第13話 猫々しい楓夕

 冷静に考えて見てみたのだが、俺は楓夕ふゆと同居をしているのだ。


 まぁ楓夕ふゆは実家から通っているし、正確には自分の家ではないので若干違う気もするが……それでも最近彼女は俺の家にいることが多い。


 おまけに楓夕が家に戻る時といえば風呂か就寝時のみ――つまり起きている時間のほぼ全てを楓夕ふゆと過ごしている訳である。


「前はああ言ったが……やはり同棲なのでは?」


 つまり付き合っている男女が結婚を前提にやっている奴と考えて遜色なし。


「……なのに好き合っていないとはこれ如何なものか」


 あくまで彼女は許嫁の原則に従っているのが現状、しかもその点に関しては合格ラインに到達している筈、それは俺が一番よく分かっている。


「許嫁の枠を超えた愛……ね」


 きっとこのテストの肝そこだろう、となれば是が非でも俺が振り向いて貰えるよう頑張らねばならないのだが……。


「…………」


 楓夕ふゆのご機嫌が昨日から斜めなのは気のせいだろうか。


 表面的に見れば全く以ていつも通りなのだが、どうにもそっけないと言うか、ここ最近減っていた毒針が増えたように思える。


「どうぞ、葉を干からびさせた後、熱湯で窒息させ抽出した汁です」


「紅茶……」


 普段なら俺にだけ放たれる毒針が紅茶にまで向いているのは異様でしかない……いや間接的に俺が刺されているのか……?


「いただきます……うん、美味しいな、淹れてくれてありがとう楓夕ふゆ


「そうですか、では私も」


「…………」


 ただ――正直なことを言えば、この程度の毒針では歴戦の猛者である俺にはダメージなど皆無に等しい。


 故に困惑しているのはそこではないのだ、俺が困惑しているのは――


「……ふむ、意外に美味しく出来るものですね、安い茶葉の癖に」


「……ええと」


「? 主になる男があまり呆けた顔を見せるな」


 いや呆けてみたくもなるわ。だって楓夕ふゆが隣に座っているんだぞ。


 その程度で何を今更? と思うかもしれないが、実は登下校以外の場、特に家においては


 寧ろ不用意に近づくなオーラを出すくらいで、許嫁モードの時とそうでない時のメリハリは意外にはっきりとしている――だのに。


「不機嫌にも関わらず、距離は近い……これ如何に」


「……? そういえば洋菓子がありましたね、準備しましょう」


「お……おう、ありがとう――あ、そうだ、テレビでも見るかな」


 一体この楓夕の奇妙さの要因は何なのか、それを探る意味でも俺はわざとらしくそう言うと、テレビの前にあるソファーの左端と席を移す。


 こういう時、いつもの楓夕ふゆならそのままテーブルに座り、何なら本でも読み出したりするのが、さて――?


「お待たせしました。牛乳と一緒に摂取すると異様に美味しい黄色の固形物です」


「カステラね、いやそれは最早毒ですらな――」


「よいしょ」


 すると――そんな取り留めもない雑談が終わらない内に、楓夕ふゆは三人がけのソファーのをさも当然の如く陣取った。


「おかわりをご所望でしたらいつでもお申し付けを」


「あ、はい」


 や、やはりおかしい……何がどうなっているんだ……?


 決して悪い印象でないし、何ならどんどん近くなる距離に歓喜しかないのだが、不機嫌な様相がある以上下手に突っ込むことも出来ない。


 そのせいか、やきもきとした気持ちはぐいぐいと紅茶を進めていき、会話も少ないまま4杯目を飲み干した所で俺はブルリと身を震わせる。


「う、悪い、ちょっとトイレに――」


「分かりました、では」


「えっ!?」


 全く以てただ純粋に小便をするだけなのだが、楓夕ふゆの妙な返事に嫌な予感がして振り返ってみると――


 なんと、楓夕が飄々とした表情で付いてきているではないか。


「い、いや……流石にトイレは大丈夫よ? 子供じゃないし」


「分かりました。なら扉前でお待ちしています」


 ええ……何でそんな事するの……? 小便している時に後ろに立って尿意を止めさせようとする男子みたいなことしないで……。


 ううむ、やっぱり変だ……そりゃ後ろをついて回ってくる楓夕ふゆは死ぬほど可愛いけど、こんな楓夕ふゆは今まで見たことがな――


「ん――いや、待てよ……」


 俺は小便をしながらふいにあることを思い出す。


 まさか……そういうことなのか……?


楓夕ふゆ


「何ですか」


「今更かもしれないけど――俺は楓夕ふゆだけだから」


 小便しながら何いってんだお前ってのは承知の上だが、もしかしたら楓夕ふゆは二宮さんの件で許嫁として焦っているのではと思ったのである。


 無論なんの他意も無いが、傍から見れば楓夕ふゆを差し置いて別の女の子と和気藹々と話す姿など、許嫁の枠を超えた愛とは程遠い光景でしかない。


 まあ単純に嫉妬とか、そういうのだったら狂喜乱舞ではあるが――何にせよ俺が見ているのは楓夕だけだと伝える必要があると思った。


 のだが。


 楓夕ふゆは、ふっ、と小さく声を上げるとこんな事を言うのだった。


「そうですか――――私も、貴様のことしか見ていませんよ」


「へ? ――えっ!?」


 唐突な発言に俺の尿は一瞬止まりそうになる。


 お、おい……それってつまり――ま、まさか、りょ、りょうおも――?


「目を離していたらどんな失態を犯すか分かりませんし」


「ですよね」


 そういう意味での見ているってことくらい、最初から分かっていたさ……。


 一挙に訪れる脱力感に、お陰で一気に小便を済ませた俺は、一抹の悲しみも一緒にトイレに流すと、ズボンを戻し休日に戻ったのだった。


 ただ――その後の楓夕ふゆは何故かいつも通りに戻ってしまっており、安心した反面ションボリもしたのであるが――




 耳の赤さが戻っていたのは、これ如何に。

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