第10話 逃避行開始

「うわぁこの人可愛いお。素直に舐めたいお。絶対美味しい」

「頭にナマコくっついてるよ! ねえ取ってあげようか? 取ってあげようか? あげな~い」

「いい加減にしとけよ、このバカども」


「え? でもこの人イカダモよりずっと美人だから、ワイ今からこの人の奴隷するお。なんでも命令してくださ~~い、おっおっおっおっ」



 オタク口調のデブが舌をムチのように振り回しながらカコさんに迫る。確かに人間の割に美人なのは分かるが、初対面で舐め回そうとするのはいけない。


 イカダモと呼ばれた卑猥な刺青の女がデブの首筋に手刀を叩き込むと、デブは見事に倒れその場でのたうち回った。叫ぶたびに唾液が散っている。



「だからミジンコは連れてくるべきじゃなかった。僕は反対したよ」

「こいつは耐女ならゾンビのように動きやがる。いざとなったらフレンズに向かわせるためだ」

「へぇ、でもあの子相手にも同じこと言えるかな」


「ちょっとまずいことになってるけど」



 イカダモ……女が一足先に気がついた。既に5人は武装した警察官に囲まれており、気づいた順に顔が固まっていく。


 5人が制圧されてつまみ出されるまで、10分もかからなかった。


 警察といえばスズのことでトラブルになった覚えがあるので俺はトイレに隠れてやり過ごした。一緒に逮捕されてしまっては困る。



「隠れてないで出てきなさい」

「はっ、はい……捕まるんですか?」



 隠れて安心しているところに重く低い声が響く。カコさんに見つかった。しかし外に出てきたときには警察は居なかったので安心して緊張が解けた。



「あの、大丈夫でしたか? もう見てることしかできなくて……」

「あんなのどうでもいい。考えるだけ脳みその無駄。とにかく来なさい」



 怒ってる?


 最近やらかしたことといえばスズに勝手に絡んだことと、その過程で警察に蜂の巣をぶつけたことくらいだが。



「あ、あのごめんなさい! フレンズが警察に押さえつけられてたから、つい我慢できなくなって蜂の巣で叩いちゃって。でもあれは正当防衛です! 確かに規制線張られたところに入ってしまいましたけど……」


「あなた何言ってるの? 警察が規制線張って捜査なんて聞いてない」



 どういうことだ?

 俺が会った警察は確かに全員制服を着ていて、偽物には見えなかった。手帳とかは見なかったが、偽物にしては完成度が高すぎる。



「話を聞いてるの? 早くこの部屋に入って」



 考え事に集中しすぎたあまり、部屋の前に到着したこともカコさんが話しかけていることにも気づかなかった。慌てて部屋に入ると、既に白衣を着た研究者たちが集まっていた。



「調子はどう?」

「良好です。ただ私達に対する威嚇が酷い。あれから一度も話していません」

「そう。……ヒデ、来なさい。先に言うけれど、これから見るものに対して怒りは覚えないで。質問にはすべて答えるから。どうしてもこの状況を知ってもらいたいの」



 何のことかわからない。案内されるがままにとあるドアの前に立たされ、そこで待つよう命じられた。目の前のドアには顔ほどの大きさの曇ガラスがはめてあり、今は中が見えないようになっている。


 例えは悪いが、独房のドアみたいに見える。


 一体どういうことだ? さっきの奴らの仲間でも捕まえて監禁しているのだろうか?


 じゃあなぜ俺に見せる必要がある?



「曇ガラスはスライドできる。落ち着いて中を見て」



 俺は考える前に曇ガラスをスライドし、中の様子を覗いた。部屋の中は独房みたいではなく、必要最低限どころかマンションの一室のようになっていて、思ったより広かった。


 そしてその部屋の角にスズが居た。



「スズ!? おい、なんでそんなとこにいるんだ!」



 おいおいおいおい!?


