第26話 EX1 可愛過ぎるのハグがしたい

「……楓夕ふゆよ」


「なんだ」


「抱きしめさせて頂けませんでしょうか」


「……は?」


 連日猛暑が続く中、俺と楓夕ふゆはクーラーの効いた涼しい部屋で何をするでもなく、のんびりと過ごしていた。


 幼馴染から許嫁へ、許嫁からカップルとなった俺達であったが――実のところを言うと、そこまで劇的に関係が変わった訳でもないのである。


 無論それもまた一つの形ではあろう……だけど何というか……ね? もうちょっとカップル的なことをしたいというかね?


「安昼……こんな糞が付くほど暑い日に何を言っている」


「でも俺の心はいつも猛暑日なんだけど」


「そうか熱中症か、今経口補水液を持ってきて――」


「違うんだ楓夕ふゆ! 俺はただハグがしたいだけなんだ!」


「何一つとして変わっていないのだが」


 うーむ、カップルだというのに相変わらずつれない態度だなぁ……まあそんな楓夕ふゆも可愛いからいいんだけど。


 しかし実際問題、俺は楓夕ふゆと手を繋いだことしかないのだ。それ以上の身体的密着など皆無に等しいのだから流石にモヤモヤした気持ちにもなる。


「もっと言えば楓夕ふゆとキスがしたいです」


「キ――! お前は何でもかんでも正直過ぎだ……」


「せめてフリだけでも! いやフリだけでいいから!」


「……ハグの話がキスにすり替わっている気がするのだが」


「え――そ、ソンナコトハアリマセンヨ」


「今日の夕飯は青野菜のフルコースだな」


「ぐ――! ……そ、それでも楓夕ふゆが作ったなら何でも美味い!」


 最近楓夕ふゆは俺の苦手な食べ物を熟知しだしたのか、俺を脅す材料として青野菜を食わせようとする傾向が若干ある。


 だが残念……俺は楓夕ふゆの手料理ならどんなに苦手なものでも味蕾が美味しいと感じる仕組みなのだ! 自己暗示だけどな!


 しかしこのままでは本気で青野菜を食うだけで終わりそうなので、俺は少し腰を低くして楓夕との交渉へとあたることに。


「あの、抱きしめる以外は本当にしませんので……そ、それに前提として楓夕ふゆが好きだから抱きしめたいだけであってですね……」


「…………はぁ」


 中々折れる様子を見せない俺に流石に呆れたのか、楓夕ふゆは深くため息をつくとやっと視線こちらへと向けてくれる。


 ……おや? 耳が僅かに赤い、まさかこれは――


「――別に私は嫌とは言っていない。恋人なら普通のスキンシップだしな」


「おお……! と、ということは――!」


「だが暑いのはウザいからフリだけだ」


「ぐう」


 キスの出来ない生殺しならまだしも、ハグの出来ない生殺しは下手するとキスより地獄なのでは……? いや俺がフリとか言っちゃったんだけどさ。


 しかしもうこの際フリでもいい、楓夕ふゆを抱きしめ隊の進行は最早誰にも止めることなど出来ないのだ!


「よし――じゃあまずは立て」


「え? あ、はい」


 そんな不埒な感情に悶々としてしまっていると、何故か楓夕ふゆは起立を命じたので、俺はソファから立ち上がり彼女の方へと向き直る。


「そしたら次は跪け」


「……へ? あの……ど、どういう……?」


「しないのならハグはしてやらんぞ」


「いえ分かりました、早急にさせて頂きます」


 楓夕ふゆの指令に俺は困惑しつつも言われた通り膝をつく。しかしこれではどう考えてもハグとは程遠い気が……。


 この態勢は一体……楓夕は何を考えているんだ……?


「あの……これでいいでしょうか」


「あまりベラベラと喋るな」


「はい」


 実は俺と楓夕ふゆの身長差は約20センチもあり、本来抱きしめるのであれば俺が上から楓夕を抱き込むような形になる筈。


 しかし今の状態では身長は楓夕ふゆの方が高い――あれ? もしかしてこれハグじゃなくて踏むの間違いかな?


「いや……それも悪くはないんだけどね……でもそれだと恋仲というよりはお嬢様と下僕だから本来の趣旨とは――むうっ」


 俺はついついそう呟きながら次の指令を待っていると――突如視界が真っ暗になり、温かい何かがふわりと俺の顔を包み込んだ。


 こ、これは――――!


「安昼」


「ふ、ふぁい」


「私は安昼が好きだ」


「ほれも楓夕ふゆがすきでふ」


「だ、だが、私は恥ずかしがり屋で……その……あまり強く来られると安昼の希望にも自分自身にも応えられなくなるから――」


 え……いやいや、十分過ぎるどころか俺の彼女可愛過ぎません? 超絶怒涛に可愛過ぎて俺の方がどうにかなりそうなんですが?


 まさかこんな想定外の形でハグをされると思ってもいなかったので、俺の心は瞬時にして幸福感で満たされていく。


 全く……やっぱり楓夕ふゆは最高だぜ。


「ふう――……」


「あっ」


 しかし僅か10秒にも満たない内に、楓夕はぱっと両手を離して俺を解放してしまったので、少し不満げな視線を送っていると、彼女は頬を赤く染めて視線を逸らす。


「…………」


「お、おい……あまりこっちを見るな……」


「――楓夕ふゆ


「な、何だ……」


「好き過ぎるし可愛過ぎるのでキスさせて下さい」




「……そうか、なら夕食はセロリパーティと洒落込もうか」


「ああっ嘘です! いや嘘じゃないけども!」

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