第19話 合縁奇縁

 天井……それに畳の匂い……ここは病院ではないようだ。



「やっと目を覚ましましたね。お風呂入ってるお客さんを覗いた挙げ句一緒に入ろうとするなんて」

「アカギツネ違う、違うんだ。宿に来ようとしたら遭難してな」

「とにかく助かりましたよ。凍傷になりかけてましたから」



 ここは温泉宿の医務室のようだ。簡単な治療ならここでできるようになっている。といっても絆創膏くらいしか無いが、ここでの負傷はしもやけくらいしかなさそうなのでそれで十分なようだ。


 木造の小さな部屋に少し薄暗い照明が光っていて、雰囲気が出ている。こういうの好きそうな人は喜ぶだろうな。



「今何時だ?」

「12時ですよ。私は夜行性なんで夜勤もへっちゃらです」



 目の前にいるのはアカギツネ。文字通り赤毛の至って普通なキツネだ。この子の亜種にキタキツネやギンギツネが居る。

 今は温泉宿でキタキツネとギンギツネ、更に他のキツネフレンズ達と一緒に働いており、おかげでここはキツネが接客してくれる宿として有名になっている。



「通報が来て駆けつけた時全身に雪と草が絡みついた状態でお風呂に浮いてたので急いで助けたんですよ。私達のお風呂で溺れられちゃ困ります。血迷うにもほどがありますよヒデさん」



 そういえば頬がひりひりと痛む。鏡で確認すると、綺麗な赤い手形が両方の頬にくっきりと残っていた。


 ああ痛い。しかもその手形のおかげか、記憶が少しづつ蘇ってきた。


 俺はスズとタカを追って外のお風呂まで尾行し、寒さに耐えかねて彼女たちが入ってる風呂に飛び込んだ。そこからの記憶はないが、タカあたりに平手打ちをお見舞いされたのだろう。



「タカ……じゃなくてフレンズのコスプレした二人組は今宿にいるのか?」

「あの後ご飯を食べて今お部屋で寝てるはずですよ」



 俺はアカギツネに礼を言ってその部屋を出た。


 さあどうしよう。部屋にいる以上覗きはできないし、2回らしいので窓からも不可能だ。


 せっかく宿に来たし、どうせなら風呂に入るか。


 俺はダメ元で母屋と温泉を行き来する通路を通り、脱衣所のある部屋の扉を開けると人の気配がした。この時間でもやっているのか。



「番台の席……誰か居るか?」


「げえむ…………うう、ギンギツネ………………」



 寝てる。番台……キタキツネが、気持ちよさそうに番台の見張り台で寝息を立てている。天使みたいに安らかな顔で寝やがって。


 小さく声をかけると、眠そうに目をこすりながら起き上がった。



「おはようキタキツネ。まだ風呂は開いてるのか?」

「ずっと開いてるよ。フレンズが夜も使うからボクが順番にお掃除してるんだ」

「そうなんだ。じゃ、入ってもいいか?」

「……うん」

「どうした?」

「ねむい」



 キツネっは夜行性のはずだったが、キタキツネは入湯料を受け取ると突っ伏して眠り始めた。もしかして生活リズムが狂って昼行性の人間に近づいてしまったのだろうか? だとしたら結構やばい。担当の奈々さんは大変そうだ。



 生まれたままの姿になって露天風呂に向かい、簡単に体を流してから温泉に浸かった。


 深夜で俺の他には客がおらず、温泉には俺一人。雪の積もった岩の向こうには一面の銀世界が広がっていて、先程の吹雪でできた樹氷がそこら中に立っている。



「綺麗だなぁ」



 景色とかに興味がないと思っていたが、今は見入ってしまっている。今は雪景色も温泉の温もりも正直に感じられる。


 疲れてるのかなぁ、俺。スズは可愛いけれど、怪しすぎる人間と絡んでるし心配だ。あの名前教えてくれない女の子の言う通りに考えたいけど、人を疑うのは疲れる。


 でもかわいいは正義。かわいいは裏切らない。



「スズ?」



 かなり遠くの樹氷の一部が剥げて枝がむき出しになっていた。気になってよく見ると、真っ白なフレンズが枝に座って月を眺めている。

 温泉どころではなさそうだ。



 俺はすぐに温泉を出て着替え、防寒具で固めてスズの元へ向かった。


 樹氷の間を通って30分ほど歩くと、ようやくスズの姿が見えてきた。温泉から見るより遠く、着いたときには温まった体がすっかり冷めてしまった。



「スズー! 俺だ、ヒデだぞ」



 反応がない。


 それにさっきは動いていたが今は完全に静止してしまっている。シロオオタカだから寒さには強そうだが、いくらなんでも深夜の雪山に防寒具もなしで居るのは危険すぎる。



「おい大丈夫か! 今行くから待ってろ!」



 木登りは初体験だったが、雪が吹き付けていたおかげで足場には困らずに登ることができた。


 スズは太い枝の上で、幹に寄りかかって気を失っていた。



「おい! しっかりしろスズ! おい起きろ!」



 脈はある。……というか完全に力尽きたら動物に戻るので、フレンズの姿を保っている以上希望はある。体は冷え切っているが、まだ顔は血色が良い。しかし反応がない。全く無い。