 うずくまって居るが、綺麗な白髪のセミロングで白い大きな翼はスズしか居ない。ドアと反対側の方を向いているので表情は伺えないが。



「おい何やってんだ!? フレンズ閉じ込めて何が楽しいッ!」



 気づいたら白衣の研究員に掴みかかって……寸前で足を止めることができた。



「こうするしかなかったんです! 私は外では見ていないですが、暴れに暴れて何度も逃げた。調査隊に何人も負傷者を出しながら保護したんです」


「そういうわけよ。そこで一つ質問があるのだけれど、どうしてあの子と一緒に行動していたの? パンサーカメレオンに協力してもらってたから、あなたの足取りは大体わかってる」


「その前に質問させてください! このままじゃ冷静になれない」



 カコさんが何も言わずに頷いた。



「スズは本当に人を傷つけたんですか」

「残念ながら……それは本当よ。あくまで保護のために派遣した職員が何人も襲われた。送ったメールを逆手に取られてさっきの変な人達が来てしまったけど、お客さんには一切手を出してないわ」


「なにか言っていましたか? ……最後の質問です」

「聞き取れる言葉は一切発しなかった。心も完全に閉ざしているし、嫌悪感だけが先行して行動を決めている」



 それから俺は、スズと会って話したことや行動のすべてを話した。最初は少し驚いていたが、最後の方は納得していたようで相槌だけを打っていた。


 すぐに周りの職員たちが動き出し、複雑な計器をいじってなにやら実験をし始めた。



「そういうこと……フレンド製薬、まさかとは思うけどフレンズを利用して商品開発でも企んでいるんじゃないでしょうね。並行してさっきの怪しい集団の取り調べも進めないといけないと。外から来たらしいってことも人間に化けてたことも、明らかにしない限り安心できない」

「正直今はフレンド製薬なんて気にしてる時じゃないと思います。まずはスズを自由にさせてあげるべきです!」


「今の状態で外に出したらどうなるかくらい想像できるでしょ? まずはあの子がこの環境に馴染むまで待って、それからベテランの飼育員を付ける。もう来てるみたいだけど」



「よう。話は聞いてる。儂に任せい、ああいう子は二桁ほどは見てきたかのう」



 この爺さんはパーク開園時から飼育員を勤めている、別手 藍べって あおいという名の最古参、ベテラン中のベテランの老人だ。教授はやっていないので大学では見なかったが、最高齢飼育員としてよく名前が語られている。


 どこからか飛び出して研究員達に気さくに挨拶すると、ドアの前に立った。


 白く長い眉毛の奥にある目が、部屋の中のスズを射抜いた。



「シロオオタカだったか? カコよ」

「そうです。おそらく今までで一番難しいかと」

「ま、気にするな。……のうそこの兄ちゃん、中に入れてくれんか?」



 この爺さん自信に満ち溢れて居るが、今のスズの前に行ったら殴られて終わりじゃないか!?


 無理だ、と止めたかったが経験どころか試験に合格すらしていない俺にはこれを止める資格はない。それにベテランの仕事を見れる大チャンスだ。



「本気ですか、別手さん! 危険です、まだ慣れていませんよ!」

「マジだよカコちゃん。……もし儂の身に何かあったら、ささっと逃げてくれや。ベテランの経験、舐めないでくれ」



 研究員が渋々ドアを解錠した。爺さんは何の抵抗もなく軽い足取りで部屋に入るとスズの驚く声が響いた。当たり前だ。


 頼むから下手に怖がらせるなよ、ベテランさん。



「だ、誰!?」

「アオイちゃんと読んでくれや。儂は飼育員じゃから、落ち着いてええぞ。まあ話でも、しようじゃねえか」



 俺を含め全員が固唾を飲んで見守っている。


 直後に部屋の中から鈍い音と共に老人の断末魔が発せられた。ガラスの割れるような音もして、警報があちこちで鳴り響いて異常事態であることを示している。



「別手さん! ああ、シロオオタカが逃げました!」

「鋼鉄のワイヤー入りなのよ!? とにかく別手さんの治療を最優先にして! 私が管理センターに通報する!」



 ああ、最悪だ。くそ。

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