをするんですが、何故か先週断られてしまったんですよね……」


「…………うん?」


「それと最近掃除をし始めると――って先生?」


 俺は言われた通り楓夕ふゆのちょっとした変化を説明しただけのつもりだったのだが、何故か先生が達観した瞳で俺の肩を叩いている。


 そして茶色の煙草を口に咥えて煙を吐く、ここ最近先生が吸っている煙草は歴代のどの煙草より臭いので思わず顔を顰めてしまった。


湯朝ゆあさ……私にはよく分かったよ、何故楓夕の様子がおかしいのかがな」


「え! ほ、本当ですか!」


 まさか今の話だけで全てを理解してしまうとは……やはり我らが頼れるお姉さん、雨夜先生に相談したのは正解だった。


 これで以前の楓夕に戻ってくれると、俺は目を輝かせ顔を上げたのだが――


 首を横に振り、僅かに口角を上げた先生から出た台詞は衝撃的なものだった。


「誠に残念だが――男だな」


「!?」

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