第29話 EX4 恋の味

「うわ……すげえ……」


 俺はその風景が視界に入った瞬間、思わず声が出てしまっていた。


 夏休みも終盤へと差し掛かり、例年なら宿題で死にかけている所も、楓夕ふゆのお陰で予定より早く終えることのできたある日。


『安昼と行きたい所がある』


 と、珍しく楓夕ふゆからデートに誘われた俺は、彼女に連れられるがまま電車に揺られ県を跨ぎとある公園に辿り着いていた。


 無論公園といっても子供が遊ぶような小さなものではなく、様々な施設が敷地内に建設されている巨大な公園。


 その一角にある木々が生い茂ったエリア――普段は封鎖されているそうなのだが、この時期だけで開放され、多くの人が来場する。


 それは何かと言うと――


「少し人が多いのが気になるが、良いですね」


「……もしかしたらを生で見るのって、初めてかも」


 しかもこんな大都市近郊で蛍を見られるなんて全く知らなかった。一応俺達の住む地域でも蛍がいると聞いたことはあったけど……。


「本当は近場の方が良かったのだが、イベントとしてやっている所は無くてな――遠くまで連れてきて申し訳なかった」


「いやいやそんなの全然気にしなくていいって。俺は楓夕ふゆが行きたい所なら何処でもいくつもりだったし」


「そうか――私も同じ気持ちだ」


「それは信用してくれてるって意味?」


「信用していなかったら安昼を恋人には選ばない」


「それは幸せだなぁ――じゃあ」


「うん」


 俺の差し出した手のひらに楓夕ふゆは自分の手を重ねると、ギュッと握りしめてくれる――かと思いきや。


「! ――……」


「…………」


 すっと隙間へと入り込んできた楓夕ふゆの指が、俺の指を絡め取る。


 こ、これはまさか――恋人繋ぎという奴なのでは……?


 思いがけない楓夕ふゆの積極さに動揺してしまうが、雰囲気を台無しにしてはなるまいと、平静を装いながら俺はそれを受け入れ歩き出した。


「しかし……やはり思ったより蛍が少ないな」


「? そうなのか?」


「種類にもよるが、8月の下旬だとピークは過ぎているらしい。とはいえ気候にも左右されるから今年はズレ込んでいるとは聞いていたのだが……」


「そっか――でも俺は楓夕ふゆとデートが出来ることが一番だから」


「ありがとう、安昼」


「ま、花より団子、蛍より楓夕ふゆってことだな」


「何も上手いことは言ってないがな」


 そう言って笑ってくれた楓夕ふゆに俺は満足感を覚えると、同じ歩幅でゆっくりと、手を繋ぎなら蛍狩りに興じる。


 スポットライトも最小限に設置してあるお陰か、人が多くても視線に晒される感覚はあまりない、これなら楓夕ふゆも恥ずかしくないだろう。


 ――と。


「わぁ……」


「おお……」


 暫く林道を歩いた先の開けた場所で、俺達は感嘆の声を漏らした。


「何でこんなに沢山――あ、そうか、池があるから……」


「それにここだけライトが無い。美しいな……」


 暗闇の中で無数という言葉で足りないくらいの蛍光色が消えては光ったりを繰り返す、これを幻想的と呼ばずして何というのか。


 それ程までに、秀麗な景色であることは間違いなく、俺も楓夕ふゆも時間が止まったかのように見惚れてしまっていた。


楓夕ふゆ


 しかしいつまでも群衆の一員となって見たい人の邪魔をしては悪いと思ったので、俺は通り道から少し外れた場所にあるベンチを指差すと座るように提案する。


 すると楓夕ふゆは小さく頷いてくれたので、一緒に腰を下ろした。


「こんな良い所に連れてきてくれて、ありがとう」


「いえ。偶然とはいえ、私もこの景色を見せられてほっとしている」


「でもさ、どうして急に誘ってくれたんだ? その――あんまり楓夕ふゆから行こうって誘われたことが無かったから……」


「それは……そ、その――」


 もしかしたらまずい質問だったのか、彼女の握る手が少し強まった気がしたので俺は今の話は無かったことにしようとしたのだが――


 彼女は少し申し訳なさそうな表情でこう言うのだった。


「……私は安昼に、恋人らしいことを何もしていなかった気がして」


「へ? んー……いや、そうかな……?」


「無論全くではないかもしれない。だが他のカップルと比べたら――」


「それは仕方ないよ、楓夕ふゆは他の高校生よりずっと大変なんだから」


「いや――違うんだ安昼、私が言いたいのは


「? どういう――――!」


 俺は話をしながらも視線を蛍に向けていたのだが、楓夕のその言葉に顔を向けると――いつの間にか額がくっつきそうな程の距離に彼女の顔があることに気づく。


 あまりの不意打ち具合に、心臓が跳ね上がる音が聞こえた気がした。


「えっ、ふ、楓夕ふゆ……?」


、もっと安昼と恋人らしいことをしたかったのだ」


「…………!」


 そう口にした楓夕の顔は、暗がりでも分かるくらいに赤かった。


 だけど俺は――それを指摘するつもりは全くない。


 その代わりに――俺は無意識の内に楓夕の両肩に優しく触れていた。


 それに対して彼女が抵抗する気配は全くない。


 ――なら、次に出る言葉は自然と決まっていた。


「――……いいんだな?」


「構わない――ここなら人目にもつかないし、それに――私の中で安昼を好きな気持ちをもっと強くさせて欲しい」


「そりゃ――滅茶苦茶嬉しいけども……」


「……しないなら、次は死ぬまでないかもしれないぞ」


「流石にそれは嫌だなぁ」


「じゃあ」


「うん――――」


「――――」


       ○


 こうして、俺との楓夕ふゆの長いようで短い夏は終わりを告げたのだった。


 控えめに言って、人生最高以外の言葉は見つからないだろう。




 因みに味は、よく覚えていない。

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