 一気に血の気が引いて心拍数が上がった。


 俺はすぐにスズを抱えて地面に飛び降りた。本当に体重が軽くて楽だ。それに雪がクッションになって痛くない。


 しかし、その雪が仇となって全く進まない。早く宿に連れ帰って温泉に浸からせてやらないと、取り返しのつかないことになる。



「ああくそ、糞雪がっ!」



 俺は咄嗟に体を投げ出して、尻から雪に突っ込んだ。すると適度に体重が分散して沈まず、滑り出した。最高だ。


 スズを抱えたまましばらく滑ると、すぐに露天風呂に着いた。どうやら温泉宿だけが少し低い場所にあったようで、どうりで行きは時間がかかったわけだ。


 服を着たまま温泉に飛び込み、スズを温めた。本日2回目だ。



「なあ起きてくれよ! 頼むから、頼むからさ!」



 呼吸も脈もあるのに、目覚めてくれない。もしかして、服を着ているせいか? 昔見たアニメで、初めて風呂に裸で入ったフレンズが服を着ていたときより温かいと言っていた気がする。


 かわいそうだが試す勝ちはありそうだ。


 もちろん裸にするのは無理なので、靴とタイツと上着だけ脱がせ、シャツの下の方のボタンだけ外して様子を見た。



 気が遠くなりそうなほどかわいい……いや今はそんな場合ではない。服を脱がせたおかげなのか、手足の血色が完全に戻って顔も健康的な色に戻ってきた。


 綺麗なピンク色の唇の間から息が漏れて、白い煙になって消えていく。今まで一度も外出したことがないみたいに大切にされてきたかのような真っ白な手足も、力なく垂れている翼も理性を壊そうとしているようだ。


 思わず生唾を飲み込んで見惚れてしまった。これはやばい。いろんな性癖に目覚めそうだ。


 旧友はフレンズに恋はできないと言っていたし俺の恋愛観もロリコンのようだと言っていたが、フレンズに惚れないほうがおかしい。あまりにも可愛すぎる。



 そろそろ温泉の暖かさが煩わしいと感じ始めていた時、スズの指が動いた。



「スズ!」

「ん…………なんで私お風呂に…………いるの」

「あそこの木の上で気を失ってたんだ。幸い霜焼けくらいしかしてなさそうだ」

「そう……」



 スズの目がしっかりと開き、綺麗なブラウンの瞳が俺を見つめた。今初めて現実を理解した頃だろう。


 タカではなく俺が目の前にいることに気づいて驚くだろう。しかも中途半端に絡んだ俺だ。


 俺は平手打ちなりグーパンなり飛んでくるのだと予想して、思わず目を閉じた。



「……ありがとう」

「え?」

「鈴探してくれた時……言えなかった分もあるから…………本当にありがとう」



 変に疑った俺が馬鹿だった。



「あんな所で何してたんだ」

「話してたの」

「誰と?」



 スズが口を開きかけた時、人の気配を感じて露天風呂の向こうを見た。同時にその気配の主が、喋りだした。



「私だよ」



 声の主は男……50代か60代くらいの男だった。雪山に似合わないスーツ姿で、頭は白髪。これも雪山に似合わないほどしっかりセットしてある。いかにも高そうな鞄を抱えて、傘を差して俺の方を見下ろしていた。


 今この瞬間にこの男について3つ分かった。


 1つは金持ち。高い物が似合っているし、香水の匂いに隠れてタバコの匂いがした。余裕のある表情も鑑みれば、一定以上の地位に就いて腐るほどある休憩時間に吸っているに違いない。とすれば金もある。


