第25話 もう一つのサンドスター

 顔を上げた。


 目の前には顔から出たいろいろな液体でひどい状態になったミジンコが倒れている。もちろんその中で一番目立つのは赤い血だった。痣も出来てあちこち腫れ上がり、ひどい有様になっている。



「なかなか暴力的なお方。想定以上です」

「結局やりやがった」

「で、どうするの? 事態は悪化したけれどどう責任を取る?」


「これは報いだ。今すぐタカを離さないならお前も同じ目にあってもらう」


「そ。じゃあこうする」

「やめてよ!」


 卑猥な刺青の女……イカダモが羽交い締めにしているタカの腕を掴み、勢いよくナイフで切りつけると上着に赤い染みが広がった。

 イカダモはタカの表情が苦痛で歪んだのをいかにも楽しそうに眺めている。


 そのまま顎を掴むと頬にも一本の切り傷をつけた。そこから流れた血が頬を伝って滴り落ちるのを、更に不気味な笑顔で凝視している。



「人質ってこう使うもんだろう? 捕まえて終わりじゃないの。生かしたまま苦しめて相手から色々引き出してなんぼってもんでしょ?」

「おお、おお、おう! そうだ! じゃあハルピュイア、お前も覚悟しろ。ほら起きるんだよ! おい起きろやゴルァ!!!」

「待ってアオミドロ。やり方に気をつけて下さい。やりようによってはボスの怒りを買うことになりますし、あの方の恩を無駄にすることにまりますよ」


 ところがアオミドロと飛ばれた強面の男は完全に興奮し、その警告を聞き逃したようだ。

 嫌がるスズを押し倒すと、その上に覆いかぶさった。



「ぐはっはあああ!! おいてめぇ! 大切な女が今から汚されるぞ見とけ!」


「待って!」

「もう手遅れね」


「なにする気だ! スズを離せ!」


 奴は俺を最高の笑顔で見つめると、次の瞬間スズの唇を強引に奪った。


「これからは四人で活動することになりそうだ……はは」


 スズの唇は奪われていなかった。お互いの唇が触れる直前で、アオミドロの体は吹き飛んで木の幹に打ち付けられた。そのまま何かの力が働き、その場で色んな方向に跳ねたかと思うとピクリとも動かなくなった。


 何が起こったのか分からず見つめていると、ヒョロガリの自称リーダーの……そう、アメーバとか言われているやつが木から降りつつ話しかけてきた。

 先程まで余裕と自信のあった表情が、今は固まっている。


「あれがボスの研究成果です。怒りを買うと、ああやって体中の四分の一の骨が折られることになりますよ」

「そもそもボスってなんだよ」

「シコルスキーさんです。私達はマイクローブと呼ばれている実働部隊。サンプル採取と障害の排除を行います」

microbe微生物……だからお前ら変な名前で呼び合ってたんだな。で、何が実働部隊だこのテロリスト共め」

「シコルスキーさんのお手を煩わせないようにこうして組織されたまで。まあ、もうあなたとは会うことはないでしょう。ハルピュイアは見捨てられましたから」


「余計なことは喋るな」

「はい」


 茂みからシコルスキーが出てきた。やはりスーツを着ている。謎の力に打ちのめされたアオミドロを軽蔑を込めて見下ろし、蹴りを一発入れてからイカダモの元へ歩いていった。


「もう人質は必要ない。返してやるんだ」

「本当に大丈夫ですか?」

「私が良いと言った」

「はい」


 痣だらけになったミジンコをしゃがんで眺めながら冷たく言い放つと、イカダモの表情が固まった。


 こいつらには運動部並みの上下関係があるらしい。

 イカダモはナイフを投げ捨てると、俺に向かってタカを突き飛ばした。


「タカ!」

「ヒデ、私は良いから……」

「よくないだろ!」

「それより早くスズを助けないと」


「その必要はない。ハルピュイアを託そう。もうお前のものだから煮るなり焼くなり好きにすると良い」

「何だその言い方」


 木の枝を思い切り振りかぶったが、当たった瞬間木が腐って砕けてしまった。そういえば前もそうだった。なんなんだこいつは。


「今のもミジンコに手を出したのも目をつぶってやろう。無条件で開放してやると言っているんだから喜ぶべきじゃないのか? それとも返してほしくないのか?」

「お前……!」


「お前ら、帰るぞ。もう二度とここに来るつもりはない」



 シコルスキーはそう言い残すと、ミジンコを背負って歩き出した。

 しかし数歩歩くと立ち止まり、振り返った。


 俺はと言うと、何故か足が動かずその場に立たされていた。声も出ない。しかしシコルスキー達はもう俺にもスズにも興味を示していない。



「ぼ、ぼす……ぼす……」


 アオミドロとか呼ばれていた男は、強面だった顔が恐怖で歪んで無残な姿になっている。何故か顔についていたピアスが無くなっており、代わりに大量の血糊が纏わり付いていた。

