第5話 安昼は懲りるを知らない

 く……私としたことが、うっかり口を滑らせてしまった……。


 だ、だが、それも仕方がない。最近の安昼やすひるの態度はおかしいにも程があるのだから。


 ここ最近の急に迎えに来てくれて嬉しいだの、弁当を作ってありがとうだの、安昼の為にしていることが好きだのと、常々言われては頭がおかしくなる。


 い、一体どういうつもりなのだ安昼のこの猛攻は……さては今までへの仕返しではないだろうな……?


「好き……ですと……?」


「ぐ……」


 いや今はそんなことを考えている場合ではない。本意ではないが、今は安昼との小競り合いが完全に私を窮地に追いやっている……。


 決して嘘をついているつもりはないが、これ以上グイグイと来られては確実に押し負けてしまうだろう。


 なんとしてもこの場を切り抜けなければ……!


「……ええ、確かに好きと言いました」


「! ふ、楓夕ふゆ……」


「ですがあくまでそれは家事全般が好きだと言ったまでの話です」


「……なぬ?」


 あくまで冷静に、いつもと変わらぬ口調で私は答えると、口角が上がりかけていた安昼の顔が僅かに疑問の表情へと変化する。


 その様子に私は心の中で小さく息をつくが――何かがチクリと胸に突き刺さったような気がした。


「だ、だが……楓夕ふゆは最終的には自分で出来るようになれと言ったのに、家事は好きというのはこれ如何に……」


「貴様が好きならやればいいという理論で己の怠慢を棚に上げるのであれば、これ以上は何も言いませんが」


「申し訳ございませんでした」


 瞬足で頭を下げ、そして露骨に悄気げた顔でがっくりと項垂れる安昼。その状況に私は何とか崩れかけた情緒を取り戻すことに成功する。


 しかし……我ながらこういう時に限って本当に口がよく回る。


 だが私は昔からこうなのである。どんな厚意も素直に受け取れず、余計なお世話だとぶっきらぼうな返しをしてしまう。


 いつしかそれは嬉しい時でも怒った顔が出来るまでに昇華し、お陰で随分と私の前から人は去っていったものだった。


 まあ気づけば、それにすら慣れてしまったのだが。


 それでも唯一人――――安昼だけはいつも笑顔で側にいた。


「ぐぐ……こうなったらもうちょっと論破されない作戦を考えないとな……いや、それともいっそ解毒剤を開発した方が早いか……?」


「…………」


 この男は本当に奇妙だ。私が何を言っても、泣かせても、懲りるという言葉を知らない、そこに関しては昔から何一つ変わっていない。


 例えるなら、私が強力な毒を持った蜂なら、安昼はそんな毒など物ともしない不死鳥と言ってもいい。


 お一人様が好みでもあった私は、当初それが非常に鬱陶しかった。


 ――だがおかしなもので、こうも挫けず、次の日にはまた笑顔で話しかけられ続けていると、安昼との時間が楽しく思い始める自分がいた。


 マゾなのかと言いたいが、多分それは違う。私は――


「――――ですが」


「ん?」


「ほ……本当に嫌であれば、そもそも貴様の世話などしません」


楓夕ふゆ……?」


「自分で出来るようになれというのは貴様の未来を案じた上での話です。未来などどうでもいいのであれば、どうぞお好きにして下さい」


 ……随分と、柄にもないことを言ってしまった。


 もしかして、私は恐れているのだろうか。ここ最近の安昼の言動を全て無下に返し続けたら、いつか本当に愛想を尽かされるのではないかと。


 いやまさか、と思いたい自分もいるがその保証は何処にもありはしない。


 だが、それでも私に言えるのは精々この程度しか――と思っていると、安昼の表情がぱっと破顔一笑した。


「やっぱり楓夕ふゆは優しいな、そういう所が好きだ」


「! ……もう、好きにしろ――」


「あー……もしかして、怒ってる?」


 私が安昼の許嫁として、彼への贖罪と、少なからず抱いている情愛があるから。


 だが性格上そんなことは到底口に出来ないし、口にするつもりも毛頭無い。


 ――無かった、のだが。


「――いえ、怒ってはいません」


「え? でも楓夕の耳――」


 安昼の真意は分からないが、私の感情をかき乱そうとする厚意を、ただいなし続けるのはあまり好ましいとは思えない。


 なら私もどうにか、この態度を改める必要はあるのだろう。


 彼に相応しい――花嫁になる為には。



「強いて言えば――荒ぶっていると言った方が正しいです」


「いや、それどう考えても怒ってるよね」

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