 2つ目は一般人ではないこと。この時間にスーツ姿で歩く客は頭のおかしいやつくらいしか居ない。


 そして最後は、少なくとも人格者ではない。俺をいかにも舐めた態度で見下している。


 それに、スズが今まで見たことのないような顔で睨みつけているからだ。



「誰だてめ……ゲホン……すいません。来園者の方ですか? 今パークは閉園しています。危険なので外出は控えて宿泊施設で過ごしてください」


「ハルピュイアの飼育員か?」


「研究助手です」

「ああ見たことがある。君は確か首席だった」



 ねっとりと絡みつくような喋り方。ミジンコとかいうキモオタよりよっぽどキモい。しかし、話の通じなさそうな嫌な雰囲気が漂っている。こいつとはこれ以上関わりたくない。


 しかし次の瞬間には、その希望は打ち砕かれた。



「ハルピュイアを……その抱えているフレンズを私に渡せ」


「逃げて……」

「スズ?」

「あいつは危ない。私を置いてすぐに逃げて」

「スズ何を言って」


「聞こえないのか」



 表情には出ていないが奴は怒っている。まばたき一つせず、今度は目線を変えて俺だけ睨んできた。



「フレンズが嫌がっている。パークにはフレンズファーストっていう方針がありましてね? 何か決める時は当事者のフレンズの意思に全て従うことになっているんですよ」

「これは私達家族の問題だ。部外者の君は口を挟まないでいただきたい」


「家族だかなんだか知らんがスズが嫌がっているんだ。渡すことはできない」


「これを見てもか」



 いつの間にかやつの後ろから現れた男が、抱えていたフレンズを乱暴に投げ捨てた。


 黄色い制服に大きな翼。間違いなくハヤブサだ。今タカの住処で留守番しているはずのハヤブサが目の前にいる。



「ハヤブサ!」

「いやぁ、ハルピュイアを追って居たら見つけてね。私のことをバラしに行こうとしたから落として少し痛めつけておいた。素直に渡してくれれば元の場所に返そうと思っていたんだがね、念の為捕まえておいてよかった」


「クズが!!!」



 生まれてはじめて、こんな純粋な悪意を感じた。身震いするほどの自分勝手な言動に言葉が詰まった。



「やれ」



 男が命令すると、後ろの男がハヤブサの首に手をかけ力を込めた。



「おいやめろ! フレンズにそんなことしてただで返すと思うなよ!」

「ならば、渡せ。さっさとしないと動物に戻ってしまうぞ。まあそうした所で何の痕跡も残らないがな」



 こんな事をされた所で、スズを渡す気になんかならない。しかしハヤブサも危ない。


 いきなりこんな苦境に立たされてても冷静な判断などできない。丘でもタカでもいい。誰かこの場所に居てほしかった。俺にこの決断はできない。


 ならばどうすればいい? スズを渡さずに、ハヤブサも助ける方法。



 ふと、視界の隅にキタキツネが掃除して片付けていない木の枝が写った。



「もっと人間らしい方法を選んでいただきたい」



 奴は余裕の表情。俺は迷わず枝を手に取り、殴りかかると見せかけて素早く向きを変え、ハヤブサの首を絞めている男のこめかみを本気で突いた。


 手応えがない。


 持っていた枝は炭のようにボロボロになって、枝を持っていた手もシワシワになってしまった。



「人間らしい方法で解決してくれると思ったんだがな。ああ、一応聞いておくがうちに来るか?」

「くたばれ」



 何故か微笑むと、懐から拳銃を取り出した。そこまでするか普通。



「フレンズだけは傷つけるな! やめろ!」

「自分を犠牲にしてでも大切なものを守るか。拳銃を出されてもそう動けるのは素晴らしい。そして私の一番嫌いな行動だ。この方法は負担がかかるから嫌なんだがな」



 奴は容赦なく拳銃を発砲した。それもスズに向かって。


 しかし何かがおかしい。音がなかった。確かに煙は出たのだが、特有の発砲音が全く無かった。



「おいスズ! スズ!?」

「うう、うぐ……今すぐ離れて……」

「そんな事できねえよ!」

「お、お願い……! 信じて、じゃないとヒデを……ヒデを、傷つけちゃう」



 よく見るとスズの首筋に黒いヘドロのような物が纏わり付いていて、吸い込まれるように消えた。もしかしてこれがあの銃の弾丸だろうか。



「随分と信頼されているらしいな。だがもう遅い。大好きなフレンズに八つ裂きにされて死ぬのは本望だろう?」



 振り返ると奴は居なかった。さっきから不思議なことが頻発しているが、どうやらそれどころではないようだ。


 後ろに居たスズが居なくなって、代わりに半人半鳥のセルリアンのようなが居た。頭と胴体だけ人で、それ以外は鳥。2メートルとほど高さがある。


 それは俺を睨むと、恐ろしい鳴き声を上げて襲いかかってきた。



「言葉分かるか? スズ? こーんにーちはー」

「ピイイエエエエエエアアアアアアァァァァアアアアアアアアアア!!!!」

「ですよね、へへ」

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