 手足は変な方向に曲がっている。


 しきりに助けを呼ぶ声が響くが、シコルスキーは何も言わずそれを見つめていた。


「ハルピュイアに何かしたな。何をした?」

「ボスあの」

「何をした?」

「調子に乗って……えっと……その……た、助けて下さい! 助け、」


 発砲音が聞こえたきり、何の音も聞こえなくなった。


 俺が動けるようになったのは、シコルスキー達が消えてしばらくしたときだった。


 ___



 タカがスズに抱きついてしきりに声をかけている。でも俺にはあそこに混ざることは出来ない。許されない。


 ミジンコの歯が折れたときの感触と鼻が折れた感触、そして叫んでいる俺の声がいつまでもいつもでも頭の中で響き、スズへ向かう足を動かせなくしてくる。

 俺には行く資格がない。これ以上タカやスズと関わる資格も。


 こんな返り血まみれの姿では顔を合わせられない。



「ヒデ」

「おん」

「スズに声をかけてあげてよ。私だけじゃ無理なのよ」

「おん……」

「スズがね、ヒデに会えないって言ってるの」

「会う資格ねえよ……タカとも……」

「でも会ってあげてよ」

「おん……」



「ああもう二人揃って同じこと言ってるんじゃないわよ! 話しなさい!」



 しびれを切らしたタカによって首を掴まれて、スズと向い合せに座らせられた。でも目が合わせられない。俺はフレンズの目の前であんな事を……


 どちらが先に喋るかという無意識下での戦いが始まってしまい、結構な時間が過ぎてしまった。


 先に喋りだしたのはスズだった。



「ありがとう……」

「スズ?」

「あの時ミジンコを痛めつけてなかったら、私はシコルスキーと一緒に住処に連れて行かれて……とにかくありがとう」

「こんな返り血だらけなんだぞ? フレンズの目の前で人間の汚い所見せてさ。タカだっていやだろ? こんなの怖いだろ? お前らと話す資格なんて俺にはない」


 しかしスズとタカは首を横に振り、少なくとも怖がっている表情ではなかった。


「そんなのどうでもいい。いつも助けてくれたし、良いヒトだって信じてる」

「私も同じよヒデ。気にしないで」


 先程の酷い出来事の後にこれだ。二人の聖母に声をかけられ、涙腺が崩壊しかけたし、普通に目頭が熱い。こんな事初めてだ。


 感極まって二人に抱きつこうとした。



「ごめん、ヒデ」

「え?」

「私こそ話す資格はないの。さよなら」



 スズが飛び立った。させるか。

 二人がかりで足を掴み食い止めた。なおもスズが逃げようとするので全力で掴むが、ズルズルとタイツが脱げていく。


「スズお願いだからもう行かないでちょうだい!」

「探すの疲れるんだよ! たのむ!」

「いや! 私のせいでオイナリサマも死んじゃった!」

「死んでない! 死んでないから!」


 最終的にスズの足がタイツから完全に抜けてしまい、俺とタカの手に一本ずつ靴とタイツだけが残された。


 本人ははるか上空へ……


 行っていなかった。



「……靴だけは返してよ。そしたら行くから」

「返すから話を聞いてくれよ。いや命令だ。話を聞け」

「フレンズの私に命令するんだ……」


 文句を言いながら降りてきたスズを座らせ、話を続けた。


 そうか、俺を怪我させたことを悔やんでいるのか。


「死んでないから大丈夫。生きてるだろ? それにほら、後遺症もない。出血もそれほど多くなかった。俺がちょっと引っかかれたくらいで怒るやつだと思うか? ていうか! 全部! シコルスキーが! 悪い! 分かったか!」

「いろんな子に優しくしてたって聞いたわ。自信を持っていいのよ」


「なんでそんなに優しくするの……私全然わからない……」


「お友達として接してるだけだわ。ね?」

「そうだ。種族は関係ないぞ」


 最初見たときの身震いするほどの悲しい目。ドキュメンタリーとかで紹介されてる、虐待された犬と同じような目だった。人を見ると低い声で唸るし、俺のことも睨みつけていた。


 今になってはどんどん緊張が解けていい意味で変わり果てた。



「ありがとう」



 初めて見た曇り一つ無い純粋な笑顔は、俺には刺激が強すぎた。

 胸が痛いし、気が遠くなりそうになった。


 本当に胸が締め付けられるタイプの笑顔。


 そんな目で見られたら仕事なんてどうでも良くなってくるだろ。


 _____



 アオミドロに死なれては困るので救急隊を呼び、一緒に病院まで行くことになった。救助に来た人は目を丸くしていた。本当に体の四分の一の骨が折られ、内臓や血管には一切損傷が無かったらしい。



 事後処理を手短に終わらせた俺は、タカの住処に集まって夕飯を食べた後話を切り出した。



「スズ、フレンズには大きく2つの選択肢があるんだ。一つは飼育員のもとで人間に近い生活をする方法と、もう一つは野生だ。けものらしくってことだな。ここにいる三人は前者だが少なくないフレンズが野生も選んでるぞ。ハンターのヒグマとかリカオンは野生だな」


「私は野生はいやだな。肉が食えないのは最悪だ!」

「ハヤブサ、今スズが決めるときなのよ」

「好きな方をチョイスするのよ!」

「まあ野生でもお客さんと話すのが好きなフレンズも居るし、飼育員のもとで最低限の衣食住だけ保証してもらって後は自由にやってるフレンズも居る。どっち選ぶにしても登録しないといけないから俺かそこら辺の飼育員に教えてくれ」



 スズが黙り込んだので、あまり邪魔しないように帰ろうとしたのだが「待って」と声をかけられ立ち止まった。



「どうした?」

「私……えっと、良くわからない」


「どうしたの」


 布団に潜り込んで寝ようとしていたタカが目をこすりながら起きてきた。



「あいつの所で私何もさせてもらえなくて……だから何をすれば良いのかわからないの」



 シコルスキーの所で何があったのか詳しく聞くことは出来ないが、かなりの束縛をされていたようだ。外にも出してもらえず、異形の姿になったり攻撃を躱したり人の骨を折りまくる技術の開発に協力させられていた。


 俺がそんな立場になったら確かに何をすれば良いのかわからなくなる。


 ついにスズの目から涙が溢れ出した。



「スズ大丈夫よ。私が色々教えてあげるから」


「あいつの言葉の意味がやっとわかった。完全に分かっちゃった」


 その時、いきなり涙が止まったかと思うと笑顔が完全に消えた。


 一瞬タカが身構えたが、スズからその気は全く感じない。



「なあどうしたんだ」

「私ね、サンドスターなんか要らないの。シコルスキーが作った人工のサンドスターで作られた。タカともヒデとも違うまがい物」


「スズ!」


 人工? サンドスターを作り出す? あいつが?

 確かに人知を超えた働きを見ているとその線を疑ったが、サンドスターは作れるようなものではない。有機物か無機物かも不明、体積も融点も実験するたびにバラバラ。



「半減期は3年。あいつの研究所に居続けて3年毎に治療を受けないと、人工サンドスターの濃度が半分以下になって私は」

「難しいけれど最悪なことだっていうのは分かるわ……」

「半分以下になったらどうなるんだ、スズ」


「動物に戻る。そして、最後に治療を受けたのは、えっと……」

「何か事件とかあったことは教えてくれたか?」


 スズは少し考えた後、つぶやいた。


「パークで飼育員とフレンズが交際疑惑って」


「二年半前だ!!」



 俺があまりに大きい声で叫んだのでハクトウワシとハヤブサが起きてしまった。



「スズそれ本当か」

「本当よ。だから何をやっても意味無いの。何を食べても何を喋っても半年後には消えてなくなる」

「なあ、なんか大きい声で話してるが元いた場所に戻れば良いんじゃないのか?」


「ハヤブサ!!」


 あまりの勢いにハヤブサが尻餅をついた。スズはそれを見て一瞬驚いたが、すぐに無表情になってしまった。



「私はシコルスキー以外の男と関わったから見捨てられたの。本当はあのまま帰るつもりだったけど」

「そういえば一回帰ったら次の外出は7年後だったか? しかもパークには来れないって」

「……聞いてたのね。そうよ。ヒデ達のことは想定外だったの……」


「研究所行ってくる」

「行ってどうするの?」


「作るんだよ、人工サンドスターを」

「無理よ。20年はかかるわ。あいつだって同じくらい時間をかけて精製方法を考えたって言ってた」

「俺はあいつより頭がいい自信がある。主席舐めんなよ、スズ」

「無理だって言ってるでしょ」



 スズの担当飼育員になる夢を叶える前にもう一つ目標が出来た。俺はサンドスターを作る。絶対作ってやる。半年で作って、スズを救い出す。

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